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2023年3月 4日 (土)

ヘンデル《オットーネ》演奏評

ヘンデルのオペラ《オットーネ》の最終日を観た(カールスルーエ、州立劇場)。

カールスルーエ・インタナショナル・ヘンデル音楽祭の千秋楽である。この音楽祭では、2つのオペラ演目と教会や小ホールでのコンサートが組み合わせられている。一年おきにヘンデル・アカデミーというマスタークラス+シンポジウムが開催される。演目は一つの演目を2年ずつやるのである年がAとBだとすると次の年はBとC、その次はCとDという具合にずれていく。1演目は新作(新プロダクション)でもう1作は再演となるわけだ。

今年の場合、《オットーネ》が新作で、オラトリオ《ヘラクレス》が再演だった。そのせいか《オットーネ》の方が客入りがよかったように見受けられた。

指揮はカルロ・イパータであるが、この人も叙情的な曲と元気な曲のメリハリをつけるのは良い。オケのうまさもあってコントラストは引き立つ。ただし、スローで叙情的な曲をすべてのフレーズを丁寧になぞるし、大きな区切りではリタルダンドまでする。その点には2つ問題がある。1つは音楽の推進力が落ちること。もう一つはリブレットとも絡むのだが、《オットーネ》に出てくる恋愛感情はロマン派のような恋愛感情と区別して考えるべきだということだ。テオーファネにしたところが、そもそもオットーネと名乗った人物が偽物だったわけで、気の毒と言えば気の毒だし、滑稽といえば滑稽なのである。彼女のせつせつと訴える気持ちは見事に音楽的に描かれているが、ドラマとしては第三者的に観るとコミカルな面がある。それは母親にあやつられているアデルベルトについてもそうだし、オットーネも妙に王様らしくない王様だ。ある意味では原作になったロッティの《テオーファネ》のパロディとなっている面がある。バロック・オペラに出てくる恋愛は、ロマン派以降のオペラの恋愛と較べるとずっと技巧的あるいはゲーム的・遊戯的要素の強いものである。だから綺麗なメロディを丁寧に丁寧に楷書的になぞるばかりではなく(そういう時があってもよいが)、時には行書的にさらっと流してほしかった。さらっと流しても、そこに心にふれるメロディーがある、というのも、名脇役がよく考えればこころ打つ台詞をさらっと言うというような感じで素敵ではないか。

しかし場合によって劇場によって観客層によってロマンティックな演奏の方が受けてしまうこともある。カールスルーエの客層は、地元の人が多く、ヨーロッパの他の国(多少はいる)、アメリカ、東洋からの客はごくまばらである。そしてこの劇場は通常はロマン派以降のオペラのシーズンを持っているので、健全なことに多くの観客は、ヴェルディやワーグナーも聴けばヘンデルも聴くという人たちなのだと思う。これが音楽祭でインスブルックやバイロイトのバロック・オペラ・ファスティヴァルになれば、バロック・オペラを好む客が集まっているという可能性がより高くなるだろう。

そういう意味で、カールスルーエという街の規模(人口約30万人)を考えると、実に豊かなオペラ生活が享受できる街なのだと言えよう。

 

 

 

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