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2025年8月 9日 (土)

カルダーラ《アウリデのイフィジェニア》その1

カルダーラ作曲のオペラ・セリア《アウリデのイフィジェニア》を観た(インスブルック、チロル州立劇場)

300年以上ぶりの蘇演(復活上演)である。去年からインスブルックの古楽音楽祭の音楽監督になったオッタヴィオ・ダントーネはきわめて大胆にめったに上演されないあるいはかつて有名であったが現代においては埋もれがちな作曲家に光をあてている。昨年は、ジャコメッリの《エジプトのチェーザレ》で、出演者もまったく初めてだと言っていたが、ジャコメッリは当時のヴィヴァルディを追い落としたほどの人気があった作曲家なのだった。

今回のカルダーラは、ウィーンの宮廷音楽家(副楽長)を長く勤め、皇帝カール6世のお気にいりだったので、当時は名声の高い作曲家であったことは言うまでもないのだが、現在彼のオペラを観る機会はまれである。たとえばリブレッティスタのメタスタージオの名作《オリンピアデ》も最初に曲をつけたのはカルダーラだったのだが、現在ではヴィヴァルディやペルゴレージ作曲によるものはヴィデオやCDがあるものの、カルダーラはどちらも見当たらない。

しかし今回《アウリデのイフィジェニア》の全曲を観て、実に素晴らしい作曲家であることを確認した。舞台のカーテンが上がる前に、初演時にはおそらくそうであったように、皇帝カール6世(マリア・テレジアの父)を褒め称えるレチタティーボとアリオーソがあった。アリオーソの部分は皇帝にふさわしくトランペットとソプラノが掛け合いで皇帝の威光を言祝ぐのであった。

《アウリデのイフィジェニア》はもちろんエウリピデスのギリシア悲劇がもとになっているわけだが、バロック期には大変人気があって、リブレットもゼーノ、メタスタージオ、パオロ・ロッリが全員手がけており、細部は当然ながら異なっている。今回のカルダーラが曲をつけた台本はゼーノのもので、初演は1718年11月4日ウィーンの宮廷劇場であった。

今回の《アウリデのイフィジェニア》はゼーノのリブレットによるわけだが、メタスタージオやパオロ・ロッリ版と異なり、レスボス島の王女エリゼーナが登場する。エリゼーナは事情があって、本名は本人にも知らされずエリゼーナという名前で育てられているのだが、最後に実は彼女の本名がイフィジェニアということが判り、犠牲となるのは彼女(エリゼーナ=イフィジェニア)で、アガメンノーネの娘のイフィジェニアは生き延びてハッピーエンドという立て付けになっている。昨年バイロイトで上演されたポルポラ作曲の《アウリデのイフィジェニア》はパオロ・ロッリの台本で、最後の場面でイフィジェニアがギリシア(祖国)のために犠牲になることを覚悟した時点で、アルテミス(ディアナ)がそれを良しとして雌シカの犠牲で良いことになり、彼女は助かるという話になっていた。つまり、パオロ・ロッリの方がエウリピデスの原作により近い。無論、オペラとしてリブレットとしての出来の善し悪しは原作に近いか遠いかと無関係であることは言うまでもないが。

念のためゼーノ版のあらすじを紹介する。

先述のように第一幕の前にカール6世を讃えるレチタティーヴォとアリオーソが演奏された。今回指揮者のオッタヴィオ・ダントーネ氏に確認したがこれは本来はリチェンツァで、つまり、全体上演の後で演奏されるものなのだが、演出家の意向で最初に演奏することになったとのこと。個人的には最初でよかったと思う。以前に観たコルセッリ作曲の《アキッレ・イン・シーロ》のリチェンツァだとその歌詞の中に二人が結婚して子孫に英雄が生まれるでしょう、といった内容が含まれるので、劇の終わりの場面(アキッレとデイダミアが結ばれる)との接続の具合から最後がふさわしいと感じられた。今回の場合は、カール6世の治世を讃える内容であり、最初に置かれる違和感はなかったということだ。

長くなったので、あらすじは次項で。

 

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