ベロッキオ『エドガルド・モルターラ』
マルコ・ベロッキオ監督の映画『エドガルド・モルターラ』を観た(有楽町・ヒューマントラストシネマ有楽町)。
すぐそばの会場で、イタリア映画祭が開催中であるのだが、事情により、そちらは後日オンラインで視聴することにした。ベロッキオのものは、テーマに興味があるのだが、いつまで上映されるかが不確かなので急いで観ることにした。
中身のぎっしり詰まった、しかしながら、映画的醍醐味にあふれた映画である。テーマとして、強制された改宗というものがある。この映画は史実をもとにしており、それを描いた本をもとにスピルバーグが映画化を構想したが何らかの事情で放棄、ベロッキオがスザンナ・ニッキャレッリとともに台本を書き映画化したのである。
ストーリーは、1858年ボローニャのユダヤ人地区で7歳をむかえるエドガルド・モルターラという少年が、警察により連れ去られる。両親・家族は驚愕するが、枢機卿の命令(その背後に教皇がいる)だと言う。ボローニャは当時、教皇国家の一部であり、当時もまだ異端審問官(inquisitore)がいたのは驚きだった。プログラムに北村暁夫氏が書いているようにこの時期、イタリアの国家統一にむけて様々な動きがあり、教皇ピオ9世は、教皇になったときには、改革派としてイタリア統一の中心にかつがれる可能性もあったのだが、1848年の革命を境に保守反動化する。教皇国家の存在がおびやかされてもいるからだ。教皇国家の存在が、歴史的にみて、イタリア国家統一の最大の障害であったのは周知の事実である。かたくなになった教皇は、リソルジメントを進めるピエモンテの連中を破門するし、エドガルド・モルターラが幼少時にお手伝いの女性が、いつくかの勘違いが重なって緊急の洗礼を授けてしまったことを根拠に、家族から引き離し、それがヨーロッパ各国およびアメリカでスキャンダルとして扱われても、エドガルドを家族のもとへ帰そうとはしないのだ。
ピオ9世は、イタリア国家統一がなると教皇国家の領土を失い、1871年にはローマをも失い、ヴァティカンに閉じこもり、自らをヴァティカンの囚人と称する。ローマが解放されたわけだが、エドガルドは内面を完全にカトリック化してしまい、故郷には戻らず、ユダヤ教徒にも戻らない(この部分までが映画で描かれる)。彼は、カトリックの聖職者の道を歩み続けたのである(映画の最後の字幕)。エドガルドの母の臨終の場面では、彼は家族が見ていないすきをねらって母に改宗を迫るが、母は拒絶する。そこまで彼の内面は、カトリック化されてしまっていたのである。
彼の内面を育んだ(洗脳した)神学校の生活・学習も描きこまれていて、カテキズムの質疑応答が出てくるが、エドガルドが非常に優秀な生徒で、その完成度の極めて高い神学大系を彼は自分のものとしてしまうわけである。
裁判の場面でもそうだが、全体としてはカトリック教会が告発されている文脈ではあるものの、異端審問官や、裁判の時の教会側の主張、論理も丁寧にすくいとられている。教会側がどういうロジックで動いているのかが可視化されるのである。
映画としてでなければ描けないと思われる場面が2つある。1つはキリスト磔刑が等身大(かそれ以上)で描かれた木彫。もう1つはピオ9世の遺骸がヴァティカンからローマ市内の教会に運ばれる際の事件である。何が起こるかは、ここには書かないことにしよう。
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