グラウプナー《ディドー》その3
演出について。
インスブルックでの上演の演出を担当したのはデーダ・クリスティーナ・コロンナである。彼女と Christian Moritz-Bauer の対談内容を参照しつつ演出についてかいつまんで紹介する。
今回の《ディドー》は上演時間約3時間であるが、もともとの作品を少し短縮した。17世紀や18世紀のオペラ上演では、舞台と観客のやりとりがもっとあって、長時間上演がゆるされていたが、第四の壁が発明され、客席は暗いところで、静かにしていることが求められるので、一定時間以上は厳しい。
彼女は独自にバロック・ジェスチャー的なものを構築している。つまり、われわれが映画やテレビドラマで見慣れているリアリズムのジェスチャーではない。特に目立つのは6重唱などの比較的多人数の重唱で、決まったジェスチャーを複数の人間が交互に演じたり、同時に演じたりすることでジェスチャーそのものが様式美を持っている。Cessate (止めなさい)という歌詞(歌われている)とともに片手を前に突き出す、その仕草はシンプルであるが、一人で行ったり、複数の人が同時に行ったりするのと、重唱の進行具合がシンクロしているので美しい。
その他にも、重唱ではジェスチャーの連鎖が見られた。
単独のアリアの際にも、特に手の上げ下ろしなどは、リアリズム指向ではなく、様式的なジェスチャーであった。ただし、これは楽譜にもリブレットにも具体的な指示があるわけではないので、コロンナが時代の歴史的な情報源を参照しつつ、それをフレームとして、個々の振り付けを編み出していくという方法をとっているとのこと。舞台装置のドメニコ・フランキと協力して、歴史資料を彼女なりに解釈しつつ、独自の世界を組み立てていくわけだ。
セット、衣装は、金色が多用されていて、神々が舞台上方からちゅうずりで出てくるときには金一色の衣装。神と人間の差異が一目瞭然であり、そこでアジリタも含めて歌う歌手にも感心した。ディドーが金色の象(造作である)に乗って出てくると、トランペットが象の鳴き声を模倣するのも愉快だった。
ハンブルクでの初演時の演出がどうであったかは別として、われわれは十分にバロック的世界に心を飛ばし、そこに浸ることが出来た、と思う。
歌手について。
ディドーのRobin Johannsenはなかなか力強い声で熱演だったが、ジェスチャ—や所作にエレガントさがやや欠けていたのが惜しまれる。
ヒアルバス(ヌミビア王)のアンドレアス・ヴォルフ(バスバリトン)は豊かな声量の持ち主。存在感があった。
ヴィーナスはAlicia Amo. 舞台の外(天からという想定)からアエネアスに訓告を与える。
アエネアスはJacob Lawrence.
ユーバは、ホセ・アントニオ・ロペス(バリトン)で、声も舞台での振る舞いも堂々としており安定感があった。
ジュノーはJone Martinez.金色の衣装でちゅうずりでの歌は、冒頭からわれわれの度肝を抜くもので、実に素晴らしい歌唱・演出だった。
アカテス(アエネアスの友人)はホルヘ・フランコ(テノール)。アエネアスとの掛け合いでユーモラスな二重唱もあるのだが、楽しく聞かせていた。
指揮はアンドレア・マルコン。オケは、チェトラ・バロック・オーケストラ。非常に明快な指揮で、オケもそれに応えて、場面に応じて表情、リズムを自在に変える。変える時の運動神経が良い。敏捷でありつつ、迫力があるときはあり、しんみりした曲では、ヴァイオリンソロや、オーボエが情感たっぷりに聴かせる。グラウプナーの曲づくりで、曲と曲とのコントラストをつくる巧みさは、ヘンデルを想起させるものがあった。
全体として、極めて満足度の高い上演で、しかもグラウプナーという上演頻度の稀な作曲家の作品であるところに深い感銘を覚えた。
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