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2024年8月19日 (月)

ロッシーニ《エルミオーネ》

ロッシーニのオペラ《エルミオーネ》を観た(ペーザロ、アレーナ)。

二度目なのだが、今回は UNITEL が録画をしていたようだ。

テノールは前回より声の状態が良かった。

作品として、ラシーヌの内向的に情念がにじみ出る世界と、ロッシーニの外向的な世界がどうもしっくりいっているのかが疑問なのだ。

ラシーヌの原作をリブレットも反映しているように思う。その結果だと思うが、今回字幕を追っていったロッシーニのオペラ《とんでもない誤解》、《ビアンカとファッリエーロ》、《セビリアの理髪師》の三作と比較して、圧倒的にリブレットのイタリア語が難しい。一文が長かったり、そこに挿入句がはいり、しかもそれが詩的な表現なので要するに何が言いたいのかは頭をひねらないといけないっといった具合である。プログラムであらすじは確認ずみなのだが、それでも一つ一つの台詞の中身を追っていくのが最も困難だったのがこのオペラだ。

てごわし、ラシーヌ。

エルミオーネの屈折した情念、裏切り者を殺せと命じておきながら、なぜ私の本心がわからなかったのかと後からなじると言ったねじれ屈折した情念とロッシーニの音楽は合っているのか。

今回の上演、オケも指揮も、個々の歌手の熱量、技量に文句はない。むしろそれが高度な達成を見せているので、作品の問題点が露わになっているのかもしれない。

作品として、より深掘りしていけば、こちらの理解も深まり、味わいどころが増えていくのかもしれないが。

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