ジャコメッリ《チェーザレ》その4
ヘンデルの《ジュリオ・チェーザレ》のリブレットについて(前項からの続きで、プログラムのHolger Schmitto-Hallenberg の解説に基づいています)。
ヘンデルの《ジュリオ・チェーザレ》(1724年、ロンドンのキングズ・シアターで初演)は、ブッサーニのリブレットの痕跡をとどめる最後の作品である。この時、すでにリブレット執筆から約60年が経過している。ただし、ヘンデル作品においてブッサーニのオリジナルをとどめているのは5つのアリアとわずかなレチタティーヴォのみで、あとはニコラス・ハイムにより大々的に書き直されている。
ジャコメッリのオペラにつながっていくのは、むしろ1728年に初演されたルカ・アントニオ・プレディエーリの《エジプトのチェーザレ》であったが、リブレッティスタが誰なのかは明らかでないが、おそらくはカプラニコ劇場の劇場支配人だったジュゼッペ・ポルヴィーニ・ファリコンティによるものであろう。このテクストは、初めてジャコメッリのオペラと登場人物が同じになっている。加えて、このオペラで初めてセスト(コルネリアの子ども)がモック役となっている(ヘンデル版では雄弁に彼が歌うのは周知の通り)。勇ましい若者ではなく、幼子なのである。このリブレットがジャコメッリの1735年のカルネヴァーレのシーズンにおけるミラノ初演の際には、採用され手が加えられた(そのリブレッティスタが誰かは不明)。
ミラノで、ジャコメッリの作品が成功したのに刺激をうけた劇場支配人が二人いる。一人はフィレンツェのペルゴラ劇場の有名な支配人ルカ・デッリ・アルビッツィである、もう一人がヴェネツィアのサン・ジョヴァンニ・グリゾストモ劇場のミケーレ・グリマーニであった。
フィレンツェ版の行方
アルビッツィは、ジャコメッリの楽譜をミラノから送らせ、それをジュゼッペ・マリア・オルランディーニ(ペルゴラ劇場の座付き作曲家)に渡し、リブレッティスタのダミアーノ・マルキが劇場や歌手の事情にあわせて変更を加えた。音楽史的に興味深いのは、この作品上演にヴィヴァルディが関わっていることで、アンナ・ジロ—がコルネリアの役を担当したのだ。1735年7月1日の初演にアンナ・ジローは歌ったし、大成功だった。アルビッツィは手紙で全体としてうまくいったし、素晴らしいバレエも伴った、と書いている。
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