ヴィヴァルディ《スターバト・マーテル》
ヴィヴァルディの《スターバト・マ−テル》その他のコンサートを聴いた(イェズイット教会、インスブルック)。
音楽祭全体のプログラムには単に《スターバト・マーテル》と題されたコンサートとなっており、カルダーラとガルッピとヴィヴァルディの作品と書いてあったので、三人の《スターバト・マ−テル》を聞き比べるという企画のコンサートかと思ったらそうではなかった。当日、教会の外で販売されていたこのコンサートのプログラムには詳細が書かれている。
最初がコンチェルトRV129。この教会は残響がとても長いので、1曲を弾いているうちに楽員間の調整が進む感じだ。コンチェルト・イタリアーノだが、音楽祭でよくあるように全員がきているわけではなく、ヴァイオリン2人、ヴィオラ1人、チェロ1人、コントラバス1人、テオルボ1人と指揮兼オルガン1人だ。これで十分である。
2曲目は‘Longe mala umbrae terrores’RV640 というモテット。これは作曲年が1720−35年と書いてある通り、由来がよくわからない作品のようだ。一説には1725年頃、ピエトロ・オットボーニ卿のために書かれ、ピエタ孤児院のためではなく、カストラートに宛てて書いたのだろうという。たしかに聴いてみると超絶技巧、アジリタの連続で、その日のソプラノ、マリアンネ・ベアーテ・キーランドも音を拾いきれないというか、音楽の進行にアジリタの刻みが遅れ気味になるところが何カ所かあった。このノルウェーのソプラノ歌手は、昨年秋の新国立劇場での《ジュリオ・チェーザレ》を歌った人である。その時の指揮もこの日と同じアレッサンドリーニであった。キーランドは歌いっぷりは素直だが、声量は大きくはなく、アジリタもそれほど素早く回転するわけではない。声量に関しては、新国立とは異なり教会なのでまったく問題は無かった。
3曲目はヴィヴァルディのシンフォニアRV169 だが、'Sinfonia al Santo Sepolcro'(聖墳墓のシンフォニア)という題がついている。ヴィヴァルディの曲としては非常にセリアな性格を持ち、模倣様式で各声部が前の声部を追っていく。
次はカルダーラのモテットが2曲。‘Ego sum panis vivus’ と ‘Te decus virginem’.
どちらも指揮者のアレッサンドリーニの編纂した曲とのこと。カルダーラの曲は、この当時の作曲規範により忠実だったのだろうとおもわせるお行儀のよい曲である。カルダーラとヴィヴァルディは二人ともヴェネツィア生まれでウィーンで亡くなっている。カルダーラは宮廷副楽長として、ヴィヴァルディはほぼ野垂れ死にである。年は8つしか違わない。が、作風は随分と異なるものだ。
次はガルッピのモテット《Ave Regina coelorum》.ガルッピは彼らと30歳ほど年下にあたる。ギャラント様式がはいってきて、図式的に言えば、随分モーツァルトに近づいた感じがするのだった。
次がヴィヴァルディの Sonate al San Sepolcro で、これもセリアな曲想であった。
最後がヴィヴァルディの《スターバト・マーテル》。この曲は1712年という早い時期にブレーシャ(父の出身地)で初演された。初演の後は忘れられていたのだが、1939年にアルフレード・カゼッラの尽力により蘇演された。カルダーラの《スターバト・マ−テル》と比較するとよくわかるのだが、ヴィヴァルディの《スターバト・マーテル》は世俗の愛の歌のように感情に直接訴えかける要素が強い。スキャットのようなところもある。3曲目からはヴィヴァルディ調が全開で、他の作曲家はこんな俗っぽい、威厳を欠いた曲は書かなかったろうと思う。おそらく当時は欠点ともみなされかねない部分が今のわれわれには強く訴えかけるのだ。この曲は急いで書いたらしく伴奏が丁寧につけられていない。が、まぎれもなくヴィヴァルディならではの軽やかで、時に切々と胸に訴えかける宗教曲だ。カルダーラは最後のアーメンをアーメン、アーメンと2回繰り返しておわるが、ヴィヴァルディはどこまでもどこまでもアーメンが延びていき、しかもアジリタの連続なのだ。興味の尽きない作曲家である。
| 固定リンク
コメント