映画『まだ明日がある』
イタリア映画祭のオンライン上演が始まっている(6月27日〜7月28日)
映画は映画館で観るのが良いのであるが、コンピュータのイヤフォンジャックなどからアンプへとつなぎスピーカから音を出せば、音声の面では相当に満足のいく結果が得られる。イタリア映画は、派手な特撮ものが少なく人間ドラマが多いので、20数インチのコンピュータ画面を近距離から見ればスクリーンの質にもよるだろうがそれなりに満足はいく。
『まだ明日がある』は、ある意味、衝撃的な映画だった。というのも、この映画は、2023年イタリアで最大の観客動員をなしとげた映画だったのである。どんな映画が多くのイタリア人の心を捉えたのかという興味もあって最初に見たのだが、驚いたのは、地味な作りの映画だということである。
舞台は1946年、第二次大戦が終わったばかりのローマ。下町の家族が半地下に暮らしている。窓を開けると、アパートが面した広場を歩く人の足や散歩する犬が見えるのだ。一家は、夫婦(パオラ・コルテッレージとヴァレリオ・マスタンドレア)と子ども三人(長女が婚約しかかっている)、夫の父が寝たきり状態。この舅はなぜか従兄弟同士の結婚が最上と考えて、自分の息子が「外」から嫁をもらったことを愚痴っている。
子どもたち三人は一部屋で寝ているが、下の二人は一つのベッドで頭と足を互い違いにして寝ている。イタリアでも日本でも戦後すぐは貧しかったのである。この映画の主人公はパオラ・コルテレージ演じる妻だと言ってよいだろうが、妻をとりまく苦難は貧困だけではない。夫がDVなのだ。すぐに手をあげる。そういう場面は、ミュージカル仕立てで歌い踊りながらなのでなんとか苦しい気持ちにならずに見続けられる。夫の暴力の背景には、彼が第一次、第二次大戦の両方に従軍した経験がある。戦争に二度も行ったという台詞は繰り返しあらわれるので、夫が妻にふるう暴力は当時は今より多かったと思われるが、この映画の夫はさらにひどかったということが暗示されているのかと思う。
妻には若いころに付き合っていた男がいて、彼は今でも彼女を慕い、北部でより稼ぎのよい仕事があるので移住するが一緒に来ないかと誘われる。彼女は決意して準備を整えるが、決行の日に舅が死に、不可能となる。『まだ明日がある』というタイトルは、決行のチャンスは延期されてもあるということなのか。
最後の場面は、意外だったのだが、女性に参政権がもたらされた最初の選挙に妻が当票に行くところだ。抑圧だらけ、男に対して不平等だらけの1946年から一歩一歩進んで来たとも言えるし、まだまだ進むべき一歩があるとも言えるだろう。コルテッレージ(彼女の初監督映画兼主役)のこの作品がこれほど人々に支持され、国会でも上映されたことに静かな感動をおぼえた。
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