« ブルーノ・デ・サのリサイタル その2 | トップページ | ポルポラ《アウリデのエフジェニア》その2 »

2024年9月 7日 (土)

ルシル・リシャルドのリサイタル《バロックの魔女たち》

ルシル・リシャルドのリサイタルを聴いた(バイロイト、シュロス教会)。シュロス教会は、位置的には辺境伯劇場の真向かいで、階段をのぼった少し高いところにある。

リサイタルのタイトルは Baroque magicians でバロックの魔術師たちが直訳となる。

チェンバロ伴奏は Jean-Luc Ho.

プロフラムは3つの部分からなり

メデ(メデア)に関するものが、ヘンデル、カヴァッリ、Juan Cabanilles (1644-1712), シャルパンティエのオペラから。

アルミードに関するものが、リュリとダングルベールから。

チルチェ(キルケ)に関するものが、William Webb (1625-1680) , パーセル、クープラン、Francois Collin de Blamont (1690-1760)からという具合。

音楽祭のプログラムは、既知の有名作曲家とあまり知られていない作曲家が組み合わせられることが多い。今回もその例に漏れない。この方法だと聴く側は、既知のものを基準に、未知の曲をそれなりに位置づけることが可能だし、それによって自分の音楽世界の地平を広げることができる。未知の作曲家、楽曲に出会うのも楽しいものであるし、またそこから有名な作曲家が時代を超えて残った理由もほの見えることもある。

ここからはプログラムの Judith Altmann の解説を参照しつつ。

オペラに出てくる魔女はなかなか面白い存在で、一方で人間を超えた力を発揮しつつ、他方で、人間同様に恋に落ちてそれゆえに苦しんだりもがいたり、その恋の感情に飲み込まれてしまったりする。

バロック時代の劇場には宙づりや、奈落があって、天上世界や地獄を舞台上に現出させることができたのだ。前述の通り、魔女には多面性があるので、歌手としても歌いがいがあるというものだ。

バロック時代の悲劇的主人公として筆頭に上がる一人が王の娘で、魔女でもあるメデアである。彼女の悲劇はエウリピデスやセネカにまで遡るが、中世にもさまざまなヴァリエーションが生まれた。

最初に挙げられるのは、カヴァッリ作曲の《イル・ジャゾーネ(イアソン)》で、1649年にヴェネツィア初演。黄金の羊毛を探しに行くジャゾーネが、メデアの故郷に上陸し恋に落ちる。メデアの力を借りて羊毛を獲得したジャゾーネは、メデアと元々の婚約者イシフィレの間で葛藤する。しかし何故かハッピーエンドで終わる。カヴァッリのオペラの中ではメデアが地獄の霊を召喚する場面がある。

シャルパンティエの音楽悲劇《メデー》は、トマ・コルネイユのリブレットで1693年パリのパレ・ロワイヤルで初演。カヴァッリの作品と比較するとより後の時点の話となっていて、ジャゾーネとメデーは結婚し、子供が数人いる。二人はコリント王クレオンの庇護下で暮らしている。ところがジャゾーネはクレオンの娘を好きになってしまい、メデーを追放する。彼女は第三幕で自分の悲劇的運命をアリア'Quel prix de mon amour'で歌う。その後、凶行に及ぶのだ。クレオンを狂気に追いやり、その娘を殺し、自分の子供たちも殺してしまう。ヘンデルも《テゼオ》でこの題材を扱っている。1713年ロンドンのクイーンズシアター初演。第二幕の 'Dolce riposo'が有名。

それとは対照的に魔女アルミーダの話は、古代から伝わったものではなく1575ねんに書かれた騎士物語タッソー作『解放されたエルサレム』

から来ている。エルサレムを征服しようという十字軍の騎士が途中で魔女の魅惑に屈してしまう話だ。アルミーダはキリスト教徒の勇者たちを動物に変えてしまうが、自分もリナルドという勇者に恋してしまう。リナルドが解放されてついにアルミーダはキリスト教に改宗する。これを音楽化した最初の一つがリュリの《アルミード》である。1686年、パレ・ロワイヤルで初演。二幕のアルミードのモノローグ’Enfin, il est en ma puissance' で恋の虜になった苦しみを表現する。この曲は人気が出たので、ダングルベールはこれを用いてチェンバロ組曲を作った。

チルチェ(キルケ)ですらも、愛の呪縛から自由になることはできなかった。孤島に住み野獣に囲まれ、人が近づくと魔術をかけるのだが、彼女も恋に落ちた。オデュッセウスが通りかかった時のことだ。オデュッセウスは故郷のイタカに帰るのだが、チルチェは留まり嘆く。William Webbやパーセルは彼女の誘惑する力を描いている。

リシャルドの歌唱は思ったほどバロック歌唱ではなく、実際、プログラムを見ると彼女のレパートリーは中世から現代までということで、プーランクやストラヴィンスキ、ブリテンなどともにヘンデルも歌っている人なのだった。音楽が盛り上がってくるとロマンティックな歌い方になり、どの時代のものも歌うヴァーサタイルなスタイルなのだと納得。

 

 

|

« ブルーノ・デ・サのリサイタル その2 | トップページ | ポルポラ《アウリデのエフジェニア》その2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ブルーノ・デ・サのリサイタル その2 | トップページ | ポルポラ《アウリデのエフジェニア》その2 »