ヘンデル《アリアンナ》
ヘンデルのオペラ《アリアンナ》を観た(音楽堂、インスブルック)。
音楽堂は州立劇場の隣の建物で、ここの地下の小劇場で若手オペラを上演するのが通例で今年もそうだった。去年もそうだったのだが、字幕が2つ左右に並んでいるのだが、まったく同一のドイツ語字幕で、片方を英語か原文のイタリア語にしてくれるとよいのだが。お隣の州立劇場でのジャコメッリの《チェーザレ》ではイタリア語とドイツ語の字幕があった。
歌手によって、イタリア語がそうきっちりとは聞き取れないのである。イタリア語の発音がしっかりしていたのは、クレタ王ミノスと眠り(擬人化して登場する)の二役を歌ったジャーコモ・ナンニとカリルダ役(アリアンナが誤解して嫉妬する)のエステル・フェッラーロ。二人は演技においても、落ち着いた振る舞いで役を堂々とこなしていた。ミノスはバスで、カリルダもセコンダ・ドンナの役柄なので、二人とも派手なアジリタの場面がないのが残念だったが。
《アリアンナ》は正式には《クレタのアリアンナ》で、クレタ島の王ミノスおよびその義理の息子(妻が牛と交わって産んだ半獣半人)のミノタウロスが出てくる。アテネの王子テゼオ(ちなみにイタリア語での発音はギリシア語源を尊重したテゼーオとラテン語の発音を尊重したテーゼオの両方がある)が、クレタに生け贄を連れてやってくる。以前からの取り決めで、7年に一度、アテネは7人の男と7人の乙女を生け贄としてクレタに差し出さねばならないのだった。彼ら・彼女らはクレタの迷宮に住むミノタウロスの餌食となるのである。アリアンナの設定が少しやっかいで、彼女はテーバイの王女とされているが実はクレタ王ミノスの子で、テゼオと恋仲である。しかしオペラの進行中、いっかんして彼女は嫉妬深く、テゼオがカリルダのことを本当は好きなのではないかと疑い、テゼオを責めたり嘆いたりする。たしかにカリルダはテゼオが好きなのである。しかしカリルダにも思いを寄せる男が二人いて、一人はテゼオの友アルチェステであり、もう一人はクレタの将軍タウリデ(ズボン役で歌ったのは Mathilde Ortscheidt)であるが、カリルダはどちらに対してもつれない。最後の最後でアルチェステと結ばれる。
演出は、クレタ島にいる王や将軍は軍服に近い現代的な制服を着ていて、やってきた生け贄は、むしろ難民が国境コントロールを受けているような感じに見える。、カリルダが入れられる部屋も鉄条網で囲われ、収容施設に見える。古代の神話的世界が、現代と切り結ぶわけで、この思いつきは誰でも考えつく類いのものではあるが、それゆえにか案外素直に受け入れられた。なかなかユーモラスだったのは、テゼオが迷宮にはいってミノタウロと戦おうとする場面では勇猛な歌をコロラトゥーラ全開で歌うテゼオは、後ろをミノタウロが何度も通るのに全く気がつかない。テゼオを歌うアンドレア・ガヴァニンは、結構アジリタもまわるし、必要に応じて声量もあるのだけれど、アジリタのところでは歌うのに精一杯で、ヘンデルの音楽は長いアジリタの中にややスイングして表情を変化させるところがあるのだが、その変化を楽しませるところまではいっていなかった。
神話がもとで、生け贄の話、半獣半人の怪物など荒唐無稽な要素にはことかかないのだが、意外なほど滑稽感がなく、むしろ何度言ってもアリアンナに自分の愛の誠実さを信じてもらえぬテゼオに同情してしまう。ミノタウロスとの戦いは一瞬緊張をはらんだものとなるが、テゼオが勝つ。そして皆がハッピーになる。現実もこうならぬものかと、二つの戦争(状態)地域に思いが飛ぶ。怪獣やその不条理な犠牲になる者に、終止符が打たれるのか。長い長い拍手が続いた。
若手オペラなので、歌手は未完の部分が濃淡の差はあれど見られる。オケは Barockorchester:Jung という名前なので、常設ではなくて、音楽祭のためのものだろうが、メンバーを見ると8割以上がイタリア系の名前だった。指揮者アンジェロ・ミケーレ・エッリコもイタリア人である。バロックではよくあるが、指揮兼チェンバロで、チェンバロは計2台だった。テオルボ、チェンバロ、チェロ、コントラバスが良く鳴るオケで、その分、渋い大人のサウンドを聴かせた。
このオペラのアリアは、戦う人が多いので、恋愛感情や情念に満ちあふれたものよりも、むしろ自分はこうせねばならないと宣言したり、自らを鼓舞するものが結構ある。その中で、たまにオケが静まり、たとえばチェロ一丁とほんの少しの弦の支えで、登場人物が歌う場面がある。ヘンデルではよく見られる場面ではあるが、そういう場面は、人物の心の奥を吐露する場だということが一聴明らかになる。これがヘンデルの上手さの一つだなあとあらためて感心。そういうしんみりとしたアリアのあとには、ブラブーラの効いた派手なアリアがきて、観客に変化の悦びを与えることも忘れない。ヘンデルは巧みなのである。
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