« ジャコメッリ《チェーザレ》その2 | トップページ | ジャコメッリ《チェーザレ》その4 »

2024年8月11日 (日)

ジャコメッリ《チェーザレ》その3

《チェーザレ》のリブレットの来歴について、プログラム(Holger Schmitt-Hallenberg)によって紹介する。

もともと《エジプトのチェーザレ》のモトになるリブレットを書いたのは、ジャーコモ・フランチェスコ・ブッサーニ(クレモナ生まれ、生没年不明)だった。彼が最初に《エジプトのチェーザレ》を書いたのは1676年、ヴェネツィアのサン・サルヴァトーレ劇場のためで作曲家はアントニオ・サルトーリオだった。

カエサルとクレオパトラの恋愛物語はプルタルコスやスエトニウスによって古くから知られていたしヴェネツィアの聴衆にも知られていた。ブッサーニはそこに何人かの想像上の人物を加え、コミカルなサブプロットを加えた。その結果、歌う登場人物は9人、アリアと重唱は短いものも含め65にも達した。にもかかわらず、丁寧に作られたレチタティーヴォも音楽的重要性を保持していた。サルトーリの音楽は、モンテヴェルディやカヴァッリと、それ以降の音楽の中間的スタイルであったとされる。このオペラは成功し、他の町でもサルトーリの音楽または別の作曲家の音楽で上演された。

主なものは、メッシーナでのドメニコ・スコルピオーネ作曲(1681年)。ミラノ、1685年。ベルガモ、1689年。ブルンシュヴィック、1690年(《クレオパトラ》で作曲はシジスムント・クッセル)、リヴォルノ、1697年。ロンドン、1724年(ヘンデル作曲)。ブルンシュヴィック、1725年(ヘンデルの音楽にもとづく)。ローマ、1728年(プレディエーリ作曲、トロメーオの役をファリネッリが歌った)。ヴィーン、1731年(ヘンデルの《ジュリオ・チェーザレ》、《アドメート》、《ロデリンダ》によるパスティッチョ)。リヴォルノ、1734年。

サルトーリオの同時代人とヘンデルの間隔が約25年空いていることに注意。1700年頃にオペラ・セリアは重大な変容をとげたのだ。それまでは、喜劇的要素も悲劇的要素も含み、貴族も庶民も出てきてすべてを包含する劇であったものが、ほぼ様式化された貴族のオペラ・セリアになったのだー内容的にも音楽的にも。聴衆も作曲家も、アリアに注意を集中させるようになり、アリアは長くなって、ダ・カーポ・アリアのような様式をまとうようになる。これは一面では進歩であるが、他方、初期バロックが持っていたより自由で多様なスタイルを失うことにもなった。

ヴィーンの宮廷詩人だったアポストロ・ゼーノやピエトロ・メタスタージオによるリブレット改革が、登場人物を標準化し、コミカルな登場人物を排除した。コミカルな登場人物は、インテルメッツォやオペラ・ブッファに移転したのだ。その結果、ブッサーニの《エジプトのジュリオ・チェーザレ》は、新たな様式にあわせて大幅に書きかえる必要が出てきたのである。

 

 

|

« ジャコメッリ《チェーザレ》その2 | トップページ | ジャコメッリ《チェーザレ》その4 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ジャコメッリ《チェーザレ》その2 | トップページ | ジャコメッリ《チェーザレ》その4 »