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2024年8月24日 (土)

バッハ・カンタータ

バッハ・カンタータと題したコンサートを聴いた(インスブルック、シュティフツ教会)。

バッハのコラール・カンタータ四曲を集めたコンサート。演奏は鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン(敬称略以下同様)。

独唱者は、ソプラノが Carlyn Sampson (ドイツ語の発音とビブラートがやや気になった)。アルトはカウンターテノールの Alexander Chance. テノールは Benjamin Bruns. バスは Christian Immler. 

練り上げられた真摯な演奏に、会場からも拍手は鳴り止まなかった。

この演奏会の背景について少し書く。例によってプログラムの解説(Bernhard Achhorner) とバッハ・コレギウム・ジャパンのホームページの鈴木雅明の解説に依拠しています。

2024年はバッハのコラールカンタータにとって特別な年なのだ。ルターによる宗教改革が始まったのが1517年、そこから7年経過した1524年に最初のプロテスタントの賛美歌集が出版された。だからそこから数えると今年は500周年。

しかしそれだけではない。1724年のバッハにも注目しよう。この当時、賛美歌集出版から200周年だったわけだ。それを記念してライプツィヒに前年に赴任したバッハに、コラールをもとにしたカンタータを作ってみたらといったのがアンドレアス・ステューベルという人で、この人は聖トマス教会の学校の副校長だった。それと前述の賛美歌集出版200周年を記念する意味もあって、バッハは賛美歌、コラールをもとにしたカンタータを作った。

そこから300年たった2024年にバッハ・コレギウム・ジャパンはコラール・カンタータを全部演奏するという企画を立てたのだが、それと並行してヨーロッパ各地でコラール・カンタータの演奏会のツアーをしていて、その最終地がインスブルックだったらしい。ヨーロッパ各地での演奏会では無論、いくつかのコラール・カンタータを選んで演奏したわけで、インスブルックでは4つのカンタータであった。

内容は、1.BWV20 「おお永遠よ、雷の如くとどろく言葉よ」、2.BWV94「なぜ私は世界について問うのか」、3.BWV93「ただ愛する神にのみ支配をさせる人は」、4.BWV78 「イエス、汝、我が魂を」である。アンコールは、四番目のカンタータのコラールを歌った。

最近バロック・オペラを聴いている身からすると、宗教カンタータもつくづく世俗カンタータひいてはバロックおぺらと同じ構成をしていることに気づく。コラールカンタータでは最初と最後にコラールを合唱が歌う点が異なってはいるが。それ以外のところではテノールなり、アルトなり、ソプラノ、バスが出てきてレチタティーヴォとアリアがあるわけで、これはオペラと同じい。バロック・オペラやイタリアの世俗カンタータと比較すると、バッハの宗教カンタータは歌手のアジリタはおとなしい、地味、歌手によってはほとんどないということが一見してわかる。これはこの時代、自分の曲を歌う歌手はほぼわかっていてその人の音域、アジリタ等に関する技量がわかって書いているためだろう。歌手によっては音域が狭く、狭い音域をいったり来たりしている場合があるのだが、これもおそらくバッハが想定している歌手の音域が狭かったためだろう。

バッハは自分が鍵盤楽器の名手だったため、オルガンやチェンバロ曲では、思いの限り超絶技巧を開陳し、華やかな技巧的フレーズ、早いパッセージも惜しげ無く披露している。それに対し、宗教カンタータでは、そういう傾向はみられない。ソプラノが登場しても、コロラトゥーラはほぼないのだ。ヘンデルやポルポラといった作曲家がオペラを書く場合には、少年時から徹底的な訓練を積んだカストラート歌手や技量の優れた女性歌手を起用することが前提とされているため、音域もはるかに広く、アジリタ、即ち敏捷な動き、装飾的な動きも場面に応じて書いたし、それが見事に演奏されたことと考えられる。

バッハの生涯をひもとけば、歌劇場のあるところに就職活動もしているのだがもろもろの事情でうまくいっていない。ライプツィヒでさえ、テレマンが蹴ったり、他の作曲家が元の雇い主が手放さなかったためにようやくバッハにまわってきた具合だ。今から考えれば信じがたいことだが、同時代の評価は決して高くはなかったのだ。だからライプツィヒのカントールに甘んじなければならなかったわけで、彼にオペラを書く機会があれば、と思わずにはいられない。しかし与えられた環境で充実した宗教カンタータを次々に作曲したバッハは、別の意味で立派だとも思う。

さて、宗教カンタータとオペラの類似点に気がつくと、字幕がないのがさみしく感じるのであった。教会は照明を落とさないので、客席のオーストリア人はプログラムに掲載されたドイツ語の歌詞を見ることができるのだが、ドイツ語が不自由な人間には英語字幕でもあれば、あるいはプログラムの歌詞が対訳になっていればと思った。インスブルック古楽音楽祭のホームページにはバッハのカンタータを演奏するとのみ書かれていて何番かは判らなかったので予習は不可能だったからだ。

バッハ・コレギウム・ジャパンの日本での演奏会の予定をみると何番を演奏するかは、あらかじめ掲載されているので上記の問題は解消されるだろう。

もう一点、宗教的なことについて。

会場は、シュティフツ教会なのだが、外はそれほどでもないのだが、中が極めて壮麗な装飾に満ちている。聖母が描かれた壁画があちこちにあり主祭壇も宙にうく聖母に鳩の聖霊から光りがさしている。そしてその祭壇画の上に箱のようなものがあって、箱の奥、突き当たりに彫像にイエス像が鎮座している。イエス像の前には金色の並木道?のように木が並んでいる。このイエス像の前の並木道は、今まで見たことのない図像なので、どういう図像学的な意味があるのか、ご教示いただけると大変ありがたいです。

ともかく、すこぶるカトリック的、聖母マリア崇敬に満ちた教会で、ルター派バッハのカンタータが演奏されるのは、エクメニカルな観点からは非常に好ましいことだろうと思う。

まったく個人的な関心なのだが、同じ演奏が、たとえばドイツのプロテスタントが主流の都市と、カトリックが主流の都市と、オーストリアのカトリックが主流な都市では、聴衆の受け止め方に変化があるのかどうかが知りたかった。つまりコラール、賛美歌にどれくらい接しているかが、相当異なると思われるからだ。それによって、聴衆の反応に違いはあるのか、どうか。熱量のようなものにどれくらい違いがあるのかが知りたいと思った。それはバッハ・コレギウム・ジャパンの人々だけが知ることなのだろう。

素晴らしい音楽会を日本の音楽団体による演奏で聴けたことは、率直に嬉しいことだった。

 

 

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