マリオッティとロベルト・アッバードの指揮
ペーザロでマリオッティの指揮で《エルミオーネ》を、ロベルト・アッバードの指揮で《ビアンカとファリエーロ》を聞いた、観た。
前者は、郊外のアレーナで、後者は改装なったスカヴォリーニ劇場(ここはもともと体育館だったそうで、音はよいのだが、階段状の座席は、つかまる手すりなどなくて、怖い感じもある。ただし、この劇場がアレーナより大分小ぶりなので、音は良いし、階段の傾斜が急なので、前席の人の頭が邪魔になることは全くない。
という曲目と会場の違いがあることを踏まえたうえでだが、マリオッティの指揮とアッバードの指揮の違いが印象的だったので、記しておく。
マリオッティは、最近の若い指揮者には珍しいことではないが、細かいフレージング、アクセントまで細かく指揮をする。ロッシーニの音楽は、ところどころギアが変わるように、テンポも曲想も変わることがあるが、その変化に至る過程まできっちり指定して独自のエレガントな感じを作りだしている。さらには、劇的に盛り上げるところも彼独特の柔軟な表情付けがともないオケの響きが荒くなることがない。見事なものである。
一方、ロベルト・アッバードは、要所、要所を締めていく感じで、マリオッティと比較するとフレーズの細かいところまで指定する感じは弱い。その結果、要所要所で彼が表情づけをしたり、テンポを指定(変化させ)たりするところ以外は、楽団員の自発性にまかせているようで、ときに楽器間のテンポが微妙にずれたり、同一楽器の中でも揺らぎがあったりするのだが、それが聴いていて心地よいのだ。一糸乱れぬマリオッティか、一見(一聴)気楽な感じ、リラックスした感じのアッバードか。マリオッティの精妙な指揮ぶりの優秀さをみとめつつ、少しの乱れを許容して楽団員一人一人が走りだす自発性が強く感じられるアッバードに、ロッシーニらしさを感じたりもするのであった。
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