ヘンデル『時と悟りの勝利』
ヘンデルのオラトリオ『時と悟りの勝利』を観た(初台、オペラシティ)。
指揮ルネ・ヤーコプス、管弦楽ビーバロック。このオラトリオには4人の登場人物がいるが、美、快楽、時、悟りというすべてアレゴリー(寓意)が登場人物になっており、彼・彼女らの会話は、一種の哲学談義、人生論になっている。美が最初は快楽にそそのかされて?享楽的な生き方を良しとしているのだが、時や悟りが美にお説教をする。現世における美や快楽ははかないよ、あっという間に過ぎ去るよ、と。あの世にいってからの美、真実は永遠だよ、と。美はゆらいで、わたしは2つの心が欲しいと言うが、最後の最後には時と悟りの説得に応じ、快楽と手を切る。
というあらすじを読むと、キリスト教のお説教か、と鼻白むかもしれないが、音楽を聴くとリブレッティスタや作曲家の狙いがどこにあるのか、聴き手もまどわされる。なぜかというと、最も技巧的でドラマティックな曲は、第一部の第7曲「平和への敵意が(Un pensiero nemico di pace)」と第二部の最後から2つめのアリア「風に流される雨雲のように(come nembo che fugge col vento)」である。オケも劇的に細かいリズムを刻み躍動するメロディが縦横無尽にかけめぐる。快楽は一時にすぎない、はかないものだというのは、西洋人なら子供のころから聞かされていて耳たこに違いない。絵画でもメメントモリ(死を忘れるな)など同工異曲のテーマはいくらでもある。さはさりながら、快楽の魅力、誘惑は大きいということをこの音楽構成は示している。これがリブレットを書いたパンフィーリ枢機卿の意図だったのか、ヘンデルの創意工夫だったのかはわからない。
この当時のローマの枢機卿たちは、絵画や音楽のパトロンでもあり、芸術に通じているどころの話ではなく、芸術の潮流を動かしている人たちだったと言えよう。
さらに驚くべきはこれを書いたヘンデルは22歳の若さであるのだが、音楽のコントラストや歌詞との関係が巧みで、パンフレットの解説にもあるように、第一部の第10曲で美が Taci ! 静かに と突然言うのも効果的だ。もっとも意外なのは終曲で、オペラ・セリアや形式的にはそれに準じているオラトリオでは、通常、登場人物が全員集まっての合唱で、秩序が回復されたり、もつれた人間関係が解決したりを言祝ぐことが多い。それに対し、このオラトリオでは、縁切りを告げられた快楽の激しいアリアに対し、美が悟りを得たことを示すまことに静かなアリアを歌う。この曲が単にスローな曲では、直前の「風に流される雨雲のように」の激しさにかすんでしまうだろう。ところが実際には、終曲の「選ばれた天国の使者よ Tu del ciel ministro eletto」は、弦楽はきわめてシンプルに一音を奏でるだけで、コンサートマスターだけが歌によりそっていく。このシンプルな構成で、前曲に拮抗する内的な力を持つのは至難なことであるが、若きヘンデルは見事にこれをやってのけている。後のオペラでもヘンデルの場合、テンポの速い曲(激しい曲)とゆっくりした曲(叙情的な曲)のコントラストは常に見事なのだが、それを予見させるおそるべき才能である。
歌手は「美」がスンヘ・イム。癖はなく、相対的に浅い声である。「快楽」のカテリーナ・カスパーは、ソプラノと書かれているがメゾ的な声で、声質の美しさに聞き惚れる。この二人の声のコントラストは効果的である。「快楽」の歌う前述の激しい2曲では、アジリタと息継ぎが苦しそうなところが散見された。「悟り」のポール・フィギエはカウンターテナー(アルト)で、彼の問題か、オケあるいは指揮の問題かは不明だが、曲想からしてテンポがもう少し速いほうがよいと思う曲があった。「時」はトーマス・ウォーカーで彼のイタリア語がもっとも聞き取れた。子音がしっかり出ていたし、歌の表情にも説得力があった。指揮のヤーコプスはゆるい指揮だった。ゆるいというのは、オケを隅々まで細かくコントロールするのではなく、テンポを指示してあとは楽員の自発性にお任せする感じだ。良い点は、楽員がリラックスして自発的に音楽を奏でる点である。時々、音楽的に劇的な表情からしてここはもう少しテンポをあげて欲しいと思うところもあったが、贅沢な悩みというものか。
全体としては、やはり字幕があるのは良いということ。曲自体は聞きなじみがあるのだが、ストーリの展開、このアリアはこういうことを言っているのだと細部まで分かると音楽への理解も深まる。オラトリオ全体に対する評価も変わるというものだ。バロックのオペラ・セリアもオラトリオももっとCDのみならず、DVD,ブルーレイで字幕ありで出てほしいものだと思うが、そもそもディスクというメディアが後退しているので難しいのだろうか。あるいは Youtube なり spotify で正確な日本語字幕が出るようになるという風に進化していくだろうか。
この曲の解釈にかかわることなので記すが、三ヶ尻正氏が『ヘンデルが駆け抜けた時代』に書いていることだが、このオラトリオが書かれたのは1707年のローマであり、スペイン継承戦争(1701−1713)のまっただ中であった。イタリア半島の諸国は最初はフランス側についていた。しかし1703年にピエモンテがオーストリア側に寝返ると、イタリア中に動揺が走る。1706年にオーストリア側はトリノを防衛し、ミラノに入城し、オーストリア側が一気に勢いを増す。その時点で書かれたため、三ヶ尻氏は、美はカトリック教会、快楽はオーストリア、時はスペイン、悟りはフランスを表すと言う。つまり今はオーストリアに勢いがあるけれどそれに誘惑されてはいけないよ、最後にはフランスが勝つよ、というわけだ。そういう政治的メッセージ、プロパガンダを含んでいることはオラトリオにもオペラにもバロック時代にはよくあったことである。リブレットを書いたパンフィーリ枢機卿は親仏派だったのである。
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