オペラ《ホテル・メタモルフォーシス》その3
パスティッチョ・オペラ《ホテル・メタモルフォーシス》を再び観た(ザルツブルク・Haus fur Mozart).
この日は事前にアナウンスがあり、バルトリが体調不良により声の調子がよくないことをご了承くださいとのこと。エアコンの調子・調整がうまくいかなかったらしい。歌手というのは身体が楽器であるゆえの大変さがあるなあ、といつも思う。そのせいで、キャリア全体を考えても、音楽的な成熟と、楽器としての喉の成熟がうまく重なればよいけれど、必ずしもそうとは限らないわけである。
結論から言うと、バルトリの歌は、個人的には今回の方が好ましかった。喉の調子が悪いので、派手なヴァリエーションを避け、曲にゆだねる割合が高かった。最後に歌われるアリア 'Gelido in ogni vena' は、技巧の限りを尽くして歌うより、その少し手前で歌ったほうがより心に迫るのだった。この場面、エウリディーチェとしてのバルトリが、オルフェオの生首を前にして切々と歌う。それに先立つ場面でオルフェオは集団に虐殺されている。合唱が、《勝利するユーディット》からの戦いの場面を歌っている。ということもあって、オルフェオの生首は、戦争で無残に殺された死者と重なって見えるし聞こえる。作品全体のバランスからすると、いかがと思うところもあるのだが、アクチュアリティという点では迫ってくるものがある。
歌手としてはやなりレア・デザンドレがフレッシュかつ伸びやかな声で喝采をさらっていた。彼女は一曲だけ様式感が崩れるアリアがあって、それは今回はテンポを少しおとして調整していて、改善はしたのだが、将来に期待したいところだ。これで様式感が備われば鬼に金棒だと思うがすでに売れてしまうとそれは難しいのかもしれない。
ナレーションで物語を進めることの功罪。オルフェオが舞台まわしになってナレーションをマイク付きで行う。これにより一つの幕の間に度々マイクで拡大された音がはいるのは音的に快適でない。また、登場人物は一切レチタティーヴォがないわけで、それもこれほど極端だと物足りなさを感じるのであった。外国語のレチタティーヴォはかったるいと思っている人にはすっきりしていてよかったのかもしれないが、この場合はドイツ語のナレーションなので、ヴィヴァルディのオペラのイタリア語の歌詞との接合はぎくしゃくせざるを得ない。だが、前にも書いたように、ヴィヴァルディのオペラ・アリアの素晴らしさの啓蒙作品なのだと割り切れば、それは些細なこととも言えるのかもしれない。個人的には、この作品を通じてでもヴィヴァルディ・オペラの人気が高まってほしい。
| 固定リンク


コメント