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2025年8月22日 (金)

ランチ・コンサート 2

再びランチ・コンサートに行った(インスブルック、王宮庭園)。

僕にとって今回は2度目のランチ・コンサートだが、音楽祭としては第3回目のランチ・コンサートである。

メンバーは2人の姉妹。ヴェラ&パトリツィア・ビーバー。ヴェラは、オベルリンガーの弟子でリコーダを吹く。パトリツィアは、チェンバロでの伴奏。ただし、ジャン・アンリ・ダングルベールは彼女の独奏であった。

曲目は

ビアージョ・マリーニ(1594−1663)のSonata 4. マリーニはヴェネツィアでモンテヴェルディの同僚だった人で、このソナタは、曲想の変化が激しく、多分に実験的な要素も感じられた

J.S. バッハのリコーダーソナタ g-moll BWV1020   マリーニの後では、形式がはっきりしていることが強く感じられる。

マラン・マレ(1656−1728) Folies d'Espagne  フォリアの曲で変奏曲である。これはリコーダーの独奏。

ジャン・アンリ・ダングルベール (1629−1691)ルイ14世の宮廷のクラブサン、オルガン奏者、作曲家である。

フランチェスコ・ロニョーニ(1570−1620)1620年には『Selva de varii passaggi』を出版し、演奏技法や装飾音(ディミヌイツィオーネ)の重要な資料となっているそうだが、ここから Io son ferito が奏された。

フランチェスコ・マンチーニ(1672−1737) Sonata 第1番 d-moll  ナポリ楽派のオルガニスト、宮廷楽長。

イタリアの南北、ドイツ、フランスと幅広い対象を概観し、17世紀と18世紀前半の音楽を見渡せる意欲的なプログラムで、アンコールにはイギリスの作曲家の変奏曲を演奏した。

リコーダーは古楽ではありがちだが、曲ごとに笛を変えていた。4本くらい使用か。チェンバロは一台。

前にも述べたが、このコンサートは公園の東屋で、無料で開催される。途中で子犬が吠えたり、飛行機が通過(インスブルック空港は町から近いので町の上を低空で飛ぶのである)したのはご愛敬。若手が意欲的なプログラムを、思い切りのよい演奏で披露してくれ満足度は高い。

 

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ヴィヴァルディ《ジュスティーノ》その4

ヴィヴァルディのオペラ《ジュスティーノ》の三回目を観た(インスブルック、音楽館)。

歌手と配役についてもう一度。

今日は、フォルトゥーナ(運命の女神)とレオカスタ(皇帝の妹)の一人二役をやるサラ・ハヤシが不調であるというアナウンスが事前にあった。アマンツィオ(権力を簒奪するが、すぐに退治される)役のベネデッタ・ザノットも喉の不調と思われた。歌い回しに様式感はあるのだが、声がまるで声変わりの少年のようになってしまうことが度々起こるのである。調子が整った状態でぜひ聴いてみたいと思う。

3回観たが、フォルトゥーナとレオカスタの一人二役というのは、サラ・ハヤシのせいではなくて、演出としていかがと思った。二人の役柄の区別がつきにくいのである。それでなくても、メタスタージオものなどより人数が多くてストーリが複雑なのだから、むしろ観客にとって人間関係がすっきりと把握しやすいように作るべきであると思う。皆が、2度、3度、4度と観るわけではない。一度みてストーリや人間関係がわかるようにした方がよいのではないだろうか。しかも、《ジュスティーノ》はそれほど頻繁に上演される演目ではないのだから。一人二役をするなら、思い切って服装か持ち物を変えた方がわかりやすかったと思う。

このオペラにはいくつかの飛び抜けて叙情的なアリアもあるのだが、以外なほどセリアなアリアが多い。アナスタジオは皇帝だから威厳あるアリアがあって当然なのだが、農夫から皇帝にのぼっていくジュスティーノにも叙情的なアリアとともにセリアなアリアが多い。あるいは叙情性と威厳の入り交じった曲もあるし、ジュスティーノのアリアは多様性がある。アマンツィオは権力を簒奪するとホルンまで出てきて勇壮なアリアが歌われる。小アジアの暴君のヴィタリアーノにも同じく勇壮なアリアがふられている。しかもこの勇壮なアリアが聴きごたえがある。さらには、皇妃のアリアも毅然としたものが多い。しかしところどころに入る優れて叙情的なアリアのおかげで全体が重いとか堅苦しいとは感じない仕組みになっている。さすが赤毛の司祭。

歌手で歌もレチタティーヴォも形がきまっているのはアリアンナ役の Jiayu Jin.彼女の役は、暴君から迫られても皇帝への操をたて、囚われの身になっても毅然としている強いキャラクターなのだが、歌でも演技でもそのキャラクターを実に適切に表現していた。未知数なのは、アリアンナには求められていない甘美な表情やアジリタであるが、これはまた別の役柄で聴くことがあるのを楽しみにしよう。

ヴィタリアーノ役の Thoma Jaron-Wutz は大いに可能性を感じる歌だった。レチタティーヴォがもう一歩。レチタティーヴォに関してはタイトルロールの Justina Vaitkute も同様だ。彼女はとても安定した美しい声を持っているのだから、レチタティーヴォにもう少し緩急がついて、引き締まるとアリアが一層映えるはずだ。成長を期待したい。

一人二役のサラ・ハヤシは、とても知的にレチタティーヴォもアリアも演技もコントロール出来ている人だと思った。喉が不調で、強い声が出ないなら出ないでそれをうまく補う術を心得て、聴かせるアリアになっていた。

アナスタジオの Maximiliano Danta はレチタティーヴォの緩急が上手い。声域もあるアリアでは地声で低いところまで出していた。

インスブルックではチェスティ・コンクールというのもやっていて、そこでの入賞者が翌年の若手オペラに出たりするのだが、この人は伸びそうとか思って聴くのも楽しいものだ。相撲でも幕内を観るのも良いが、十両で力をつけつつある若手を観るのも楽しいというようなことにも通じるかもしれない。

指揮者のステーファノ・デミケーリは、生真面目な指揮をする人で、四拍子で、全部の拍を強調してくるような時もある。曲想次第ではあるが、もう少し肩の力を抜いてさらっと流すところもあって良いのではとも思った。楷書で書くとすみずみまで形がわかる。つまり、楽譜が見えるような指揮もあって良いのだが、曲によっては勢いにのってノリが欲しいところもあるのだ。

 

 

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2025年8月21日 (木)

チェスティの家

作曲家チェスティの家を見た(インスブルック)。インスブルックの大聖堂前の広場に面した立派な家で、近年修復され、現在は一般市民が居住している。チェスティが住んでいたことを示すプレートもある。

17世紀の大作曲家チェスティは一般にはあまり知られていない作曲家かもしれない。が、生前は大作曲家であったし、近年、彼の作ったオペラが蘇演(復活上演)され、《ラ・ドーリ》などはブルーレイも発売されている。インスブルックには縁の深い作曲家なのだ。

アントニオ・チェスティが生まれたのは、トスカーナ地方のアレッツォで1623年8月5日のことだった。彼は最初はフランチェスコ会の修道士となる。若いころは歌手として活躍していた。シエナで最初にオペラが上演された際にも歌ったようだ。1640年代にフィレンツェのメディチ家の庇護の下に入る。そしてフィレンツェの文人グループの集まりである Accademia dei percossi のメンバーとなる。17世紀、18世紀のイタリアの文化活動(オペラ創作を含む)にとってアッカデーミアは大変重要だ。イタリアの場合は、各都市に複数のアッカデーミアが存在することが多い。チェスティはこのアッカデーミアを通じて、ジョヴァンニ・フィリッポ・アポッローニやジャチント・アンドレア・チコニーニと知り合うが、かれらはチェスティがオペラ作曲家となった時に、リブレットを提供している。

チェスティに関して注意すべきなのは、古い資料には誤解があって彼のオペラの初演地がヴェネツィアと書いてある場合に、実はインスブルックが初演地であることがある。たしかにチェスティは1651年にヴェネツィアでオペラを発表して成功をおさめるのだが、その翌年から約5年間、インスブルックのフェルディナント・カール大公のもとで働いているのだ。

1655年には《アルジーア》がインスブルックで初演されているが、リブレッティスタは前述のアポッローニで、しかしもっと重要なのは、これがスウェーデン女王クリスティーナが、自ら退位し、ローマへ居を構える途中で、しかもここで正式にカトリックに改宗したのを記念しての上演であった。クリスティーナはプロテスタントからカトリックに改宗した女王であったので、カトリック教会にとっては対抗宗教改革という観点からもっとも優遇すべき人物であり、実際ローマに住むようになってから彼女のサロンはローマ第一の文化的サロンとなった。

さて、5年間インスブルックで働いたチェスティだがさらに重要なポストを与えられるところであったのだが、ウィーンの皇帝レオポルト1世に招かれ宮廷楽長となった。その後、フィレンツェに戻りそこで亡くなった(毒殺されたという説もある)。

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コンサート《Combattimento》

《Combattimento》と題するコンサートを聴いた(インスブルック、アンブラス城スペインの間)。

モンテヴェルディの作品「Combattimento di Tancredi e Clorinda」を中心としたプログラムである。演奏は、Michele Pasotti と La fonte musica. マドリガルのような声楽曲をも演奏する団体なので、ヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネ、チェンバロ、テオルボの奏者の他にソプラノ、アルト、バリトン、バスの歌手がいる。

一時間前に開催されるレクチャーに参加したのだが、Michele Pasotti (リーダー)と Mauro Borgioni (バリトンで、Combattimento のナレーター役で大活躍)とソプラノの Alena Dantchevaが英語で語った。この日のコンサートは、'Combattimento di Tancredi e Clorinda' が初演の時、つまりヴェネツィアのモチェニーゴ家の館で上演された時のコンサートを再現することを目指している。'Combattimento di Tancredi e Clorinda' のテクストはトルクヮート・タッソの長編叙事詩『解放されたエルサレム』第12巻52-62,64−68編から取られている。周知のように、タッソの『解放されたエルサレム』はその中のエピソードがもとになって多くのバロック・オペラが書かれている。タンクレディはキリスト教徒の騎士で、クロリンダはイスラム教徒の女性。敵同士なのだが恋におち、この曲では、戦場で相手が誰とは知らず、激闘することになる。

モンテヴェルディ自身が書いているのだが、'Combattimento' の前にマドリガルが演奏された(詳細な曲目は不明)とのことなので、それをパゾッティが想像してこのようなものであったろうというプログラムで再構成しているのである。

その際には、モンテヴェルディとマントヴァやヴェネツィアで同時代の作曲家だったサラモーネ・ロッシ(1570−1630)やダリオ・カステッロ(1602−1631)の作品が選ばれている。

前半は

サラモーネ・ロッシの Sinfonia grave a 5

モンテヴェルディの

'Sfogava con le stelle' SV78

'Crud' Amarilli' SV94

'Anima mia, perdona' SV 80a

'Che se tu se' il cor mio' SV 80b

オルフェオから Sinfonia

'Ohimè il bel viso' SV 112

Sinfonia a doi violini e una viola da brazzo

'Zefiro torna' SV108

サラモーネ・ロッシの Sonata prima, detta Moderna

モンテヴェルディの 

'Hor che 'l ciel e la terra e 'l vento tace' SV147

ここで休憩

後半は

ダリオ・カステッロの 

Sonata XV a 4   これはなかなかスタイリッシュな曲だった。」

最後がモンテヴェルディの 'Il Combattimento di Tancredi e Clorinda' SV153

タンクレディ役とクロリンダ役は、部屋の端から登場し、わずかな身振りで演技らしきものもする(舞台衣装は身につけていない)。しかし圧倒的に分量が多いのは語り手である。語り手(バリトン)のマウロ・ボルジョーニは大喝采を得ていた。また、この作品では戦いというものを音楽で描写的に描きだしたことが革新的で Stile concitato (興奮した様式)を用いたとモンテヴェルディ自身が述べている。これは16分音符で弦が細かく刻むことによって緊張を表象しているのである。

戦いの場面をナレーションするということで、語り手というとレチタティーヴォ的なものであるわけだが、通常のオペラのレチタティーヴォよりはるかに分量が多く、出ずっぱりになるし、音楽的な起伏、伴奏のオーケストラも明らかに劇的な表情、振幅の大きな表現を意図しているのであり、それを見事に実現した上演で、モンテヴェルディのオペラとは異なった醍醐味があった。語り手のところは必ずしもモノディーではなく、後のロッシーニのバッソ・ブッフォのように、一音節に沢山の言葉が詰め込まれた早口の部分もあった。つまり語りの表情が激変するのである。語り手のマウロ・ボルジョーニは、'Compattimento'がモンテヴェルディの最高傑作だと断言していた。この日の演目であり、彼が最重要な役を演ずるということを考慮にいれねばならないが、彼がそう確信していることに納得のいく、大熱演で、その熱は聴衆に伝わった一夜であった。

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2025年8月20日 (水)

ランチ・コンサート

インスブルックの王宮庭園でランチ・コンサートを聴いた。

4人のアンサンブルで、メンバーは17〜19歳という若さ。グループ名は Studio 16。カールスルーエのギムナジウムに通っているとのこと。

しかしすでにいくつかのコンクールに入賞し、カールスルーエのヘンデル音楽祭で演奏したりしている。

インスブルック古楽音楽祭でのランチ・コンサートは、王宮庭園の東屋で開かれ、無料である。

東屋の三方はドアを開け放ち、その階段で座って聞く人、立ち見をする人もいる。

コンサートの内容も演奏も極めて質が高い。

この日のプログラムは 

リュリのシャコンヌ47 C-Dur

テレマンの トリオソナタ g-moll

リュリのパッサカリア 39 a-moll

Johann Konrad Baustetter (c.1700-c.1752)のトリオソナタ G-Dur   バウシュテッターというのは、ドイツ・オランダでオルガニスト・作曲家だった人。

Johann Christoph Pez (1664-1716)のソナタ8 g-Moll  ペツは、バイエルン選帝侯のカペルマイスターだった。

ヘンデルの トリオソナタ g-moll

楽器の配置はチェンバロ(Georg Schäfer)が奥にあり、その前に3人の奏者が並ぶ。真ん中がチェロ (Merle Riemann), 客席から向かって右側がオーボエの Anna Mai Johnnsen .  左がヴァイオリンの Elizabeth Zimmermann. 

曲目がトリオソナタなどということもあるが、チェロとヴァイオリン、ヴァイオリンとオーボエが目線を交わしながら音・リズムを合わせつつ弾く姿は一幅の絵を見ているような美しさ。特別なドレスを着ているというわけではない。目の前で演奏されるのを見ていると、旋律がヴァイオリンからオーボエへ、オーボエからチェロへ、といった様が耳でも目でも確認できて、音楽を立体的に把握出来るし、奏者の身体がスイングする様子が見えるのもこちらの音楽への没入を助けてくれる。一緒にのれる感じ。彼らは高い技巧の持ち主で、攻めるところは思い切ってテンポをあげて攻める。こちらもワクワク、はらはらするし、大喝采。

アンコールは意外なことに?ピアソラだった。すっとなでるようなヴァイオリンに、オーボエのややセクシーなメロディが絡んでいく。この4人はバロックで様式感ある演奏も、ピアソラも柔軟に魅力的にこなすのだ。素晴らしい才能。

 

 

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ヴィヴァルディ《ジュスティーノ》その3

ヴィヴァルディのオペラ《ジュスティーノ》を再び観た(インスブルック、音楽館)。

このオペラは、1724年1月23日にローマのテアトロ・カプラニカで初演された。カーニバル・シーズンの上演である。先日のコンサートのヘンデルの9つのドイツ・アリアの作曲とほぼ同時代である。また、この当時、ローマでサルテリオという金属の撥弦楽器(チターに似ていなくもない音色)がはやっていて、第三幕でジュスティーノのアリアに出て独特の効果をあげている。この時代、ローマでは女性歌手が舞台にあがるのは禁止されていたので、全員男性が歌った。つまり、アリアンナやレオカスタはカストラートが女装して歌ったのだ。これはヴィンチの《アルタセルセ》なども同様である。

リブレット(台本)は、アントニオ・マリア・ルッキーニによるものだが、彼のオリジナルではない。1683年にニコロ・ベレガンという人のリブレットにレグレンツィが作曲したのが最初だった。1711年にアルビノーニが同題材をオペラ化する時には、パリアーティが手を加え、1724年にヴィヴァルディがオペラ化するときにはさらにルッキーニが手をいれたわけだ。

ちなみに、他の作曲家の《ジュスティーノ》を見ると、1703年ドメニコ・スカルラッティ(ナポリ)、トンマーゾ・アルビノーニ(ボローニャ、1711)、Johann Christian Schiefferdecker のジングシュピール(ライプツィヒ、1700,ハンブルク、1706)。ヘンデルは1737年にこの題材を取り上げている。というわけで、この素材はかなり広く、様々な作曲家、様々な地域で取り上げられていたのだ。

このリブレットの特徴は、プロローグにではなくて、本編の話の中にフォルトゥーナという運命の女神が登場することである。第一幕5場で、フォルトゥーナが出てきて、眠っているジュスティーノを起こす。これは象徴的行為で、ここからジュスティーノが田舎の農夫である状態から、さまざまな事件を経て、宮廷に入り、騎士に叙せられ、ついには皇帝の共同統治者となる。ジュスティーノがアルトであるのも興味深い、皇帝であるアナスタジオの方はカウンターテナーで高い声なのだ。これは身分が高い方が高い声というバロック期の原則にそったものであると同時に、ジュスティーノが権力欲にはやる人物ではないことも示しているだろう。

 

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《Harmonie》というコンサート

《Harmonie》というコンサートを聴いた(インスブルック、Christuskirche).

Christuskirche はキリスト教会というほどの意味だが、場所がインスブルックの王宮庭園の北側の Martin-Luther-Platz という場所にあることから察せられるようにプロテスタントの教会である。インスブルックおよびオーストリアは圧倒的にカトリックの教会が多いのであるが、この演奏会がこの教会で催されたのには、十分な意味・意義がある。

この日の演目は、ヘンデルのドイツ語歌曲である。ヘンデルはオペラはほとんどがイタリア語台本に作曲し、その後オラトリオは英語台本に作曲しているので、彼の母語であるドイツ語につけたものは相対的に少ない。

バルトルド・ハインリッヒ・ブロッケスという人がハンブルクにいて、役人もしていたが詩人でもあった。この人が書いた『神における地上の悦びー自然詩と道徳詩』という詩集があって、これは自然を観察する(観察の中に顕微鏡を用いての観察や天体観察も含まれる)ことを通じて神の存在、素晴らしさを認識するということらしい。また敬虔主義(pietismus)を代表する詩集でもある。まあ要するに自然賛歌が信仰に通じている歌なのだ。ルター派のなかで、教義や儀式を重んじる人たちに対し、敬虔主義の人たちは、心からの信仰体験と日常生活での信仰実践を重んじたわけで、ブロッケスの詩は教会ではなくて、家庭で広く読まれたらしい(もちろんプロテスタント圏で)。

ちなみに、ブロッケスの書いたテクストに基づいた受難曲をヘンデル、テレマン、マッテゾンらが書いている。

さてこの日のコンサートは、上述のヘンデルの9つのドイツ・アリアをソプラノの Ana Vieira Leite が歌い、Concerto 1700 という管弦楽(この日は5人、ヴァイオリン、フルート、チェロ、チェンバロ&オルガン、エルツラウテ(金属弦のリュート))が伴奏をした。

ただし、プログラムの構成は凝っていて、この9曲が4つのパートに分かれ、かつ間に器楽曲が挟まるのだった。

パート1から見ていこう。

パート1は 《Deus sive Natura》(スピノザ)と題されている。神、即ち自然というスピノザの考えが、おそらく Concerto 1700のリーダーのDaniel Pinteño によって引用されている。

まず HWV389のフルート、ヴァイオリン、通奏低音のためのソナタからラルゲットが演奏され、

次に9つのドイツ・アリアの4番 Süße Stille, sanfte Quelle (甘美な静けさ、柔らかな泉)が歌われた。

続いて、HWV370 のヴァイオリンと通奏低音のためのソナタからラルゴ

次に9つのドイツ・アリアの8番 In den angenehmen Büschen (心地よい茂みの中で)

以上の4曲でパート1を形成している。

パート2は、《Über das Gute oder das Eine》(プロティノス)と題されている。Über das Gute oder das Eineは、善についてまたは一者について、ということで、プロティノスの哲学を象徴する考えだ。一者とは、すべての存在の根源であり、存在や思考をも超えた超越的原理。 パートごとの哲学者とモットーは、ヘンデルやブロッケスによるものではなく、この日のプログラムを構成した人による引用である。
パート2で演奏されたのは、HWV397からアダージョ。9つのアリア第一番 Künft'ger Zeiten eitler Kummer (未来の時代のむなしい憂い)。人は未来のことを思い悩むが、それは空しい。むしろ今ある自然の美と神の創造を喜ぶべきだ、というメッセージだという。HWV408のアレグロ。9つのドイツ・アリアの2番 Das zitternde Glänzen der spielenden Wellen (戯れる波の揺らめく輝き).以上の4曲がパート2.

パート3は、《Das evig lebendige Feuer》(ヘラクレイトス)永遠に生き生きと燃える火=太陽を題しているが、ヘラクレイトスは根源として火を重視した。ここで演奏されたのは、HWV396のアンダンテ、9つのドイツアリアから第9番、Flammende Rose, Zierde der Erde (燃えるようなバラ、大地の装飾), HWV374のアダージョ、 9つのドイツアリアの第5番、Singe Seele, Gott zum Preise (歌え、魂よ、神を讃えて)。以上の4曲。9つのアリアの番号は、プログラムに書かれたまま記述しているが、調べると、違った番号が出てくる。ご了承ください。

パート4は、 《Anima mundi》(ジョルダーノ・ブルーノ)。世界の魂。ブルーノによれば宇宙自体に生命があり、anima mundi による貫かれる。HWV 388からアンダンテ。9つのドイツアリア、7番、3番、6番が連続で歌われ、全体を締めくくった。

アンコールには、第4番の冒頭が歌われた。

これらの9つのドイツ・アリアが書かれたのは1724-27年でオペラの《エジプトのジュリオ・チェーザレ》が書かれた時期と近く、リズムや曲想が似ているものがいくつかあった。また、9つのアリアのうち1つを除いてはダ・カーポ・アリアの形で書かれている。ただし、劇場用のものではないので、派手な効果をねらった曲想ではなく、静かに上述の哲学的・宗教的想念を叙述していくタイプの歌なのだった。

ヘンデルのもう一つの世界が開示されたきわめて興味深いコンサートだった。

歌手のAna Vieira Leite は、綺麗な響きの伸びやかな声なのだが、前のコンサートでもそうだったように子音が弱く、歌詞が聞き取りにくいのだった。言葉を伝えることは、歌う際に最も重要な要素の一つであることは言うまでもない。彼女の気づきと成長を期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2025年8月18日 (月)

ヴィヴァルディ《ジュスティーノ》その2

演奏と演出について。歌手とオケについて。

指揮は Stefano Demicheli オーケストラはこの音楽祭のために編成されたオケ。

ジュスティーノ役は、アルトの Justina Vaitkute。落ち着いた安定した歌唱で素晴らしい。強いて難を言えば、場面が緊張した際にも、その歌唱の表情に変化が乏しく、劇的起伏がもう少し欲しいと思わせるところだろう。

アナスタジオ(皇帝)役は、カウンターテナーの Maximiliano Danta で高音までよく出るし、音楽を引き締まった表情に変える手際も巧みだ。

アリアンナ(皇妃)役はソプラノの Jiayu Jin. ほんの少し金属的と言ってもよいほど、張った通る声である。

レオカスタ(皇帝の妹)とフォルトゥーナ(運命の女神)の二役は、ソプラノの Sarah Hayashi. 演技と歌唱とレチタティーヴォのバランスが取れていた。若手オペラは準備・練習に時間がかけられるせいか、総じて皆レチタティーヴォがしっかりしていて聴いていて気持ちが良い。

ヴィタリアーノ(小アジアの暴君)役は、テノールのThoma Jaron-Wutz. 幕が開く前に調子が悪いというアナウンスがあったが、会場が小さいせいかほぼ問題なかった。

アンドロニコ(ヴィタリアーノの弟)役はメゾソプラノの Lucija Varsic. 背が高い女性。

アマンツィオ(将軍)役は、ソプラノのBemedetta Zanotto. 派手ではないのだが、端正な様式感のある歌を聴かせる。

ポリダルテ(ヴィタリアーノの部下)はテノールの Massimo Frigato. 背が高い。

登場人物が8人いて、もつれあうと、なかなか人物関係を把握し、頭の中で整理するのがむずかしい。

メタスタージオのリブレットが主要登場人物は6人程度におさえて、筋を簡潔にしたのもうなずける。ただし、ルッキーニの書いたこのリブレットには、アンドロニコのように女装して、それゆえにレオカスタからあらぬ嫉妬をかうというユーモラスな場面や、アンドロニコが実は男だと明かす場面などがあって、現代人にも大いに受けそうな要素がある。

舞台には大きな枠があって、なぜか時計もあり、逆向きに針が進行したり、通常の向きに進行したりする。また、登場人物の何人かはメガネをかけたりはずしたりするが、どうも劇全体の最初と最後はドラマの枠の外ということらしく、服装もその際には白黒に変わる。それが何を含意しているのかは今のところ不明。もう一つ、手袋を数人の登場人物が、片手にはめたり脱いだりする。

舞台には大きな四角柱が2つあって、それぞれの壁面に絵が書いてあり書き割りの役割を果たすのだが、ときどきそれがまわって別の面が見える仕組み。なかなか面白いアイデアかと思う。また、その書き割りがルネサンス・バロック期の建物で登場人物の服装もそのあたりの時代のようであった。つまり、古代ではない。それが回転して別の面が見えると森の書き割りになっていて、場面は森になるのだった。舞台は全体としてすっきりした美観を保っていて、ヴィヴァルディの世界にふさわしいと言えよう。熊や羊のかぶりものをかぶった人物がでてきたのは、ジュスティーノの出自が農夫ということをユーモラスに表象していたのであろうが、なごやかな雰囲気を舞台に与えていた。

 

 

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ヴィヴァルディのオペラ《ジュスティーノ》その1

ヴィヴァルディのオペラ《ジュスティーノ》を観た(インスブルック、音楽堂)。

音楽堂(州立劇場の隣)地下の数百人収容の小さめのホールである。インスブルック古楽音楽祭は通常のオペラと若手オペラがあり、これは後者の方。だから今回もチェスティ声楽コンクールの去年の入賞者やセミファイナリストが出演している。30歳前後の人が多い。

オーケストラも常設ではなく、音楽祭のために編成されたもの。日本人女性のヴァイオリストも2人いた。

《ジュスティーノ》は歴史上実在の人物にもとづいた話だ。

ユスティヌス1世(450頃−527)は農民出身だが、皇帝にのぼりつめた。彼がモデルなのである。ちなみにユスティヌス1世の甥がユスティニアヌス1世(法典などで名高い)である。

以下あらすじ

第一幕

皇帝アナスタジオと皇妃アリアンナの結婚と戴冠。しかし将軍アマンツィオが不吉な知らせをもたらす。

小アジアの暴君ヴィタリアーノがアリアンナを要求し、応じなければ戦争になると。ヴィタリアーノの部下ポリダルテがこの脅迫的なメッセージを伝える。アナスタジオは拒み、アリアンナは戦場についていく。

ジュスティーノは農民としての生活に飽きているが、夢をみる。夢で運命の女神フォルトゥーナから運命を受け入れるように告げられる。ジュスティーノは熊に追われるレオカスタに遭遇し、熊を退治する。レオカスタは皇帝アナスタジオの妹で、彼女のおかげで宮廷に出入りがゆるされる。

ヴィタリアーノの弟アンドロニコは女装してフラーヴィアと名乗り宮殿にはいりこむ。フラーヴィア(アンドロニコ)はレオカスタと接触する。アンドロニコは密かにレオカスタに恋している。レオカスタのジュスティーノへの愛を知るとアンドロニコは嫉妬する。

その間、妃アリアンナは捕まる。彼女を助けるため、ジュスティーノは皇帝アナスタジオから騎士に叙せられる。ジュスティーノは忠誠を誓い、レオカスタはジュスティーノに恋する。アンドロニコ=フラーヴィアは嫉妬するが、レオカスタはアンドロニコはジュスティーノが好きなのだと誤解する。

捕まったアリアンナはヴィタリアーノの前に連れていかれる。ヴィタリアーノは結婚を迫るが、アリアンナは拒絶。侮辱されて、ヴィタリアーノはアリアンナを海の怪獣に喰われるようにと命じる。それでもアリアンナは屈せず、アナスタジオに別れの言葉を告げる。

第二幕

皇妃アリアンナを捜して、ジュスティーノとアナスタジオは、海を渡り、難破する。アナスタジオはアリアンナが見つからないことに絶望する。

ヴィタリアーノの部下ポリダルテは、アリアンナを嘲り岩に縛り付ける。海獣がやってきて彼女を襲うだろうと。海獣が現れ、アリアンナが助けを求めると、ジュスティーノが駆けつけ海獣を殺し、アリアンナを助ける。アナスタジオが何でも望みをかなえてやるというがジュスティーノは断る。皇妃を助けたことは十分名誉だからと。

ここで休憩

ヴィタリアーノの怒りは鎮まり、アリアンナの遺体を捜す。しかし見出したのは海獣の遺体だった。

宮廷の侍女としたアンドロニコ=フラーヴィアは、自分はジュスティーノを尊敬するけれど恋してはいないとレオカスタに言う。

ジュスティーノはヴィタリアーノを捕らえ、皇帝アナスタジオのところへ連れていく。将軍アマンツィオはジュスティーノの成功に嫉妬し、皇帝の心に毒の種をまく。ジュスティーノには権力への野心があると。

ヴィタリアーノは自分の犯した罪を認めるが悔いはしない。アナスタジオはアリアンナにヴィタリアーノのベルトを与える。アリアンナはジュスティーノのほうびにふさわしいと言うが、アナスタジオは無視する。

アンドロニコはレオカスタを森におびきよせ、自分が男であることを明かす。前から好きだったことを告白し、彼女に迫る。ジュスティーノが現れ、彼女を救い、アンドロニコを捕まえる。レオカスタはジュスティーノへの愛を告白する。

第三幕

ヴタリアーノとアンドロニコ兄弟は牢屋から脱出し、復讐をたくらむ。

アリアンナは助けてもらったお礼にジュスティーノにベルトを授ける。将軍アマンツィオはそれをアナスタジオに告げる。怒った皇帝は二人を呼び出し、釈明を求める。二人の説明に満足せず、皇帝は嫉妬に燃え、アリアンナを追放し、ジュスティーノに死刑を宣告する。レオカスタとジュスティーノは別れを告げる。

企みの成功を確信して将軍アマンツィオは、皇位ののっとりを図る。

レオカスタの助けで、ジュスティーノは牢屋から脱出する。運命の女神に見捨てられたと感じ、眠る。ヴィタリアーノとアンドロニコ兄弟は眠っているジュスティーノを発見し、復讐を遂げようとする。突然、彼らは亡き父の声を聴く。三人は兄弟だというのだ。三人はアマンツィオの反乱を鎮圧しようと決意する。レオカスタはジュスティーノのことを心配している。アリアンナは彼女にアマンツィオのクーデターを告げる。

王位を簒奪したアマンツィオは、アナスタジオとアリアンナに死刑を宣告する。そこへジュスティーノ、アンドロニコ、ヴィタリアーノが現れ、アマンツィオをやっつける。アナスタジオは、アマンツィオの言うことを信じてしまったことをわびる。ジュスティーノは自分の兄弟のしたことの赦しを求める。二人(アンドロニコ、ヴィタリアーノ)はアナスタジオへの忠誠を誓う。アナスタジオはジュスティーノを共同統治者に任命し、レオカスタとジュスティーノが結婚する。

 

 

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2025年8月17日 (日)

『魅せられた森』

『魅せられた森』という名のコンサートを聴いた(インスブルック、王宮大広間)。

王宮の大広間 (Riesensaal)では、インスブルックの音楽祭で毎年コンサートが行われている。この大広間は天上が高く、壁面にはハプスブルク家の歴代の君主や王女らの等身大以上の肖像画があり、入り口の反対側(突き当たり)にはマリア・テレジア、夫君フランツ、その子息ヨーゼフ2世の肖像ががあり、特別な空間である。

ただし、音響的には、残響時間が長く、毎年奏者は最初の何曲かは響きの過剰さの調整に苦労しているように見受けられる。特に、チェロやコントラバスはボワン、ボワンと響き、コントロールが難しそうだ。歌手は歌手で、子音が聞き取りにくい。前の音が消え去る前に次の音を出すわけなので、こういう場合にはより子音を強調しなければならないだろう。

「魅せられた森」即ち、魔法にかけられた森、というのはタッソの叙事詩『解放されたエルサレム』の12,13巻から来ている。バロック・オペラにはタッソのこの作品のエピソードをもとにした台本が多くある。当夜のコンサートは、様々な作曲家の自然を歌ったアリアを集めたものだった。

演奏はオーケストラが Julie Chauvin 率いる Le Concert de la Loge. インスブルックではここ数年続けてコンサートを開催している。独唱者がソプラノの Ana Vieira Leite. ポルトガルの若手ソプラノで、伸びのある綺麗な声だが、前述のように会場の特性上、もう少し子音が欲しいところであった。会場が変わればこの不満は解消されるのかもしれないが、会場に合わせて歌う必要もあるだろう。もう一人の独唱者は、メゾ・ソプラノの Eva Zaicik 。フランスのメゾで、バロックからロマン派まで幅広いレパートリーを持っている。安定した歌唱を聴かせた。曲によっては、もう少しはらはらする表情を聴かせてもよいのではと思ったが、そういう曲ではオケが十分にハラハラさせる要素を聴かせているので、大きな不満はなかった。

プログラムは、冒頭が Francesco Geminiani (1687-1762)の《魅せられた森》からという器楽曲だったが、これには説明が必要だろう。この曲はもともとフランスでテュイルリー宮でパントマイムを上演する際の音楽(この当時のフランスのパントマイムはバレエを伴うことが多く、台詞や合唱もつくこともあったのだが、このジェミニアーニ作品がどうであったかは不明)を五幕ものとして書いた。しかしこの作品は失敗に終わった。後にジェミニアーニがコンサート作品として書き直したものが当夜演奏された。楽譜はこちらのコンサート作品(コンチェルト・グロッソ)の方しか残存していないのである。

ヘンデルの《パルテノペ》から 'Qual farfalletta'

ヘンデルの《テオドーラ》から 'Thither let our hearts aspire'  ここで判るように、ヘンデルは歌詞がイタリア語のものと英語のものがそれぞれ複数演奏された。

ポルポラの《アグリッピーナ》から 'Mormorando anch'il ruschello'

 再びジェミニアーニのコンチェルト・グロッソの一部。

ヘンデルの《オルランド》から 'Verdi piante, erbette liete'

ヘンデルの Occasional Oratorio から 'After long storms and tempests overblown'

ここで休憩

後半はヘンデルの《イメネオ》から ’Sorge nell'anima mia' これは伴奏のオケが嵐のようにすさまじく、またすさまじい早さで演奏された。

ヴィヴァルディから三曲。

まず《テルモドンテ川のエルコレ》から 'Zeffiretti che sussurate'. これは川のせせらぎを半ば描写した可憐な曲なのだが、演奏に一工夫あった。メゾが歌っているのだが、姿が見えないソプラノがエコーの役割でフレーズの終わりを繰り返す場面がある。ソプラノは大広間の出口付近に隠れて歌っていたのだ。そしてその反対側には2人のフルート奏者がいて、川のせせらぎを表していた。こういった一工夫で、演劇性がぐっと増すし、観客の拍手は一層大きくなるのだった。

次は《ポントの女王アルシルダ》から 'Io son quel gelsomino' でこれは古典歌曲集にもはいっている馴染みの曲。

三曲目は、『四季』の春だった。観客の多くが1楽章で拍手をしたのはご愛敬。四季はオーストリアではさほど有名でないのか。

ヘンデルの《テオドーラ》から 'As with rosy steps the morn'

ヘンデルの《アミンタとフィッリデ》から二重唱 ’Per abbatter il rigore d'un crudel'.

大拍手につつまれてアンコール1曲。

2時間強の充実したコンサートであった。

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ミサ・ソレムニス

ザルツブルク大聖堂のミサ・ソレムニスに出席した(ザルツブルク大聖堂)。

8月15日は聖母被昇天の日なのでカトリックの国では重要な祝日で、町の商店は閉まる店が多い。大聖堂では音楽つきのミサ、ミサ・ソレムニスがあるので出席した。先日のインスブルックのミサと比較したい気持ちがあった。

この日の司祭の列は人数は20人ほどいたかと思われる。司教の話でわかったがインドの枢機卿とベルガモの司祭が特別に参加していたとのこと。その理由は不明。

式次第の紙が配られなかったので、この日用いられた音楽が何であるかは不明だが、様式的にモーツァルトの時代なので、ザルツブルクでこの大聖堂のために音楽を書いていたミヒャエル・ハイドンの曲かもしれない。聖体拝領の際にはモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスが演奏された。

曲をたっぷり演奏したせいか式は全体で1時間50分。音楽付きミサの構造は、レチタティーヴォ的部分とアリア的部分が交錯し、オペラの構造と似ていると思う。時間軸を考えれば、教会がオペラに影響を与えたのであろう。ただし、原初のオペラでのレチタール・カンタンドではアリア的な要素が乏しいので、そもそも発祥の時点ではさほど音楽つきミサ云々ということはなかったであろう。

インスブルックでもそうだったが、合唱団や弦楽奏者は、入り口の上方にいる。ザルツブルクの大聖堂の場合こちらにより大きなパイプオルガンがあってこの日はそのオルガンも要所要所で演奏されていた。いつも感じることだが、御堂全体が鳴り響く音響は、教会で体感しなければ理解できないマッシヴな音である。

教会の入り口では特別な民族衣装を着た女性信徒たちが野の花を集めた花束を売っていた。聖母が天に昇った際に、空に棺に草花が残っていたというエピソードに由来する聖母被昇天の時の特別な習慣かと思われるが、どこの町でもやっているのかどうかは判らない。

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オペラ《ホテル・メタモルフォーシス》その3

パスティッチョ・オペラ《ホテル・メタモルフォーシス》を再び観た(ザルツブルク・Haus fur Mozart).

この日は事前にアナウンスがあり、バルトリが体調不良により声の調子がよくないことをご了承くださいとのこと。エアコンの調子・調整がうまくいかなかったらしい。歌手というのは身体が楽器であるゆえの大変さがあるなあ、といつも思う。そのせいで、キャリア全体を考えても、音楽的な成熟と、楽器としての喉の成熟がうまく重なればよいけれど、必ずしもそうとは限らないわけである。

結論から言うと、バルトリの歌は、個人的には今回の方が好ましかった。喉の調子が悪いので、派手なヴァリエーションを避け、曲にゆだねる割合が高かった。最後に歌われるアリア 'Gelido in ogni vena' は、技巧の限りを尽くして歌うより、その少し手前で歌ったほうがより心に迫るのだった。この場面、エウリディーチェとしてのバルトリが、オルフェオの生首を前にして切々と歌う。それに先立つ場面でオルフェオは集団に虐殺されている。合唱が、《勝利するユーディット》からの戦いの場面を歌っている。ということもあって、オルフェオの生首は、戦争で無残に殺された死者と重なって見えるし聞こえる。作品全体のバランスからすると、いかがと思うところもあるのだが、アクチュアリティという点では迫ってくるものがある。

歌手としてはやなりレア・デザンドレがフレッシュかつ伸びやかな声で喝采をさらっていた。彼女は一曲だけ様式感が崩れるアリアがあって、それは今回はテンポを少しおとして調整していて、改善はしたのだが、将来に期待したいところだ。これで様式感が備われば鬼に金棒だと思うがすでに売れてしまうとそれは難しいのかもしれない。

ナレーションで物語を進めることの功罪。オルフェオが舞台まわしになってナレーションをマイク付きで行う。これにより一つの幕の間に度々マイクで拡大された音がはいるのは音的に快適でない。また、登場人物は一切レチタティーヴォがないわけで、それもこれほど極端だと物足りなさを感じるのであった。外国語のレチタティーヴォはかったるいと思っている人にはすっきりしていてよかったのかもしれないが、この場合はドイツ語のナレーションなので、ヴィヴァルディのオペラのイタリア語の歌詞との接合はぎくしゃくせざるを得ない。だが、前にも書いたように、ヴィヴァルディのオペラ・アリアの素晴らしさの啓蒙作品なのだと割り切れば、それは些細なこととも言えるのかもしれない。個人的には、この作品を通じてでもヴィヴァルディ・オペラの人気が高まってほしい。

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インスブルックーザルツブルク間のバス

インスブルックとザルツブルク間、今の時期、電車が止まっており、バスで移動した。

イタリアでもドイツでもオーストリアでも経験したことがあるのだが、8月半ばに、電車が点検や工事のためにストップし、代替輸送として鉄道会社がバスを運行することが決して珍しいことではない。今回はインスブルックとザルツブルクの間でそれを経験した。数ヶ月前に日本でチェックした時点では電車は運行していたし、あと数日もすればまた運行が再開されるのであるが、8月に旅行をする時にはバス運行に振り替えになる可能性を考慮しておいた方がよいだろう。

注意すべき点をいくつか。

1.インスブルックの中央駅では、この代替運送のバスは貨物駅のところから発着する。中央駅の前にはバスターミナルがあるがそこから発着するのではなく、駅の地下通路で線路をすべて横切って貨物駅の口(駅の正面からすると裏口という感じである)に出てそこからバスに乗り降りする。ちなみにザルツブルクの場合は街中に出るバスと同じバスターミナルから発着する。

2.所要時間が電車の場合の2倍強となる。電車ならたとえばインスブルックーザルツブルクは一時間程度だが、バスだと高速道路を使っても2時間20分ほどかかる。この旅程の場合、実は間にドイツをはさんでいるので、場合によっては国境でコントロールがある。かつてはシェンゲン協定のためコントロールはなかったのだが、最近になってドイツの移民規制が厳しくなり、国境コントロールが厳しくなったのである。私の乗ったバスは止められなかったが、止められているバスを見た。その場合、さらに時間がかかることになる。

3.インスブルックからのバスもザルツブルクからのバスも、定刻より数分から10分ほど早く出た。日本では定刻より早く出ることはなかなか考えにくいのだが、インスブルックからのバスはまだ空席もあったのに定刻より早く出たのだ。利用する人は早めにバスの発着所に行かれたほうがよいかと。

4.インスブルックからザルツブルクのバスは直行便と途中二カ所ほど停まる便とがあり、所要時間は20分ほど差がある。逆方向も同様。

5.ここには書かなかったが途中まで電車で行き、バスに乗り継ぐ可能性もあった。しかし電車の遅延などで乗り継ぎに失敗すると痛いので、わたしはそれは試していない。

 

 

 

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2025年8月16日 (土)

ヘンデル《ジュリオ・チェーザレ》

ヘンデルのオペラ《エジプトのジュリオ・チェーザレ》を観た(ザルツブルク、Haus fur Mozart).

ヘンデルのこのオペラは《ジュリオ・チェーザレ》と呼ばれているが、正式には《エジプトのジュリオ・チェーザレ》である。ジュリオ・チェーザレを扱ったオペラは実はバロック期に沢山あって、微妙にタイトルが異なっていたりする。昨年インスブルックで蘇演されたジャコメッリのオペラは《エジプトのチェーザレ》でストーリはほぼ同じ。

歴史上の事実としてもユリウス・カエサル=ジュリアス・シーザー=ジュリオ・チェーザレは、エジプトに行き、クレオパトラと親密な関係になったわけだが、オペラ化されているのは、チェーザレとの戦いに敗れエジプトに逃れたポンペオ(ポンペイウス)がトロメオにより殺され、トロメオが首をチェーザレに献上するのだが、チェーザレはそれを喜ばず、ポンペオの妻コルネリアと子セストは復讐を誓うといったところから話は始まる。

今回のものは、曲はおなじみのものだが演出は新演出である。演出家はドミトリ・チェルニアコフで、舞台を核シェルターあるいは防空壕あるいは工場の地下といった感じのコンクリートの塊の建造物で地下、それが三つの部屋・区域に分かれており、登場人物はみな現代服でかつ労働者的服装である。エリートとか富豪とかいった感じはまったくない。この演出あるいは衣装の欠点は、エジプト側なのかローマ側なのかが一目でわからないことだ。ポンペオは髪型がなんなくトランプ大統領を思わせる。

昨今の世界事情を反映して核シェルター的・防空壕的空間で展開されるのだろうが、個人的には服装はもう少しエレガントでも良かったのにとも思う。チェーザレも演出家の意向によりずっと陰鬱な感じに描かれる(これは明らかに歴史的事実に反する)が、戦争が現在進行中の気持ちが晴れることのない指導者と考えることが出来よう。ロシアのプーチン大統領は、ジャーナリズムでは皇帝とよばれていることも頭をよぎる。一対一対応でどれが誰というのではないが、こういう設定にしたのはウクライナでの戦争が影を落としている可能性があると言うことだ。

まあ、こういう演出も一つの可能性としてはありうるが、チェーザレの性格と音楽は齟齬をきたしていたと考える。チェルニアコフに限らないが現代の演出家は、リブレットをないがしろにすることをなんとも思っていないかのようだ。

チェーザレはクリストフ・デュモー。クレオパトラはオルガ・クルチンスカ。彼女は声は出るのだが、バロック歌唱の様式感はやや乏しい。コルネリアは Lucile Richardot. ボリュームのある声。セストはフェデリコ・フィオーリオ(ソプラニスタ)である。彼はやたらと跳ね回り、飛び回る演戯をさせられていた。これもどうかと思った。フィオーリオは澄んだ声で、少年の役柄にあっていたし、バロック歌唱の様式を備える歌だった。トロメオはユーリ・ミネンコ(カウンターテナー)。アキッラがアンドレイ・チリコフスキーでこれも一貫して暗い人物として表象されていた。

ここまで暗い演出でも、ヘンデルの音楽は喜ばしかったり、晴れやかであったり、堂々としていたり、しんみりしていたりと変化に富んでおり、実に素晴らしい。指揮はエマニュエル・アイム。さっそうとし、キビキビとした指揮で音楽がだれることがない。最後の合唱が晴れやかにならなかったのは演出家が自らハッピーエンドが信じられないとプログラムに書いているので、それを反映しているのかと思う。こういうコンセプトは本来ならまったくオペラ・セリアを理解していない演出とも言えるが、それを圧する現実が演出家をさいなんでいるのだろう。幾重にも不幸な現実が存在する時代にわれわれは生きているのである。

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2025年8月14日 (木)

オペラ《ホテル・メタモルフォーシス》その2

演奏・演出について。

前項で演出の枠組みについてはすでに書いたが、オルフェオが語り手となって舞台にいるのだが、それを演じるのは女性で、筆者はずっとナレーターであると勘違いしていた。

オルフェオが次々にオウィディウスの『変身物語』のエピソードを語っていく。

この仕組みを考えたのは演出家のバリー・コスキーである。前半はエピソードの並列で、後半になるとオルフェオが虐殺され、エウリディーチェ(バルトリ)が前面にでてきてそれを悼む。演劇の構成としては、不思議な構成であるとも思うが、このプログラムの他面的な目的を考えると、こういうのもありなのかもしれない。

歌手について。チェチリア・バルトリはその技巧は健在で、後半に弱音での表情の変化をグラデーションのようにつけて悲嘆を表していたが、前半は舞台自体がマスメディアらしきものを登場させ、インタビューされる呈で、マイクの使用を自然なものにしていた。

フィリップ・ジャルスキーは、かつての輝かしい高音はかなりくもったものとなっていたが、中音部やスローな曲になると、聴かせる部分があった。レア・デザンドレはフレッシュな声で柔軟性のある音楽性を発揮した結果、うまくいっているアリアと形が大幅に崩れたアリアがあったが観客には大受けしていた。Nedezhda Karyazina は、大柄な女性でミネルヴァやジュノーという役柄にふさわしかったし、多様な歌が歌える人と見た。

ザルツブルクとインスブルックでは明らかに客層が異なる。そもそも音楽祭の性質が大きく異なっていて、インスブルックはルネサンスおよびバロックの専門店であり、ザルツブルクは百貨店で何でもありだ。モンテヴェルディをやることもあれば、モーツァルトもヴェルディもワーグナーも20世紀、21世紀のオペラや器楽曲も演じられるわけだ。だからバロック・オペラという観点からはインスブルックが古楽を専門とする演者が多く、様式感を感じる。

しかしだからこそ、ザルツブルクでヴィヴァルディ名アリア集のようなパスティッチョ・オペラを上演する意味・意義は大きいと考える。今まで、ヴィヴァルディにオペラがあること、あるいはそのアリアがどれだけ魅力的であるかを体験したことがなかった人にそれを実際に体験してもらうということだ。それに較べればここの歌手の様式感うんぬんは些末な話であるかもしれない。

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オペラ《ホテル・メタモルフォーシス》

オペラ《ホテル・メタモルフォーシス》を観た(ザルツブルク、Haus fur Mozart).

以前にも書いたがザルツブルクで Haus fur Mozart というのはやや紛らわしい。ザルツブルクにはモーツァルトの生家と、それとは別に後にモーツァルト一家が暮らした家があるからだ。オペラの会場になるのは大劇場やフェルゼンライトシューレと呼ばれる劇場の並びにある。川を渡って来る場合には向かって左がわになる建物だ。

さて作品だが、現代の人(演出家のバリー・コスキーか)が、ヴィヴァルディのオペラのアリアやオラトリオのアリアをアレンジしたパスティッチョである。台本(リブレット)も、ヴィヴァルディのオペラの台本ではなく、まったくの新作である。主に、オウィディウスの『変身物語』からいくつかのエピソードを取り上げている。

ジャルスキー演じるピグマリオンが象牙の人形を作り、それに命が吹き込まれる話。また、アラクネが織物の名手でミネルヴァと競争し、女神を怒らせアラクネは辱められ自殺しようとするが救われクモとなる。

ミルラというフェニキアの王女が父に恋し、正体をいつわって父と交わる。妊娠するが、樹になる。木の名前はミルラ。彼女が涙が樹液となって今でも樹液を流す。

こういったオウィディウスのエピソードが脈絡なく並べられるが、ダンスがところどころに入る。またP.A.が入るので、音響的にはミュージカルのようである。あるいは映画館で聴くような音になる。あーあ。しかしところどころではP.A.が切られて生音になるのだった。わーい。P.A.の音と生音の混合はまったくいただけないのであった。オケの性能は高いのだが、せっかく表情を豊かにつけているのに、ひたすら大きい音へと拡大されがさつな感じに聞こえてしまうのはとても残念だった。

そして場面のはじめにはマイクを通じてナレーションがはいり、変身物語のエピソードの解説および意義が語られる。このナレータはプログラムを読んで判明したのだが、オルフェオなのだった。中年女性のナレーションだったので、オルフェオとは思わなかった。言われてみれば彼女のオルフェオは後半で虐殺されるので、あの世から帰ったオルフェオが巫女たちに虐殺されるのと照応している。ま、それにしてもオルフェオが変身物語のエピソードをなぜ語りつづけるのかはよくわからないが。

オルフェオ(語り手の女性)の生首が舞台にはずっと置かれ、バルトリのエウリディーチェがそれを悼みつづけるというのが後半の最終パートなのだが、それはいかにもここ数年の戦争、紛争で無残な死をとげた人への追悼に通じるものと思われた。それが現代の観客へのメッセージなのかもしれない。

またそれとは独立に、芸術面から想像すると、このプログラムは、ザルツブルク音楽祭の観客、つまりワーグナーやヴェルディやリヒャルト・シュトラウスなどに慣れている観客に、ヴィヴァルディにもこんな素晴らしい曲があるよ、と啓蒙するプログラムだったのではないかと思う。バルトリがそれを望んだとしても不思議はないだろう。バリ−・コスキーは2年前のインスブルック音楽祭でのヴィヴァルディ特集にも注目していたと見えて、その際に上演されたオペラ《忠実なニンフ》、《オリンピアデ》、オラトリオ《勝利のユーディット》からそれぞれ複数曲が今回のパスティッチョ・オペラに採用されていた。

その意図は成功して、会場は終演後、大きな拍手と歓声につつまれた。

 

 

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2025年8月13日 (水)

カルダーラ作曲《アウリデのイフィジェニーア》その6

カルダーラ作曲《アウリデのイフィジェニーア》の3度目の公演を観た(インスブルック、チロル州立劇場)。

3度観ると、未知のオペラが既知のオペラとなる。ストーリが頭に入り、曲も聞きなじみとなるからだ。今日は、平土間ではなく、左右に桟敷席というほどではないのだが、一段高くなった席があってそこから観た。この席からだと、オーケストラおよび指揮者がよく見える。字幕もよく見える。

今日はオーケストラピットの両脇にヴィデオカメラが二台(自動かリモートコントロールで被写体を追う)と平土間後方に四台、上方にもヴィデオカメラがあったのでテレビ中継、あるいは配信、あるいはDVD、ブルーレイになるかもしれない。個人的にはブルーレイになってほしい。

さてオケがよく見える席で、気づいたことをいくつか記す。

ダントーネのノリのよい指揮。彼はチェンバロに座っての弾き振りなのだが、身体の動きがリズミカルである。バロック期のスコアは旋律と通奏低音の部分がほとんどなのでオーケストレーションは現代の指揮者がほどこすことが多いのだが、今回のオーケストレーションには強い傾向があって、弦楽器が支配的であった。リズムを刻むときも、メロディーを奏でる時も、まずはコンサートマスターのタンピエーリが中心になり、対位法的な動きを他の弦楽器との間に交わすことが多い。時たまオーボエも出てくるのだが、その出番は多くはなく、しかもリズムや音型を刻むことが多く、叙情的にメロディーを奏でる場面がほぼない。むしろファゴットのほうが活躍するくらいだ。指揮のダントーネがオーケストレーションをほどこしたのではないかと思うが、前述の傾向はカルダーラが持っていたのを反映させたのか、あるいはダントーネの癖、音楽観が反映したものかは不明である。

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2025年8月12日 (火)

Scarlatti!

Scarlatti! と題するコンサートを聴いた(インスブルック、Haus der Musik).

Haus der Musik は州立劇場の隣にある黒い建物である。Scarlatti というのはアレッサンドロ・スカルラッティ(1660−1725)のことで、今年は没後300年の記念年なのだ。演奏はオッタヴィオ・ダントーネ指揮のアッカデーミア・ビザンティーナと、4人の歌手。ソプラノの Carlotta Colombo, カウンターテナーのPaul-Antoine Benos-Djian (Benos のeにアクセント記号)、テノールの Ziga Copi(ZとCにアクセント、ジーガ・ツォピと発音するらしい)、バリトンのMarco Saccardin.

インスブルック古楽音楽祭のオペラや演奏会では、開演の一時間前に20-30分程度のレクチャーがある。司会者はたいてい同じChristian Moritz-Bauer で、彼はドイツ語も英語もイタリア語も出来るのだが、演奏者や演出家がドイツ語に堪能だとドイツ語だけで話が進行してしまいついていけない。今回はダントーネと歌手も2人イタリア人なのでイタリア語か英語で進行することを期待してレクチャーを聴いた。レクチャーはMoritz-Bauerの司会で彼の説明はドイツ語、演奏者のゲストは3人で指揮のダントーネとソプラノのコロンボとテノールのツォピ。3人は英語で話した。レクチャーというかイントロダクションの内容で興味深かった点をいくつか挙げる。ダントーネの話だが、A.スカルラッティはナポリ派の創始者の一人とされ、オペラの他、700曲のカンタータや宗教曲を書いている。だから当夜のコンサートは器楽曲(コンチェルト・グロッソ)が冒頭とおしまいから二番目にあって、前半はコンチェルト・グロッソのあと《ディアナとエンディミオーネ》というギリシア・ローマ神話にもとづくカンタータ、そこで休憩、後半はオペラ・ブッファの抜粋をいくつか(これが大変に面白く、かつ優れた演奏であった)で、再びコンチェルト・グロッソ、最後が宗教曲の Salve Regina (オケ+4人の独唱者)だった。一夜のコンサートではあるが、A.スカルラッティの活動の幅広さがうかがえるように巧みに構成されていることに感心した。

ダントーネによれば、A.スカルラッティの曲は少数者のための音楽と言われることもある。そして非常に上手に演奏されると素晴らしさが伝わるが、下手な演奏ではそれが伝わらない、と。これはオペラ・セリアや宗教曲についてはうなずけるところだ。しかし、後半のオペラ・ブッファの抜粋では良い意味でその予想が見事に裏切られた。会場の聴衆から何度も笑いが漏れるほどおかしいのだ。台本レベルで滑稽なシチュエーションであるのだが、それを演じる歌手2人(ツォピとサッカルディン)も抜群にうまかった。声の演技(ツォピは22歳の若者なのだが、色気にみちた老婆を演じているのだ)も掛け合いの妙もリズム感もこちらがのれるのである。だからわっと笑いが起こる。それでいて、オケの伴奏は品の良いすました感じなのが逆に効果をあげていた。コンチェルト・グロッソは、リズムやメロディーにアクセントをつけ、作曲家の工夫が見える演奏であった。

前半の《ディアナとエンディミオーネ》はまた別の面白さで、ディアナは堅物で、今時の言葉で言えばツンデレなのである。自分の心は石で出来ていると自ら言うくらいで、エンディミオーネの愛情にびくともしない(最後の最後は別)。エンディミオーネの気持ちはなかなか苦悩に満ちているわけだが、その苦しい心は、レチタティーヴォでもアリアやアリオーソでも悩ましい転調、半音階で表現されており、さりげない一節が実際に歌うとさぞ難しいのであろうと思われた。いわゆるアジリタの派手な困難さとは違うのである。

器楽曲、カンタータ(セレナータ)、オペラ・ブッファ(opera drammatica と本人は呼んでいる)、宗教曲と実に多様なジャンルを味わうことが出来た。しかも別の観点から言えば、声楽つきの曲と器楽曲を味わっていて、声楽曲の性格が大きく異なっているわけだ。

テノールのツォピはオペラ・ブッファではお婆さんの声なのでわざと裏声、しゃがれた声を出していたが、Salve Reginaはまっとうにベルカントで歌っていて、それが大変だろうとダントーネも言っていた。

時間は休憩をいれて2時間であったが実に充実し、満足度の高い演奏会であった。A.スカルラッティは言うまでもなく、イタリアの偉大な作曲家であり、バッハ、ヘンデルなみに演奏機会が増えたとしても不思議はないと思う。今回のブッファなどもし全曲の楽譜があるなら全曲の上演をぜひとも観てみたいと思った。ブッファと言えば、金持ち・権力のある老人と若い娘の掛け合いがよくあるが、今回のは3つの場面が、みな老女と若い男の掛け合いなのであった。こういうブッファも楽しそうではないですか。

と思って調べてみると IMSLP にある。というわけで当夜演奏された3つの場面を紹介する。

1.オペラ《L'Emireno overo il consiglio dell'ombra》の第一幕16,17場 Niceta と Morasso のかけあい。

2.オペラ《Il prigioniero fortunato》の第二幕第3場 Lucilla と Delbo のかけあい。

3.オペラ《La donna ancora e' fedele》の 第一幕4場と7場 Filandra と Selivino のかけあい。

それぞれレチタティーヴォでのやりとりと、アリアや二重唱が交錯している。

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2025年8月11日 (月)

カルダーラ作曲《アウリデのイフィジェニーア》その5

《アウリデのイフィジェニーア》を再度観た(インスブルック、州立劇場)。

2度観て判ったこと、気づいたことを記す。

1.イフィジェニーアが救済される最終場面が唐突。これは、このオペラが宮廷の祝祭として上演されたことと関係が深い。1716年11月4日が初演日なのだが、カール6世の誕生日が10月1日なので、それを祝う一連の行事の一つと考えられる。そのためハッピーエンドにすることが必須で、ゼーノとしてはエリゼーナというエウリピデスの原作にない女性を登場させ彼女の本名が実はイフィジェニーアだったのでそちらが犠牲になるということで、アガメンノーネの娘イフィジェニーアは助かりめでたしめでたしとなる。こういった宮廷の祝祭劇を観る観客は、アガメンノーネの苦悩に思いを寄せることはあっただろうが、それがともかくも解決されてよかったね、となったのだろう。

ただし、その後、メタスタージオやパオロ・ロッリが同じ素材を扱ってリブレットを書く際には、エリゼーナは採用していないので、エリゼーナの創出が大人気とは言えなかったのだろう。ゼーノ、メタスタージオ、ロッリは、アルカディア会(アッカデーミア・デッラルカディア)のメンバーであり、そこで論じられたリブレット改革と切り離せないわけだが、実際にリブレットを書く際には、三者三様の表現の工夫が出てくるわけだ。ゼーノはレトリックが簡素と言われ、たしかにメタスタージオと比較するとそうだ。レトリックを過剰にしないというのはアルカディア会の文学観の核心的概念でもあった。

2.演出において、男性の登場人物は冑をかぶったり脱いだりがあるのだが、どうもそれは、公人としてこうあらねば、という際には冑をかぶり、個人的な、私人としての心情を吐露する際には冑を脱いでいるのだった。その中間で、冑をぬいだがそれを置かずに手にもったままという状態もある。おそらく中間的な心理状態を表しているのかと思われる。初日も演出家(2人)が出てくるとブーイングがあったが、2日目はなお一層激しくブーイングがあった。まあ、マリオネットを使わずとも、アガメンノーネやイフィジェニーアの葛藤(国への義務と個人的な感情)は明らかでしょう。終わりの方ではマリオネットの顔に涙の筋が描かれてたけど、こんな説明的描写が要るのかと思う人もいたであろうことは想像に難くない。

3.歌手に関しては以前に書いたものの確認で、イフィジェニーア役のMarie Lys は、レチタティーヴォにおいてもアリアにおいても場面や歌詞の言葉にふさわしい表情をつけており、表現の幅が広い。そこがエリゼーナ役の Neima Fischer や声種は異なるがウリッセ役の Lurennce Kilsby らとは異なるところだ。彼・彼女の場合は、若くてフレッシュな声という美点はあるものの、表現が一本調子となりがちで、性格の二面性の表現などで今一歩の感がある。Fischer の場合、可憐な面を出す際は良いのだが、内面にひそむどろどろした情念を表現する際に、太い声が出ない、これは年齢を重ねるともう少し太い声が、あるいは低音がより響く可能性はあるだろう。テウクロ役のMineccia はそのあたりの表現の幅が見事。舞台の場数も関係してくるのかもしれない。アキッレの Carlo Vistoli は叙情的な感情を示す澄んだ声と、身体全体を使ったアジリタでの表現が素晴らしくオペラ・セリアならではの高揚感を劇場全体にもたらした。図式的に言えば、ヴィストリは、フランコ・ファジョーリ的な劇的表現とティム・ミード的なバランスの取れた発声を足して2で割ったようなところがあり、劇的表現と叙情的表現の幅があり、かつ、発声の使い分けが決まっているのだ。アガメンノーネ役の Martin Vanberg について。彼は大変背が高く、舞台での存在感はあるのだが、アガメンノーネの苦悩の表現の仕方が稚拙。最初から苦悩面ばかりを見せてしまうのだ。本来、うわべは、娘、妻との再会を悦びつつ、実は娘を犠牲に供さねばならないという苦悩を抱えるという深い葛藤、二面性があるはずなのだが、その二面性が表現されない。背丈にめぐまれ、声も悪くはないのだから、場面や性格の表現に磨きがかかることを期待したい。クリテンネストラの Shaked Bar は歌唱において、音楽表現においては相当満足度は高いのだが、子音が弱く言葉が聞き取りにくいのが唯一の難点。言葉を伝えるのは、オペラが音楽劇である以上、最重要の要素(の一つ)であるはず。

4.オケのテンポに関しては、ところどころもう少し早くてもという箇所があったが、前にも述べたように歌手のアジリタの限界に合わせていると思われる場合が多かった。指揮者としてはいたしかたのないところなのだろう。

5(追記)場面転換に何回かダンス(バレエ)が登場した。主として女性一人で踊っているのだが、何を表現したいのかは不明であった。時間が短いので特に気になるというほどではなかった。

6.とは言え、カルダーラは今回のように超一流のオケ(アッカデーミア・ビザンティーナ)と超一流の歌手+一流の歌手で観劇すると、実に素晴らしいオペラ・セリアであることが実感された。カルダーラはヴェネツィア出身ではあるが、ヴィヴァルディやマルチェッロと比較するとはるかにセッコ(乾いている)である。そして威厳のある表現に長けているが、必要に応じてリリカルな歌も難なく出てくる。乾ききってはいない。そういう意味で聴き所は多種多様で、かつオペラ・セリアならではの聴かせどころが見事なのだ。

7.これは蘇演なので、上演の準備は手間暇がかかることは想像に難くない。次々と蘇演もの、あるいはそれに準ずる作品、あるいはルネサンス期をふくめた古楽(オペラ以外の作品を含む)の掘り起こしをつづけてきたインスブルック古楽祭の運営方針とこの音楽祭が49年も継続していることに賛嘆の念を抱かずにはいられない。来年は50周年である。

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Stiftskirche Wilten について

Stiftskirche Wilten はインスブルック古楽音楽祭の催しとして音楽つきミサがあげられるが、Stifskirche Stams はまったく別の会場なので注意が必要だ。Stiftskirche というのは修道院付属教会というような意味らしく、Stams というのはインスブルックから電車で約一時間いった郊外の町にある大変美しいバロック式教会である。Stams のStiftskirche には生命の樹と呼ばれる大きな彫刻が祭壇にあり、圧倒される。

一方、今回のミサの会場となった Stiftkirche Wilten にたどり着くのにも、またちょっとした注意がいるかと思われる。Wilten というのはインスブルックの中の地区・地域の名前で、大雑把に言えば駅のそばである。ただし、そこには御堂が2つあるのだ。地元では上のWilten、下の Wilten と読んで区別しているらしいのだが、地図にはそうは出てこない。どちらも立派な教会であるいて2,3分なのでこの名前の教会は2つあるということを認識していれば問題はない。ちなみに片方は教区教会で、こちらには四本柱の聖母と呼ばれる祭壇があり、巡礼者たちの崇敬の対象となってきた。

ミサの会場となる教会のほうは修道会付属の教会で、この修道会はプレモントレ会(ノルベルト会)という。その修道会聖堂なので、通常は修道士団の生活の場なのだ。この聖堂はもとは少しずれたところにあったのだが1644年に雪崩の被害で大きく損傷した。インスブルックは冬のオリンピックが開催されたことからもお判りのように町のすぐそばまで北にも南にも高い山々が迫っている。その中心をイン川が流れていて川沿いに町があるわけだ。1644年の損壊の際には応急の手当てをし、1751-56年にロココ様式で建て直された。内部には高さ18メートルにおよぶ高祭壇がある。この祭壇の上部には立体的な奥行きがあってその奥にイエス像があるのだが、これはソロモンの玉座を表わしているらしく、ソロモンよりも賢き者というラテン語の銘があって智恵のイエスとして表象されているとのこと。手前には左右に6頭ずつの黄金のライオンが座している。その下には聖母子像の絵画があるのだが、その絵画の両脇には立体の柱が六本あってというなんとも凝った複雑な祭壇なのだ。

プレモントレ会という修道会は、白衣が特徴で、修道会活動をしながら司牧(外部の信者との関わり)をも重視する修道会である。この教会は18世紀半ば建立だが、対抗宗教改革的要素も濃厚で、祭壇のみならず、天井画にも聖母像が満ち満ちている。黒と金が中心の高祭壇は、教会美術として一見の価値ありと思う。

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2025年8月10日 (日)

インスブルックの教会 Stiftskirche Wilten でのミサ

Stiftskirche Wilten で Pontifikalamt という音楽を伴う特別なミサに参加した(インスブルック、Stiftskirche Wilten).

インスブルックの古楽音楽祭のプログラムの一部となっているので、信者ではないが参加させていただく。聖体拝領以外はまわりの信者の方々と同じ動作をするが、ドイツ語での司祭と会衆の応答はアーメン以外は口パクとなる。

一言で言えば音楽つきの荘厳ミサなのだが、Ponitikalamt というのは特別らしく、助祭や副助祭を含め10人ほどの聖職者あるいはその助手が儀式に関わる大掛かりなものである。入場式の時から音楽が奏でられ、香炉が前後に振られあたりに白い煙とともに特別な匂いが満ちる。

今回はJ.D.ゼレンカ(1679-1745) のMissa Votiva(誓願ミサ、奉献ミサ) zwv 18が、ミサの儀式によって「分断」されながら演奏された。楽曲としてみれば連続して演奏されず分断されたことになるが、ミサ曲という性格を考えれば、これこそが作曲家も意図していた演奏のされかたなのだと思う。

ゼレンカの曲は、華麗かつリズミカルなもので、ところどころ心浮き立つフレーズがある。そのフレージングはヴィヴァルディを思わせるところがたぶんにあるのだが、彼はドレスデンで活躍しており、それゆえピゼンテル(ヴィヴァルディと直接コンタクトのあった作曲家、演奏家)がドレスデンに持ち帰ったヴィヴァルディの楽曲を知っていた可能性はある。独唱者の歌う装飾的なフレーズがヴィヴァルディの宗教曲に通じる心躍るフレーズに満ちているのだ。ゼレンカはもっともっと知られるべき作曲家だと思った。

間に聖歌が2つはいってこれは素朴な歌。ゼレンカの楽曲とは別世界である。

聖体拝領の際にはさらにB.Storace (1637-1707)の Recercar がオルガンで演奏された。聖職者たちの退場の際には同じく B.Storace の Ciaccona がオルガンで演奏された。

カトリックのミサは、香の匂いからはじまって、儀式的様式的美に満ちている。聖職者の僧衣も位階ごとに違っていて、司教らしき人はミトラ(帽子)をかぶったり脱いだりもしていた。聖変化の儀式がその頂点にあるわけで、五感に訴える力があるのだが、こちらはゼレンカの音楽に心打たれたのであった。もっとゼレンカの音楽を知りたいと思った。

 

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《フーガの技法》

《フーガの技法》のコンサートを聴いた(インスブルック、アンブラス城、スペインの間)。

素直にJ.S.Bach の《フーガの技法》全曲である。版に複数あり、自筆稿の問題もあるがここでは省略。

この演奏は、Roel Dieltiens 率いる Ensamble Explorations によるもの。Dieltiens はチェロとオルガンを奏するが、他の奏者(5人)も大体2つずつの楽器を持ち替えつつ弾く。だからフーガの技法の何番かによって楽器編成が変わるのだ。プログラムの解説にDieltiens が書いていたことだが、《フーガの技法》は単一の楽器、チェンバロなりオルガンでも演奏可能だ。しかし今回のように楽器編成が変化しつづける方が、音色の変化があって単調にならない。たしかにそうであることは実感できた。一回の休憩をはさんで約2時間の演奏会だった。

夜8時から始まったのだが、インスブルックも暑く、男性はついに半袖の人の方が多くなった。前半45分は暑くて、むしむしして、酸欠状態だった。コンサートが終わって10時だったがまだ涼しくはない。暑くはなくなっていた、という程度である。

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カルダーラ作曲《アウリデのイフィジェニア》その4

ゼーノのリブレットについて。

前項で、メタスタージオ版やパオロ・ロッリ版とは登場人物が異なる(エリゼーナという女性の付加)こと、それにより結末のハッピーエンドに持って行き方が異なることはすでに述べた。

それに加えて感じたこと。ゼーノのレチタティーヴォはメタスタージオに較べて長い。レトリックはゼーノの方がよりシンプルと言われているが、単純にレチタティーヴォの量が多いのである。劇場で、ドイツ語字幕と英語字幕が表示されていて、ぼくは英語字幕を読むのであるが、ところどころ字のポイントが小さくなって、数行にわたっているが、あっという間に次の字幕に変わり読み切れない。アリアの場合は歌なので比較的進行がゆっくりだが、レチタティーヴォは通常の会話スピードであるし、詩語が混じっていて、レトリックを駆使していて、なかなか手強い。

 

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カルダーラ作曲《アウリデのイフィジェニア》その3

演奏と演出について。

指揮はオッタヴィオ・ダントーネ。オケはアッカデーミア・ビザンティーナ。演出はAnna Fernandez と Santi Arnal (Companyia Per Poc).演出の一大特徴はマリオネットを使うことだ。等身大の人形を歌手が自ら操り歌う。エリゼーナのように登場した時から人形を抱えている人物もいるし、イフィジェニアのように最初は人だけで、途中から黒子に人形を渡されて歌うようになり、再び人だけで歌う人物もいる。おおまかに言えば、自分の心をストレートに表出できる場合には、人形がいない。立場が複雑になって自分の心情としてはこうしたいが、父に対する娘の義務としてはこうふるまうべきなどと心が分裂してくると人形が出てくるようだ。ただし例外があって、アガメンノーネは最初から心は分裂しているのだが、人形は出てこない。

舞台装置は、バロック舞台のように、両側から屏風らしきものが三枚ずつ出ている。しかしその屏風が入れ替わることはない。中央奥には丸くくれた空間のある書き割りがある。また場面と場面の間には、バレエが挿入された。バレエは短いのだが、その間、レチタティーヴォやアリアが歌われることはない。

衣装は時代や場所の不明なもの。現代ではなく、ややオリエンタルな感じ。武将には冑があって、かぶったり取ったりしていた。

歌手は前述の通り、アキッレの Carlo Vistoli が傑出していた。いまさらと言う人もいるかもしれないが、個人的には今後も大注目である。オペラ・セリアに適した才能の持ち主だ。アジリタのみならず、様式感も説得力十分。イフィジェニアの Marie Lys も大変すぐれた歌唱で、クリテンネストラのShaked Bar も良かった。若手で抜擢されていたのはエリゼーナの Neima Fischer とウリッセの Laurence Kilsby で二人とも熱のこもった歌唱ではあったが、Fischer は後半息切れぎみで、 Kilsby は歌とパルランテの接続がぎこちないなど、これからの成長を期待したい。あらすじには登場しなかったが、テウクロというエリゼーナを恋するギリシアの将軍役のフィリッポ・ミネッチャもさすがだった。ミネッチャは最初は抑え気味であったが、後半になって複雑な心情を吐露する場面、アリアになると俄然その音楽性が光る。やはりレチタティーヴォでの感情表出がぴたっとはまったうえで、その心情を吐露するアリアが決まるのである。後半は声ものびのびと出ていて良かった。

オケは言うことはない。Chiara Cattani (2年前の若手オペラの指揮)や Ilaria Macedonio がアシスタントで参加。Chiara Cattani はチェンバロを弾いてサポートしていた。

テンポはやや遅めに感じるところはあったが、歌手のアジリタの限界があってテンポが上げられないのかもと思わせられることが一度ならずあった。また、カルダーラは音楽表現がマエストーゾな要素が強いのである。皇帝お気にいりの作曲家だけのことはある。対位法的な要素もきっちり書いていく。だからやや理屈っぽく聞こえることもあるが、場面によっては叙情的に母娘の心情を歌い上げる。アキッレのような将軍の堂々として勢いのある曲はマエストーゾかつ技巧的で、聴いていてわくわくした。こういう曲は歌手の技巧が活きる。

カルダーラは作曲家として、広い表現の幅を持っているし、場面や人物によってそれを描きわける才能をもった優れた作曲家であることを実感した。いつもながらインスブルックではこうした発掘オペラを上演してくれ、感謝のほかない。珍しいオペラが聴ける、観られるだけでありがたいのに、超一流の演奏家が揃っているのである。

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2025年8月 9日 (土)

カルダーラ作曲《アウリデのイフィジェニア》その2

前述のようにゼーノのリブレットなわけだが、あらすじを記す。

第一幕

ギリシア軍の船がアウリデで留まっている。風が吹かないのだ。これではトロイにおもむくことが出来ない。この事態にはアガメンノーネ(歌手 Martin Vanberg) に責任がある。彼はディアーナの聖なるシカを殺してしまい彼女の復讐をうけて、ギリシア軍の司令官でありながら、船をトロイに進めることができない。預言者カルカンテ(言及されるのみで舞台にでてこない)によれば、アガメンノーネの娘を犠牲にすればディアナの怒りが鎮まるとのこと。アガメンノーネは司令官としての義務と父親として娘を救いたいという感情の板挟みとなる。この義務と情愛のアンヴィヴァレンスがオペラ・セリアとして見所、聴かせどころと言えよう。アガメンノーネは苦悩しつつ、妻クリテンネストラ(歌手Shaked Bar)に手紙を書き、娘イフィジェニア(Marie Lys)を連れてくるよう求める。ウリッセ(=オデュッセウス、Laurence Kilsby)は、アガメンノーネの2通目の手紙を横取りして読んでしまう。イフィジェニアとアキッレの結婚が執り行われることになっている(アガメンノーネの妻に対する口実である)。アガメンノーネには娘を救う方法が見当たらない。一方、ギリシア軍はトロイをやっつけに行こうと気持ちがたかぶっている。

第二幕

アキッレ(Carlo Vistoli 彼は実は一幕から出ている。冒頭からアジリタの連続する極めて技巧的かつセリア的な威厳を示す曲を見事に歌い満場の喝采を浴びていた。Vistoli とタイトル・ロールのLys は歌唱において抜きん出ていたと言えようーー難曲がふられていて、聴かせどころが多いのではあるが、二人ともそれを立派に歌でも演技でもこなしていた。アキッレの方がアリア・ディ・ブラヴーラが多い)は、レスボス島(トロイの同盟国)を征服し、その地の王女エリゼーナをアウリデに連れてきた。エリゼーナは征服者であるアキッレに恋しており、アキッレがイフィジェニアと結婚するのを妨げようと画策する。クリテンネストラとイフィジェニアは、アキッレの(エリゼーナへの)心変わりを疑うが、アキッレは自分のイフィジェニアへの愛情は変わらないことを歌う。

ーーここで休憩(三幕もので一回の休憩だったので、2幕の途中で休憩がはいった)

アガメンノーネの腹心アルカーデ(Giacomo Nanni バリトン、声種の関係で派手なアリアは少ないが、レチタティーヴォもアリアも言葉がはっきり聞き取れるし、表情のメリハリも説得力がある)は、王女エリゼーナのまちうける運命を知っており、それをイフィジェニアたちやアキッレに明かす。アキッレは必要とあれば力ずくでもイフィジェニアが犠牲になるのを食い止めようと考えている。

第三幕

ギリシア軍の大半は、パリスとトロイへの復讐が、イフィジェニアの命より大切で、アガメンノーネは折れるべきと考えている。事態を認識した時、イフィジェニアは女神の怒りを鎮めるべく死を覚悟する。

しかし犠牲になるべきイフィジェニアは、アガメンノーネの娘ではなかった。神々はカルカンテに、犠牲になるべきなのは実はエリゼーナだと明かす。というのもエリゼーナは、ヘレネがテセウスとの間にもうけた娘であったのだ(ヘレネがメネラウスと結婚する前に)。預言者がヘレネとテセウスの娘は早死にせなばならないと言うので、別の名前で育てられたのである。神々はディアナが求める本当の犠牲はエリゼーナだと言う。彼女は自ら命を絶つ(この場面は舞台で演じられず)。ディアナの怒りは鎮まり、アガメンノーネの娘イフィジェニアは生き延びる。ギリシア軍は風をうけてトロイへ出航する。しかしアキッレは戦いで死ぬことになり、イフィジェニアの夫になることはないのである。

以上がゼーノ版のあらすじである。

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カルダーラ《アウリデのイフィジェニア》その1

カルダーラ作曲のオペラ・セリア《アウリデのイフィジェニア》を観た(インスブルック、チロル州立劇場)

300年以上ぶりの蘇演(復活上演)である。去年からインスブルックの古楽音楽祭の音楽監督になったオッタヴィオ・ダントーネはきわめて大胆にめったに上演されないあるいはかつて有名であったが現代においては埋もれがちな作曲家に光をあてている。昨年は、ジャコメッリの《エジプトのチェーザレ》で、出演者もまったく初めてだと言っていたが、ジャコメッリは当時のヴィヴァルディを追い落としたほどの人気があった作曲家なのだった。

今回のカルダーラは、ウィーンの宮廷音楽家(副楽長)を長く勤め、皇帝カール6世のお気にいりだったので、当時は名声の高い作曲家であったことは言うまでもないのだが、現在彼のオペラを観る機会はまれである。たとえばリブレッティスタのメタスタージオの名作《オリンピアデ》も最初に曲をつけたのはカルダーラだったのだが、現在ではヴィヴァルディやペルゴレージ作曲によるものはヴィデオやCDがあるものの、カルダーラはどちらも見当たらない。

しかし今回《アウリデのイフィジェニア》の全曲を観て、実に素晴らしい作曲家であることを確認した。舞台のカーテンが上がる前に、初演時にはおそらくそうであったように、皇帝カール6世(マリア・テレジアの父)を褒め称えるレチタティーボとアリオーソがあった。アリオーソの部分は皇帝にふさわしくトランペットとソプラノが掛け合いで皇帝の威光を言祝ぐのであった。

《アウリデのイフィジェニア》はもちろんエウリピデスのギリシア悲劇がもとになっているわけだが、バロック期には大変人気があって、リブレットもゼーノ、メタスタージオ、パオロ・ロッリが全員手がけており、細部は当然ながら異なっている。今回のカルダーラが曲をつけた台本はゼーノのもので、初演は1718年11月4日ウィーンの宮廷劇場であった。

今回の《アウリデのイフィジェニア》はゼーノのリブレットによるわけだが、メタスタージオやパオロ・ロッリ版と異なり、レスボス島の王女エリゼーナが登場する。エリゼーナは事情があって、本名は本人にも知らされずエリゼーナという名前で育てられているのだが、最後に実は彼女の本名がイフィジェニアということが判り、犠牲となるのは彼女(エリゼーナ=イフィジェニア)で、アガメンノーネの娘のイフィジェニアは生き延びてハッピーエンドという立て付けになっている。昨年バイロイトで上演されたポルポラ作曲の《アウリデのイフィジェニア》はパオロ・ロッリの台本で、最後の場面でイフィジェニアがギリシア(祖国)のために犠牲になることを覚悟した時点で、アルテミス(ディアナ)がそれを良しとして雌シカの犠牲で良いことになり、彼女は助かるという話になっていた。つまり、パオロ・ロッリの方がエウリピデスの原作により近い。無論、オペラとしてリブレットとしての出来の善し悪しは原作に近いか遠いかと無関係であることは言うまでもないが。

念のためゼーノ版のあらすじを紹介する。

先述のように第一幕の前にカール6世を讃えるレチタティーヴォとアリオーソが演奏された。今回指揮者のオッタヴィオ・ダントーネ氏に確認したがこれは本来はリチェンツァで、つまり、全体上演の後で演奏されるものなのだが、演出家の意向で最初に演奏することになったとのこと。個人的には最初でよかったと思う。以前に観たコルセッリ作曲の《アキッレ・イン・シーロ》のリチェンツァだとその歌詞の中に二人が結婚して子孫に英雄が生まれるでしょう、といった内容が含まれるので、劇の終わりの場面(アキッレとデイダミアが結ばれる)との接続の具合から最後がふさわしいと感じられた。今回の場合は、カール6世の治世を讃える内容であり、最初に置かれる違和感はなかったということだ。

長くなったので、あらすじは次項で。

 

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2025年8月 8日 (金)

シュターンベルガー湖

シュターンベルガー湖に行った。

より正確に言えば友人のKさんに連れていっていただいたのである。ありがたい。この湖はミュンヘンの郊外にあり昔から有名だったのだが、開発が厳しく制限されているとのことで、19世紀にルートヴィヒ2世や森鷗外が観た光景とあまり変わっていないのではないかと思われる。つまり、観光地にありがちな土産物屋も、湖畔に中高層のホテルらしきものもまったく見当たらない(ホテルが一帯に皆無という意味ではない)。

まずローゼンインゼル(バラの島の意)に小舟でいく。乗っているのはほんの数分である。往復五ユーロ。Casino と呼ばれるヴィラがある。島の庭はルートヴィヒ2世の父マクシミリアン2世が整え、バラ園とヴィラがある。8月なので季節は遅く、まだ咲いているバラはほんのわずかであったが、外からCasino を観て満足。このCasino はヴィスコンティの映画《ルートヴィヒ》に出てくるとのこと(Kさん情報)なのでそのうちにあの映画をもう一度観てみよう。

次に対岸のベルクという場所に行く。ここに王家の別荘があって、そこに連れてこられたルートヴィヒ2世が謎の死をとげた、つまり彼の終焉の地である。その場所に湖の中に十字架があり、岸辺は傾斜地なのだが、坂の途中に十字架があり、さらにそれより高い場所に小さな教会らしきものが建っている。実は記念礼拝堂で、ルートヴィヒの母が建てたのだという。

T.S.Eliotの長編詩『荒れ地』(The Wate Land)には冒頭にヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の引用がドイツ語の原文であり、このシュターンベルガー湖からの風が吹いてきて、マリーという女性(バイエルン家のマリー・ラリッシュとされる)との回想シーンがある。明らかにルートヴィヒ2世と彼の死を読者に想起させる仕組みになっている。図式的に言ってしまえば、ロマン主義的な理想とそれが不可能になった現実を象徴する存在としてのルートヴィヒ。その現実は『荒れ地』では根源的に世界が断片化して表象される。世界を統一的な視点から把握することが不可能になってしまったから、安易なストーリが書けないとでも言うかのように。

最近の説では、ルートヴィヒは単に唯美主義的な王ではなく、芸術を統治のため、よりよい世の中にするために、ということを真剣に考えていたのだという。もう一度、ルートヴィヒについてより深く知りたくなった。

 

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2025年8月 7日 (木)

ミュンヘン空港

ルフトハンザ航空で羽田からミュンヘンに移動した。14時間半。以前より長くなっている。シベリア上空を飛べないからだ。実際どういう経路かというと中国の北をずっと行くので、一応南まわりということになるのか。

ミュンヘン空港ではほとんどの客が乗り継ぎとみえて、降りる人も乗り継ぎの人と同じ列に並ばされ、手荷物をチェックされた。そのため飲み物は没収。せっかく空港で買った麦茶は手つかずのままゴミ箱に投げ捨てられた。悲しい。というわけで入国チェックのところはガラガラでまったく並ばない。手荷物もあっというまに見つかった。なぜミュンヘンで降りる人がほとんどおらず乗り継ぎ客ばかりなのかは不明。

 

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