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2024年8月14日 (水)

ジャコメッリ《チェーザレ》その9

ジャコメッリのオペラ《チェーザレ》の2024年蘇演の上演演奏について。

僕が観たのは初日ではなく、2回目と3回目である。前項まで1735年当時の歌手について紹介したが、この項は今年の上演の指揮、歌手、演出についてである。

指揮はオッタヴィオ・ダントーネ。前述のように、彼が今年からインスブルック古楽音楽祭の音楽監督になったデビュー作となる。彼は長年アッカデーミア・ビザンティーナを率いており、指揮とオケは一体化している。特に、アレッサンドロ・タンピエーリというコンサート・マスターが悪魔的に上手い。リズム感といい、音楽的センスといい抜群なのだ。さらに彼は音程にも神経質で、まわりの弦楽奏者と音程調整にいつも余念がない。それは他の奏者にも行き渡っていて、ホルン奏者の二人は上演前に何度も音程を調節していた。

歌手は、チェーザレがアリアンナ・ヴェンディテッリ。若々しい野心的政治家で、ローマ人らしく生きることと寛容な態度を示すこと、そして愛という様が曲にあり、その内実を見事に表現していた。

クレオパトラは、エメーケ・バラート。クレオパトラとしての威厳(アキッラの求愛は王族でもないくせにと一蹴する)、弟トロメーオとの駆け引き、チェーザレとの恋愛感情をふくんだ駆け引きがあり、場面に応じて色合いが変わるのだが、一幕と二幕で髪型を変え、二幕の方が曲想も、彼女の歌も女性としてのクレオパトラが出てくるのが興味深かった。

トロメーオは、テノールのヴァレリオ・コンタルド。バロックのテノールにも優れた歌手がどんどん出てきて欲しいのは言うまでもないが、相当に健闘していると思う。トロメーオも、部下とともに策略をめぐらしつつ、コルネリアに迫る人物である。

ポンペオを裏切りにより殺された未亡人コルネリアは、マルゲリータ・マリア・サーラが歌った。パルランテなアリア、歌い上げるアリアを表情豊かに歌った。創唱した歌手テージの特徴のせいで、コロラトゥーラがほぼないのが残念な面はあるが、十分に存在感のある歌、演技だった。

レピドはフェデリコ・フィオーリオ。この人はソプラノのカウンターテナーなのでソプラニスタである。背が高く舞台映えのする容姿だが、この《チェーザレ》では、この人物が一番恋愛一筋でそれがコミカルに描かれている(他の人物は恋愛と同時に、政治や策略が頭にある)。純朴な感じをよくあらわしていた。

トロメーオの部下で策士のアキッラは、フィリッポ・ミネッチャが歌った。ミネッチャはもともと知的な歌を歌う人だと思うが、役柄もそれにぴったり。彼はクレオパトラを熱烈に愛し、そのためにトロメーオのために戦い手柄をたて、その功績でクレオパトラと結ばれることを夢見て、チェーザレを殺す陰謀も企てるが、クレオパトラからは身分差ゆえにさげすまれる。そういった社会性がこのオペラには音楽によっても表現されている点が面白い。ミネッチャは、屈折した感じを歌でも演技でも見事に表現していた。

6人の歌手は粒ぞろい。それがこのオペラには必要なのだ。通常のバロック・オペラのようにプリモ・ウオーモ、プリマ・ドンナにアリアの数も多くという具合でなく、6人が相当に均等に扱われているのは前項までの解説に書いた通り。

演出は、ローマ軍を多数の人間で表現する代わりに、大きなガンダム的ロボット?のようなもの数台が舞台を動くということで表現していた。何より素晴らしかったのは、ある歌手がアリアを歌っている時に、他の歌手やモック役が動き回ったり、思わせぶりな仕草をしないこと。アリアに集中できる演出だった。音楽に対するリスペクトが十分に感じられた。衣装は、ガンダム・ロボットにあった感じのチェーザレ。エジプト勢は、簡略化されてはいるが、それなりに古風な衣装かな、といった具合であった。

聴衆全員がはじめて聞く曲なので、でしゃばりすぎない演出は好ましかった。

それにしても、ロマン派に毒されている聴衆が世の中全体では多いと思われる中で、このように感情移入、没入が容易なアリアの少ないきわめて個性的なオペラをデビューに取り上げたダントーネは勇気があると考える。案の定、ネット上のドイツ語の批評(グーグル翻訳で解読)には、つまらない作品を聞かされたという批評があった。ポルポラのカンタータやオペラ・セリアもそうなのだが、セリアの度合が高まれば、感情におぼれる人物ではない人物が重要になってくるし、それを音楽で表現することの難しさ、それが達成できた時の素晴らしさもあると考える。今回のジャコメッリの《チェーザレ》は作品自体も、上演演奏自体も、それを高度に達成していたと考える。

 

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