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2023年8月17日 (木)

ヴィヴァルディのオペラ《忠実なニンフ》(その1)

ヴィヴァルディのオペラ《忠実なニンフ》を観た(インスブルック、音楽堂)。

音楽堂というのは Haus der Musik で州立劇場の隣の建物である。この音楽堂に二つの劇場があって、この日の会場は地下の

小劇場である。一列が15人で15列なので定員は225名。小ぶりな劇場で、バロック・オペラにはふさわしいと思うが、ここで上演するのはインスブルック古楽音楽祭の若手オペラである。若手オペラについて説明するとオーケストラもおおむね若手でこの音楽祭の臨時のオケらしく

Barockorchester:Jung (バロックオーケストラ・ユング)というものだ。序曲を聴いて、ピッチや縦のラインの揃い方が、この音楽祭に登場する超一流の管弦楽団とは異なることがわかる。ただ、指揮者との息はあっていて、アリアになると実に音楽的なノリのよい伴奏をする。なので、ピッチうんぬんの定量的な能力はすぐに気にならなくなった。ヴィヴァルディの音楽、特にアリアはドラマが展開するに連れて、キャラクターやその場、情景のアフェット、情感を、時に深く、時に感情の襞までも描出していく。つまり、表現の振幅、種類の多さが求められるのだが、キアラ・カッターニの適切な指揮ぶりに応じて、このオケは様々な表情を表し、テンポもリズムも生き生きと変じるのであった。

このオペラは演出も納得のいくものであり、歌手の歌唱も若手オペラとしては十分高いレベルだった。

あらすじがかなり複雑なので次項で紹介する。

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2023年8月14日 (月)

《ヴェネツィアのカーニヴァル》

《ヴェネツィアのカーニヴァル》と題されたコンサートを聴いた(アンブラス城、インスブルック)。

この音楽会はなかなか凝ったものなので説明が必要だ。一言で言えばパスティッチョをコンサート形式で上演したのである。

18世紀にドイツで、《愉快なだまし、ヴェネツィアのカーニヴァル》というオペラが流行り、複数の作曲家が曲をつけた。この日のコンサートでは4人のドイツおよびフランスの作曲家のアリアをつないで簡略版のパスティッチョとしていたわけである。簡略版なのも無理はなく、

演奏時間は二時間程度だし、そもそもこの作品には三組のカップルが出てくるのだが、この日の歌手はソプラノ1人、バリトン1人である。そういう限界というか制約があることを踏まえての話にはなるが、珍しい作曲家の珍しいオペラ作品を聴け、しかも演奏が大変生き生きとしており大いに楽しめた。

この作品のオリジナルはフランスのコメディ・バレ(バレ・ド・クールから発展したオペラ)で、それが何度も書き換えられ、曲がつけられた。オリジナルのリブレットはジャン・フランソワ・ルニャールが書き、それにアンドレ・カンプラが1699年に曲をつけた。当時のフランスの趣味に従い、バレやコーラスのシーンが多い。第三幕にはインテルメッツォとしてオルフェオが上演される。オペラの中のオペラ、劇中劇である。しかし劇のメインとなるのは、ヴェネツィアのカーニヴァルやその華やいだ雰囲気である。

その数年後、ヨハン・アウグスト・マイスターがフランス語からドイツ語にリブレットを翻訳した。その過程でフランス趣味を修正している。1707年にはラインハルト・カイザーとクリストフ・グラウプナーが曲をつけたがこれらは消失してしまった。そのうちの何曲かが複雑な経緯をへて、ヨハン・ダフィト・ハイニヒェンの作とともに伝わった。以上の4人の作曲家のアリアや舞曲などを混ぜて当日のプログラムは構成されていたわけである。ストーリーは、二組のカップル(フランス版からドイツ版で三組が二組になってのだろうか?)が交錯して、最後には元の鞘におさまるというモーツァルト/ダ・ポンテの《コジ・ファン・トゥッテ》と似た話だという。

歌手はソプラノのハンナ・ヘルフルトナー。一人3役でちょっとずつ衣装を変えていた。もう一人はバリトンのマッティアス・フィヴェーク。二人とも、身振りを交え、曲想に応じ雄弁に歌っていた。オケはBarockwerk Hamburg.イラ・ホフマンの指揮・チェンバロである。構成は10人で、オーボエやファゴットがいるのが個人的には嬉しかったが、驚いたことに、コントラバスは途中で2度小さなリコーダを器用に吹いた。オーボエとファゴットも一度リコーダーに持ち替えたので音色は想像以上に豊かだった。単に楽器の種類だけでなく、このオケは最初から大胆にはずんでいた。ヴァイオリンのコンサート・ミストレス(Micaela Storch-Sieben)のリードもよかったし、打楽器がいるのもそれに貢献していた。アリアの歌詞は、イタリア語のものとドイツ語のものと両方あった。

こういう複雑な手続きを踏んだ娯楽ではあるが、料理法が上手なので、聴衆は皆大いに楽しんでいた。

 

 

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フランチェスカ・アスプロモンテのリサイタル

フランチェスカ・アスプロモンテのリサイタル《プリマドンナ》を聴いた(アンブラス城、インスブルック)。

アンブラス城は、郊外の丘の上のお城なのでシャトルバスが出る。

日本では、歌手の名前にリサイタルとつける場合が多いが、ヨーロッパではリサイタル自体に何らかのタイトルがついている場合が多いと思う。一夜のプログラムをあたかも一冊の本のように構成して目次(どういう曲を演奏するか)を構成し、本のタイトルをつけるように、リサイタル全体のタイトルをつけるのである。だから、プログラムはどういう意図があるのか、音楽史的な見取りなのか、意外な補助線を引くことによって普段見過ごされがちな作曲家、時代の一面が見えてくるというプログラムなのか。プログラムを読み解く楽しみもあるというものだ。

この《プリマドンナ》というタイトルはフランチェスカ・クッツォーニを指しているのだと思われる。この日歌われたのは、ピエル・ジュゼッペ・サンドーニとベネデット・マルチェッロであるが、サンドーニの生涯をたどっていくとクッツォーニとの接点が見えてくる。

サンドーニは1685年(1683年説もあり)にボローニャで生まれた。オルガン弾きとして作曲家として頭角をあらわしたが1716年にロンドンに渡り、ヘンデルの指揮のもとでオーケストラ団員となる。そこで有名な歌手フランチェスカ・クッツォーニと知り合い、結婚する。ロンドンの後はミュンヘンやウィーンで過ごし再びイタリアに戻る。その後、再びロンドンに渡って今度は貴族オペラの方に加わる(ポルポラが率いていた)。晩年はボローニャに戻りアカデミアの運営に関わった。

この日のプログラムは、ベネデット・マルチェッロのシンフォニアとサンドーニの歌曲および器楽曲が交互に置かれていた。前半はオケのラ・フロリディアーナもアスプロモンテも安全運転で、端正な歌いぶり、演奏ぶりだった。休憩をはさんで後半にはいって少し大胆に表情をつけたりテンポを動かしたりするようになった。

マルチェッロのシンフォニアは主題に洒落たものもあるのだが、意外な展開や意表をつく表現には乏しいと感じた。サンドーニのカンタータや器楽曲も、破綻はないのだが、創意工夫に富んだというよりは、オーソドックスなものであった。

後半の演奏中に何度か雷の音がしたが、シャトルバスに乗るまでに皆びしょ濡れになった。

 

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2023年8月12日 (土)

ヴィヴァルディ《スターバト・マーテル》

ヴィヴァルディの《スターバト・マ−テル》その他のコンサートを聴いた(イェズイット教会、インスブルック)。

音楽祭全体のプログラムには単に《スターバト・マーテル》と題されたコンサートとなっており、カルダーラとガルッピとヴィヴァルディの作品と書いてあったので、三人の《スターバト・マ−テル》を聞き比べるという企画のコンサートかと思ったらそうではなかった。当日、教会の外で販売されていたこのコンサートのプログラムには詳細が書かれている。

最初がコンチェルトRV129。この教会は残響がとても長いので、1曲を弾いているうちに楽員間の調整が進む感じだ。コンチェルト・イタリアーノだが、音楽祭でよくあるように全員がきているわけではなく、ヴァイオリン2人、ヴィオラ1人、チェロ1人、コントラバス1人、テオルボ1人と指揮兼オルガン1人だ。これで十分である。

2曲目は‘Longe mala umbrae terrores’RV640 というモテット。これは作曲年が1720−35年と書いてある通り、由来がよくわからない作品のようだ。一説には1725年頃、ピエトロ・オットボーニ卿のために書かれ、ピエタ孤児院のためではなく、カストラートに宛てて書いたのだろうという。たしかに聴いてみると超絶技巧、アジリタの連続で、その日のソプラノ、マリアンネ・ベアーテ・キーランドも音を拾いきれないというか、音楽の進行にアジリタの刻みが遅れ気味になるところが何カ所かあった。このノルウェーのソプラノ歌手は、昨年秋の新国立劇場での《ジュリオ・チェーザレ》を歌った人である。その時の指揮もこの日と同じアレッサンドリーニであった。キーランドは歌いっぷりは素直だが、声量は大きくはなく、アジリタもそれほど素早く回転するわけではない。声量に関しては、新国立とは異なり教会なのでまったく問題は無かった。

3曲目はヴィヴァルディのシンフォニアRV169 だが、'Sinfonia al Santo Sepolcro'(聖墳墓のシンフォニア)という題がついている。ヴィヴァルディの曲としては非常にセリアな性格を持ち、模倣様式で各声部が前の声部を追っていく。

次はカルダーラのモテットが2曲。‘Ego sum panis vivus’ と ‘Te decus virginem’.

どちらも指揮者のアレッサンドリーニの編纂した曲とのこと。カルダーラの曲は、この当時の作曲規範により忠実だったのだろうとおもわせるお行儀のよい曲である。カルダーラとヴィヴァルディは二人ともヴェネツィア生まれでウィーンで亡くなっている。カルダーラは宮廷副楽長として、ヴィヴァルディはほぼ野垂れ死にである。年は8つしか違わない。が、作風は随分と異なるものだ。

次はガルッピのモテット《Ave Regina coelorum》.ガルッピは彼らと30歳ほど年下にあたる。ギャラント様式がはいってきて、図式的に言えば、随分モーツァルトに近づいた感じがするのだった。

次がヴィヴァルディの Sonate al San Sepolcro で、これもセリアな曲想であった。

最後がヴィヴァルディの《スターバト・マーテル》。この曲は1712年という早い時期にブレーシャ(父の出身地)で初演された。初演の後は忘れられていたのだが、1939年にアルフレード・カゼッラの尽力により蘇演された。カルダーラの《スターバト・マ−テル》と比較するとよくわかるのだが、ヴィヴァルディの《スターバト・マーテル》は世俗の愛の歌のように感情に直接訴えかける要素が強い。スキャットのようなところもある。3曲目からはヴィヴァルディ調が全開で、他の作曲家はこんな俗っぽい、威厳を欠いた曲は書かなかったろうと思う。おそらく当時は欠点ともみなされかねない部分が今のわれわれには強く訴えかけるのだ。この曲は急いで書いたらしく伴奏が丁寧につけられていない。が、まぎれもなくヴィヴァルディならではの軽やかで、時に切々と胸に訴えかける宗教曲だ。カルダーラは最後のアーメンをアーメン、アーメンと2回繰り返しておわるが、ヴィヴァルディはどこまでもどこまでもアーメンが延びていき、しかもアジリタの連続なのだ。興味の尽きない作曲家である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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アウクスブルク

アウクスブルクを訪れた。

この帝国自由都市と宗教改革の関係をミクロに見てみたいという狙いからだったが、かなりその願いはかなった。

この町出身でヨーロッパ有数の富豪となったフッガー家。そのフッガー家の造った福祉住宅フッガーライを見たが、ここを建て始めたのが宗教改革の発端とほぼ同時期。その後、町がプロテスタント一色になると、カトリックの教会は閉じられたり、ミサをあげることを禁じられたので、フッガライの中に教会を造った。一時は再カトリック化の動きもあるのだが30年戦争でスウェーデンがやってくると、フッガーライはスウェーデン軍に接収されてしまう。スウェーデン軍退去の後再び福祉施設として働きはじめる。

町の市庁舎を作ったエリアス・ホールという建築家は、プロテスタントに改宗するが、町が再カトリック化したときにプロテスタントを貫いたため失職する。

アウクスブルクは教科書的には帝国自由都市で、カトリックとプロテスタントが共存・併存していたということで巨視的にはそれで間違ってはいないのだろうが、ミクロに見ると、そんな単純なものではないことがわかる。

この町の守護聖人ウルリッヒをまつるウルリッヒ教会などは、本体はカトリックのお堂なのだが、脇に突き出ている部分はプロテスタントであり、この境界線が確定するまで長年裁判があったほどだ。

 

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ヴィヴァルディのオペラ《オリンピアデ》その2

ヴィヴァルディのオペラ《オリンピアデ》を再見(チロル州立劇場)。

やはりこのオペラ、ヴィヴァルディ版ではアミンタ(歌うのはデ・サ)が最も技巧的で歌い映えのする曲があたっている。’Siam navi all'onde algenti' の時には降りた幕の前にデ・サが一人でおり、しかも彼にスポット・ライトが当たる。他のアリアではそういう扱いはないので、特別扱いである。オケも指揮も、来たー、という感じでノリがよい。ヴィヴァルディのこういう曲は、何度聞いても、ここでこうなるとすみずみまでわかっていても、序奏を聴くとワクワクする。会場の聴衆もやんやの喝采である。ツボにはまる曲なのである。日本でこのオペラが上演されないのは、とってももったいないことだと思う。

非常に音楽的な快感に充ちた音楽なのだが、歌詞をみるとあらゆる快楽は(つまずきの)石・岩だと言っていて、むしろ教訓的なのだ。ヴィヴァルディは、こういう歌詞と知りつつ、かしこまった曲ではなく、聴く者を快感の嵐に巻き込む曲を書いたのだ。

むろん、リチダ(ベジュン・メータ)やメガークレ(ラファエレ・ペ)にも聞き惚れるアリアがある。王と王の部下オロンテはバス(バリトンを含む)なのだが、聴きごたえのあるアリアがあってバランスがとれている。

今回の演出で良かったのは、女羊飼いを名乗っていたアルジェーネが黒い地味な服を脱いで、水色のドレスになるところ。身をやつしていたが実際はお姫様というのがよくわかった。小学生でも出来る演出だが、こういう基本を抑えていないとストーリーが把握しにくくなるのである。

(追記)最終日、たまたま早めに会場に行くと、上の階のロビーで、デ・サがヴィヴァルディを歌うことについて語っていた。彼は英語で話し、ドイツ語通訳がはいる。デ・サによると、ヴィヴァルディのアジリタは難しいが、それはヘンデルの難しさとは異なる。ヘンデルは声用に書いているが、ヴィヴァルディは器楽と同じように書いているというのだ。ポルポラは、また別の難しさがあって、彼は声楽の先生でもあったから声楽のテクニックを知り尽くして、難しい曲も書くのだという。

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2023年8月 8日 (火)

チロル州立博物館(その4)オランダ風景画の勃興

オランダ風景画の勃興

16世紀に勃興した風景画は、単に宗教画の背景ではなかった。オランダの風景画は17世紀になると独立した、非常に人気のあるジャンルへと発展する。ただし、絵画ジャンルのヒエラルキーの中では末席にいたことは間違いないのだが。

この時代、遠国の珍しい風景ではなく、国内の風景が描くに値するモティーフと捉えられるようになったことが新しい。

静物画と同様に、そこには象徴的な意味があり、堤防を建設する技術を誇るのと同様のプライドが反映されているのである。それゆえ、風景は必ずしもあるがままに描かれるとは限らず、理想化されて描かれることもあった。

一方、イタリアを描いた風景画は、国内の風景画よりも高く売れた。しかも画家たちは必ずしもイタリアに実際に行って描いたのではなく、牧歌的情景にたっぷり南方の光をいれて理想化された光景を描いた。

風景画のサブジャンルとしては、Aert van der Neer のように夜の情景を専門とするものや、Egbert van der Poel やFrans van Oosten のように火の燃えさかる情景を専門とするものもいた。

次項に続く。

 

 

 

 

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チロル州立博物館(その3) オランダ絵画のアイデンティティー

博物館の展示・解説から

16世紀・17世紀のオランダのアイデンティティー

何世紀にもわたり、オランダは水との戦い、外国支配との戦いを続けてきた。

16世紀半ばからはスペイン・ハプスブルクからの独立を目指す。その結果、カルヴァン派の北部(ネザーランドの北部)とカトリックの南部(ネザーランドの南部)に分かれる。1566年に大規模な聖像破壊運動が起こる。カルヴァン派の牧師たちは教会から聖像を取り除くように説いた。

この宗教運動は、美術の世界にも影響を及ぼした。北部では独立した商工業者が、新たなジャンル、風俗画(genre painting)を受け入れた。これによってはじめて近代的な意味での美術の市場が生まれた、とこの博物館の解説は語っている。一方、南部では宗教画の需要があり、貴族たちが大きな役割を果たし、より保守的な嗜好を示していた。

北部で出現した風景画は、この新しい美術市場の恩恵をこうむった。これらは、直接的・間接的にその地域の歴史を語るものだった。海や堰を描いたもの、17世紀に気候が寒冷化した情景などを描いている。

次項へ続く。

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チロル博物館 その2 風景画や静物画の誕生について

この博物館の一角には、オランダの画家たちの風景画や静物画が展示してある。この博物館のところどころに付された絵画史に関するコメントは、個別の画家の情報とは別に、時代を俯瞰し、巨視的にヨーロッパ的視野からどういう事態、事件、政治・経済情勢が発生していて、文化(絵画)がこういう変化を遂げたという解説が各コーナーにあり、決して長い文章ではないが近年の研究も反映されているようで嬉しい。

いくつかを紹介する(大意を取ったものできちんとした翻訳ではないことをお断りしておく)。

歴史画が、絵画のジャンルのヒエラルキーの中でトップに登りつめたーそれは17世紀オランダに限らない。歴史画といった場合、絵画のモティーフを旧約・新約聖書、ギリシア・ローマ神話、聖人伝、詩や歴史書から取っている。このジャンルの卓越性は、上記のところから取ってきた人物を上手く配置することによって物語が語られるように(観る者が読み解けるように)描くことである。

歴史画の一つの起源は祭壇画にあって、そこでは聖書の出来事を語る(例えば東方の三賢者の礼拝)のだった。

ところが、オランダの北方でカルヴァン派が確立すると、礼拝所で図像(絵画・彫刻)が禁止され、歴史画の需要が無くなってしまった。こういった絵画は、教会からは注文もされず、購入もされず、新たに富裕になった都市商業階級によって購入されるようになった。Barent Fabritius やレンブラント周囲の画家たち、Cornellis de Baellieur らはこういった新しい階層が顧客となったのである。

以下、次項へ。

 

 

 

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チロル州立博物館

  Tempimagegvlfnx チロル州立博物館を見学した(インスブルック)。

この博物館は、フェルディナンド大公によって設立されたため Ferdinandium と呼ばれることもあるオーストリア・ハンガリー帝国で三番目に古い由緒ある博物館で考古学的なものから現代美術にいたるまで幅広い収蔵品を収めている。

が、筆者は特殊な関心のもとに、数多くある収蔵品の一部に強い興味がある。

1.以前にも書いたことがあるが、ここにはモンテヴェルディの肖像画(とされているもの、専門書においてもしばしば彼の肖像画として掲載されている)がある。すんなり、彼の肖像画といえないところに、当時の音楽家の地位が決して高くはなかったことが反映されているとも言えよう。

2.古楽器(と言っても16世紀や17世紀の人にとっては現代の楽器なわけであるが)や古楽器の描かれた絵画の収蔵・展示があること。この博物館は来年から3年をかけて大きな修復をするとのことで、展示を大幅に変更しており、残念ながら観ることが出来なかった。最近のヨーロッパの博物館は、大幅な修復をすると展示方法、解説方法がデジタル化、ヴィデオの利用が進み判りやすくなるので、修復後の展示にぜひ再会したくはある。

3.今回観て面白かった絵の一つに、子ども3人が描かれている絵があった。なんだかおかしな雰囲気なのだが理由がある。貴族の子どもが、羊飼いの格好をしているのである。1645年頃描かれた絵で、当時の文学やオペラのリブレットでも羊飼いの格好をしているが、実はどこかの王子、王女と言った話はよくあるのだ。16世紀には牧歌劇などもはやっている。これを描いたのはオランダのAelbert Cuyp であるが、こういう主題がこの時代に描かれていることに興味を惹かれた。子どもたちの服の細部を見ると、服は決して質素ではなく、細かな刺繍がほどこされていたり生地自体もむしろ贅沢なもののようだ。つまり3人の牧童は、観念的な牧童であって、リアルな牧童ではないのだ。17,18世紀のオペラやカンタータ、演劇に出てくる羊飼いもそうで大抵は宮廷人の仮の姿といったところ、なにか事情があって故郷を離れ、身をやつしている、という場合もある。

まだ書くべきことはあるのだが、次項にまわす。

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ヴィヴァルディのオペラ《オリンピアデ》

ヴィヴァルディのオペラ《オリンピアデ》を観た(チロル州立劇場、インスブルック)。

周知の如く、このオペラの台本(リブレット)はメタスタージオが書いたもので、数多くの作曲家がそれに曲をつけている。初演以外は、劇場が雇う歌手の都合などでリブレットの細部に手が入ることが多い。ある歌手のアリアの数が増え、別の歌手のアリアの数が減ったりするのである。あるいは、レチタティーヴォが簡略化されたりすることもある。

日本で最も上演された《オリンピアデ》はペルゴレージ作曲の版であろう。これが傑作であることは言うまでもないが、ヴィヴァルディの《オリンピアディ》も聴けば聴くほど優れた曲なのだ。ペルゴレージ−はイェージで開催されたペルゴレージ音楽祭の際の録画が、ブルーレイでもDVDでもCDでも手に入る。指揮はデ・マルキ。

今回、指揮者は同じくデ・マルキでヴィヴァルディの《オリンピア》を観ることができるのは幸運といわねばなるまい。ヴィヴァルディの《オリンピアデ》はCDのみが発売されている。

そもそもこのチロル州立劇場は2021年の夏には大劇場が修復中で使用できなかった。ネットを見ると、2021年の秋から新装なった大劇場が再開したのかもしれない。ともかく2023年の夏現在、真新しい劇場が使われている。客席のイス一つ一つ大きめになったのは嬉しい。

また、字幕が変化した!ドイツ語字幕と英語字幕が舞台右側にも、左側にも表示される。しかも数行表示されるのだ。これは相当わかりやすい。

今回の演奏は、指揮がデ・マルキ。今年がインスブルック古楽音楽祭音楽監督の最後の年である。これまで彼は、17世紀のものや、18世紀でもめったに演奏されない珍しいものを積極的に取り上げてきたが、今年はヴィヴァルディにフォーカスしている。オーケストラは、インスブルック祝祭管弦楽団。このオケを聴くのは初めてだが、イタリア人が多かった。デ・マルキの指揮のもと、時にいきいきと、しかし安定感のある伴奏をしていた。

歌手は王のクリステーネがクリスティアン・ゼン。王女のアリステアはマルゲリータ・マリア・サーラ。彼女の歌唱は格調高いのだが、この劇場の大きさからすると声量にややのもの足りなさを感じた。以前にインスブルックの別の劇場で聴いた時にはまったく声量不足を感じなかったので、たまたま今回のどの調子が十全でなかったのか、それとも劇場の大きさがクリティカルに作用しているのか。

我がままな求愛者リチダにはベジュン・メータ。その友人で彼に尽くすために自分の恋人を断念するつらい役のメガークレにはラッファエーレ・ペ。この二人のカウンター・テナーは快調そのものだった。今回の演出は、オリンピックというより、現代のジムのようなところで男たちが身体を鍛えているといった体の演出だったが、ペは何度も体操器具を実際に操ったり、縄跳びをしたり、腹筋運動をしてみせ、そのまま歌にはいっていくというなかなかの苦行を背負っていたが、それを感じさせない歌い振りだった。

王女の相談役(羊飼いの格好をしているが実はクレタの貴族の娘)アルジェーネは、ベネデッタ・マッツカート。以前にカールスルーエで聴いた時には声が細いと思ったのだが、今回は何の不足も感じず、実に堂々としたものだった。

本来メタスタージオのリブレットを読むと端役なのだがリチダの家庭教師にアミンタという男がいる(ソプラニスタのブルーノ・デ・サが歌う)。ペルゴレージの場合にはさほど目立たず、静かでいい曲があるなあ、という感じなのだが、ヴィヴァルディ版では最も派手で聴かせどころの多い第二幕のアリア 'Siam navi all'onde algenti' (われわれは銀色の波に翻弄される船)というメタスタージオのリブレットで盛り上がる場面では定番の隠喩アリア。われわれの人生は嵐の海の小舟のようなものなのだ。人生・運命が荒波。われわれは小舟。盛り上がるべくして盛り上がり、この日一番大きな拍手をデ・サは受けた。CDで聴いてもそうなのだが、アミンタのアリアはストーリー展開や、役柄を越えて聴きごたえのある特上のアリアが振られているのである。デ・サは軽やかに跳ね踊る演技も含め、楽々と出る高音を活かしてこれらのアリアの魅力を十分に伝えたのだった。

ペルゴレージの場合、第一幕でどんどん魅力的なアリアを繰り出しているが、ヴィヴァルディの場合はむしろ第二幕になってからとっておきのメロディー、アリアを出している。ペルゴレージの場合、若かったし、ナポリからローマに出てきて日が浅く、初っ端から聴き手の心をつかむ必要があったのだろう。ヴィヴァルディの場合は、この曲を書いたときにすでにベテランで地元ヴェネツィアで書いているので、魅力的な曲はあとから出すという戦略をとったのだろう。

第三幕になって、人物がこの人は実はこう(羊飼いかと思ったら貴族だった、など)あるいはクレタの王の息子かと思ったら、王クリステーネの息子だったなど、種明かし的な場面があるわけだが、このあたりはレチタティーヴォが続く。モーツァルトやロッシーニに慣れていると、大団円が重唱で盛り上がっていくというパターンに慣れてしまうわけだが、この時代はまだそうではない。複雑な糸の縺れをほぐす時には歌ではなくレチタティーヴォなのである。それが音楽的にはもの足りなく感じてしまうこともあるのだった。言うまでもないことだが、これはデ・マルキの演奏には何の責任もない。この時代の様式、作曲の仕方と現代の我々の耳の問題である。

とは言え、すこぶる高レベルかつ充実した歌唱、オケによるヴィヴァルディのオペラ。至福の時である。

ペルゴレージとの比較で言えば、リチダに死刑が迫り、何か最後の望みはと問われるとメガークレに会いたい、という。友情の極みであり、アリステアはどうでもよかったの?という場面だが、ペルゴレージの方が友情の強さが感じられる展開になっており、ヴィヴァルディではそのあたりはほとんど台詞で流してしまいあっさりしている。

同じリブレット(アリアの出入りはあるので細部の変更(Baltolomeo Vitturi による)はある)だが、味わいのポイントが微妙にずれてくるのであり、そこがまた味わい深く、面白みのあるところとも言えよう。

 

 

 

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2023年8月 7日 (月)

インスブルックへの移動

2023年8月初旬に羽田からインスブルックに移動した。コロナ禍にも移動しその報告は書いているが、今回は空港にも

変化があったので簡単に報告しておく。

ANAはface express という制度を導入し、空港の機械の前で顔と搭乗券を読み込ませると、そこから荷物預けに行く。

手荷物預けのところが無人になっていて、航空券をかざし、発券されたタグは自分でスーツケースに巻き付けるのだった(これは筆者は初めての体験)。そこから手荷物検査場に行くと、faceexpress 専用のレーン(初めての体験)であって手続きが早く済む。(ただし faceexpress に対応している便とそうでない便があるので注意)。

羽田からフランクフルトに向かう便は圧倒的に外国人客が多かった。あるいは日本人とドイツ人のカップルなど。

フランクフルトへは結局、行きは北極上空まわりで14時間ちょっと。12時間を過ぎると1時間、1時間が長い。

フランクフルト空港もあまり東洋人はみかけない。そこから Air Dolomiti .小さな一列4人の飛行機。タラップを登ったり降りたりする。

インスブルック空港は町から近いのでタクシーで15ユーロ。

ホテルに着いたのが午前中だったが、例によって午後3時までは部屋が空かないとのこと。長旅の後はホテルで横になりたいのだが仕方がない。町のインフォメーションに行き、今日演奏会があるか尋ねると、あるがチケットは完売。イル・ジャルディーノだったので残念な気もする。しかし結果的にはこれでよかった。2時過ぎにホテルにはいって寝るつもりもなくベッドに横たわったら、気がついたら5時間正体もなく寝てしまったのだ。演奏会は19時からだったから演奏会に間に合わなかったし、無理していっていたらすさまじい睡魔との戦いになったろう。身体が休息と眠りを必要としていたのだと納得する。着いた直後は興奮していて疲れをすぐには感じないのだが、ホテルにはいって横たわるとどっとその疲れが押し寄せてくるということのようだ。

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2023年8月 2日 (水)

ヘンデル《トロメーオ》

ヘンデル作曲のオペラ《トロメーオ》を観た(上野・東京文化会館)。

日本ヘンデル協会のオペラシリーズVol.21で、創立25周年記念公演である。コロナ禍のため、今回は5年ぶりの公演とのこと。

ヘンデル協会のオペラは、音楽監督・演出・指揮の原雅巳(敬称略、以下同様)によるバロックジェスチャーが一大特徴だと思う。バロック・オペラにふさわしいバロック・ジェスチャーを、歌手の一人一人に原が指導するのである(ツイッターでその様子を一部公開している)。バロック・ジェスチャーには身分の高い人や正義の人はどちらから出てくるとか、二人の間からが調和的か対立的かで、どう向き合うかが変わる。アリアを歌う人のポジションと歌わない人の位置などなど。19世紀後半・末以降のリアリズム重視とは異なる。これはやるなら全員がこの動きをする必要があるので、歌手のコミットメントが通常の演出以上に大きくなると思う。

ここまで動きが徹底しているものは、ヨーロッパでも観られないのではないだろうか?衣装も、現代服ではなく、時代を感じさせる衣装となっている。もちろん、歌手個人個人によって、バロックジェスチャーが板についている人と、ほのかにぎこちない人もいる。新田壮人のアレッサンドロなどは後者のくちであったが、それが逆にユーモラスな雰囲気を醸し出し、いい味を出していたと思う。

トロメーオの中村裕美は、響き渡る声ではないのだが、表情のメリハリが利いており、劇の展開の要所、要所を締めていた。セレーウチェの村谷祥子は、叙情性豊かな歌唱をきかせた。一カ所器楽奏者のトラブルに端を発して進行に苦慮するところがありハッとしたが、バ
 ロック・ジェスチャーだとこういう時に、すっと動いて歌いなおした時に驚くほど違和感 が少ないのだった。歌手も指揮・オケも見事な対応であったと思う(最後の一文、筆者の勘違いに基づいた論評を書いていましたが、適切なご指摘をうけ訂正しました)。
アラスペの望月忠親は、朗々と響く声で、キプロス王の堂々とした感じを巧みに出していた。エリーザの小倉麻矢は、このオペラの中で場面によって曲想が大きく変化する唯一の役柄だ(他の役柄は嘆いてばかりとか一貫性があるといえばあるが、変化に乏しい)。変化に富んでいる分、歌い甲斐もあるが、表情をどうつけるかが難しくもあるだろう。エリーザは横恋慕をする女性で、権力(王の妹)をかさにきて、意地悪なことも言うので、もっと憎々しげに歌ってもよいのではと思うところもあったが、全体的に安定感があって、役柄から想定するより品のよい歌い振りだったと言えよう。

オケは12人ほどだが、文化会館小ホールなのでまったく不足はない。最近のバロック・オーケストラだとオケによっては相当大胆な表情づけをする(弦楽器の弓の使い方なども、時に荒々しく弦にたたきつけるような奏法をとることがある)が、今回のヘンデル・インスティテュート・ジャパン・オーケストラは、穏やかに、インテンポで劇を進めていく。

ストーリーが結構入り組んでいて、トロメーオとアレッサンドロが兄弟なのだが、エジプトから追放されている。アレッサンドロは母から兄のトロメーオ殺すよう命じられるが、殺したくないし、彼は兄が王になる(復位する)のがふさわしいと思っている。という状況にトロメーオの妻や彼らが流されているキプロス島の王アラスペとその妹エリーザが絡む恋愛模様が絡む。

こうした人間関係を理解するのに大いに役立っているのは字幕である。ヘンデル協会の字幕には通常のオペラの字幕と異なる特徴がある。まず、字幕を表示する面積が大きくて、三行とか四行をいっぺんに映すことが出来る。その結果、たとえばデュエットで二人がどういうやりとりをしているのか、一気にわかる。さらに、台詞・歌を発している登場人物の名前が書かれているので、この人がこの役というのが幕毎に定着していく。これは、通常の字幕だと、はじめて観る(聴く)歌手が数人もいるとどれが誰だかなかなか頭に入らない。顔なじみの歌手が多ければ多いほど、この人がこの役柄というのは頭に入りやすい。

こうしたいくつもの工夫が相乗効果を発揮して、《トロメーオ》の世界に入っていきやすくなる。大いに楽しめた。

ヨーロッパでも滅多に上演されない演目である。

筆者も絡んでいるので、手前味噌のそしりを免れないかもしれないが、プログラムも大変充実したものだ。リブレットについても、ヘンデル作品と当時の政治の関係についても、それぞれの論者が詳しく論じている。ヘンデルのこの作品の先行作がD.スカルラッティ作曲のオペラで、それは未亡人となったポーランド王妃がローマに小さな宮廷を開いていてそこで上演されたのだ。しかも彼女の息子はアレッサンドロ(アレクサンデル)という名前だった、などという事も書かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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