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2023年12月30日 (土)

ラモー作曲《レ・ボレアード》

ジャン=フィリップ・ラモー作曲のオペラ《レ・ボレアード》を観た(北とぴあさくらホール)。

全曲上演としては日本初演である。セミ・ステージ形式で、フランス語上演で日本語字幕がついている。

このオペラはラモー最後のオペラで1763年に、7年戦争の終結を祝すために作曲されたが、翌年の作曲家の死によって上演されることがなかった(初演は1982年!)。上演されなかった理由として、フリーメーソン的要素あるいは当時の政権を批判する要素があったことに言及するものもあったが今のところ筆者には詳しいことは不明。

ただしラモーはそれ以前に《ゾロアストル》というゾロアスター教の始祖を描いたオペラを作っており、こちらにはより明確にフリーメーソンの表象が現れている。

昨年、同じく北とぴあで観たリュリのオペラもそうであったが、イタリアのバロック・オペラを基準として観ると、フランスのバロック・オペラには驚かされる点が多い。両者の違いを整理しつつ、公演の特徴に触れよう。

1.バレエの場面が量的にも多いし、洗練されている(今回の上演は本格的にバロック・ダンスを研究する振付師による振り付けであり、そもそも演出のロマナ・アニエル(敬称略、以下同様)がポーランド唯一の宮廷バレエ団クラコヴィア・ダンツァを創設し、宮廷舞踏フェスティバルを毎年開催している人なのである。ダンサーの松本更紗はヴィオラ・ダ・ガンバ科を卒業しつつ、かつ、古典舞踊をフランスで学んでいる。同じくニコレタ・ジャンカーキは、2016年に上記のクラコヴィア・ダンツァに入団している。男性のダンサー、ミハウ・ケンプカも2017年にクラコヴィア・ダンツァに入団している。

2.  フレンチ・バロックのオペラを観るたびに、イタリアのバロック・オペラとの差異を強く意識させられる。イタリアではバロックであれ、それ以降のオペラであれ、これほどバレエが中心的な役割を果たすことはない。16世紀のスペクタクルではダンスの比重が相対的には大きかった可能性がある。もしかすると、イタリアでは、レチタール・カンタンドとして始まった歌唱・朗唱が、やがてアリアとレチタティーヴォに二分され、劇のなかでの役割もアリアはその時点での感情表現を担い、レチタティーヴォは人間関係や状況を明らかにする台詞的なものとなるにつれて、リブレットと音楽の関係が構造的となり、バレエという身体表現をさほど必要としなくなったのかもしれない。一方、フランスのバロックは歌唱・朗唱部分においてイタリアのそれと大きく異なる部分が2つある。1つは、フランス人がカストラートを好まなかったので歌唱に超絶技巧を駆使する部分がない、ということ。もう1つはそれとも無関係ではないが、フランスのオペラでは、イタリアのオペラと比較すると、レチタティーヴォとアリアの差が小さい、ということだ。両者のつながりがより滑らかであり、言葉としての劇という側面がより強く感じられるのだが、言葉だけの劇に陥らないのは、バレエの身体性が出てくるからである。イタリアのオペラにおいては声自体の身体性が極限まで推し進められていると言えよう。



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