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2025年8月16日 (土)

ヘンデル《ジュリオ・チェーザレ》

ヘンデルのオペラ《エジプトのジュリオ・チェーザレ》を観た(ザルツブルク、Haus fur Mozart).

ヘンデルのこのオペラは《ジュリオ・チェーザレ》と呼ばれているが、正式には《エジプトのジュリオ・チェーザレ》である。ジュリオ・チェーザレを扱ったオペラは実はバロック期に沢山あって、微妙にタイトルが異なっていたりする。昨年インスブルックで蘇演されたジャコメッリのオペラは《エジプトのチェーザレ》でストーリはほぼ同じ。

歴史上の事実としてもユリウス・カエサル=ジュリアス・シーザー=ジュリオ・チェーザレは、エジプトに行き、クレオパトラと親密な関係になったわけだが、オペラ化されているのは、チェーザレとの戦いに敗れエジプトに逃れたポンペオ(ポンペイウス)がトロメオにより殺され、トロメオが首をチェーザレに献上するのだが、チェーザレはそれを喜ばず、ポンペオの妻コルネリアと子セストは復讐を誓うといったところから話は始まる。

今回のものは、曲はおなじみのものだが演出は新演出である。演出家はドミトリ・チェルニアコフで、舞台を核シェルターあるいは防空壕あるいは工場の地下といった感じのコンクリートの塊の建造物で地下、それが三つの部屋・区域に分かれており、登場人物はみな現代服でかつ労働者的服装である。エリートとか富豪とかいった感じはまったくない。この演出あるいは衣装の欠点は、エジプト側なのかローマ側なのかが一目でわからないことだ。ポンペオは髪型がなんなくトランプ大統領を思わせる。

昨今の世界事情を反映して核シェルター的・防空壕的空間で展開されるのだろうが、個人的には服装はもう少しエレガントでも良かったのにとも思う。チェーザレも演出家の意向によりずっと陰鬱な感じに描かれる(これは明らかに歴史的事実に反する)が、戦争が現在進行中の気持ちが晴れることのない指導者と考えることが出来よう。ロシアのプーチン大統領は、ジャーナリズムでは皇帝とよばれていることも頭をよぎる。一対一対応でどれが誰というのではないが、こういう設定にしたのはウクライナでの戦争が影を落としている可能性があると言うことだ。

まあ、こういう演出も一つの可能性としてはありうるが、チェーザレの性格と音楽は齟齬をきたしていたと考える。チェルニアコフに限らないが現代の演出家は、リブレットをないがしろにすることをなんとも思っていないかのようだ。

チェーザレはクリストフ・デュモー。クレオパトラはオルガ・クルチンスカ。彼女は声は出るのだが、バロック歌唱の様式感はやや乏しい。コルネリアは Lucile Richardot. ボリュームのある声。セストはフェデリコ・フィオーリオ(ソプラニスタ)である。彼はやたらと跳ね回り、飛び回る演戯をさせられていた。これもどうかと思った。フィオーリオは澄んだ声で、少年の役柄にあっていたし、バロック歌唱の様式を備える歌だった。トロメオはユーリ・ミネンコ(カウンターテナー)。アキッラがアンドレイ・チリコフスキーでこれも一貫して暗い人物として表象されていた。

ここまで暗い演出でも、ヘンデルの音楽は喜ばしかったり、晴れやかであったり、堂々としていたり、しんみりしていたりと変化に富んでおり、実に素晴らしい。指揮はエマニュエル・アイム。さっそうとし、キビキビとした指揮で音楽がだれることがない。最後の合唱が晴れやかにならなかったのは演出家が自らハッピーエンドが信じられないとプログラムに書いているので、それを反映しているのかと思う。こういうコンセプトは本来ならまったくオペラ・セリアを理解していない演出とも言えるが、それを圧する現実が演出家をさいなんでいるのだろう。幾重にも不幸な現実が存在する時代にわれわれは生きているのである。

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