ヘンデル作曲《オットーネ》
ヘンデル作曲ニコラ・フランチェスコ・ハイム台本のオペラ《オットーネ》を観た(カールスルーエ、州立劇場大ホール)。
州立劇場はただいま改修工事中で、入り口も2年前とは異なる場所で、入ると目の前がクロークである。敷地内には、巨大なクレーン車が据え付けられ、地面に大きな穴があいて地下に何か新たな構造物が出来るものと思われる。劇場の壁は一部が壊されている状態で、不出来な現代芸術のようでもある。
ヘンデルのオペラ《オットーネ》は原題は Ottone, re di Germani なのでドイツ王オットーネである。歴史上のオットー1世とその息子オットー2世の話を適当にまぜて、その上で勝手な恋愛関係を混ぜて作った話。実在の人物が登場するが、恋愛や細部のエピソードは勝手に作り上げるというのは18世紀のオペラセリアにはよくあるパターンである。
あらすじは、オットーネが征服した領土に対して、ジスモンダという前領主の妻が息子を使って領土を取り返そうと策略をめぐらす話で、ジスモンダのキャラクターは相当に強烈だ。ヘンデルの作品でいえば《アグリッピーナ》のアグリッピーナやポルポラ作曲の《カルロ・イル・カルヴォ》のジュディッタと共通する。18世紀のオペラ・セリアには、権力欲、支配欲、征服欲に充ちた女性がまま登場する。19世紀のオペラのほうがはるかに政治・経済・権力が男の世界化している。
オットー(ユーリ・ミネンコ)はテオファーネ(ルシーア・マルティン=カルトン)と婚約しており彼女のもとへ向かっているが船が嵐にあい遅れている。そのスキをねらいジスモンダ(レーナ・ベルキナ)は息子アデルベルト(ラファエーレ・ペ)をオットーネに化けさせ、テオファーネと結婚させ領土を取り返そうともくろむ。テオファーネは手元のオットーネの似姿と突然あらわれオットーネを名乗るアデルベルトの容貌の違いに戸惑う。このあたりはかなりコミカルである。
ローマへの洋上で海賊と戦っていたオットーはエミレーノ(ナタナエル・タヴェルニエ(タフェルニエ?))を捕らえるが、このエミレーノがじつはテオファーネの弟であるというのもオペラ・セリアではよくあるパターンだ。そこへオットーの従姉妹マティルダ(ソニア・プリーナ)がオットーにジスモンダらの策略を知らせにやってくる。策略がバレたアデルベルトとエミレーノは一緒に牢に入れられる。ここまでが第一幕。
舞台は3階建ての建物の壁を取り払った各階を行ったり来たりする。衣装は皆18世紀風の衣装で統一感は取れている。特に違和感はない。いつもはショートカットのソニア・プリーナがフェミニンな髪型、ドレスで印象的だった。先日、ヘンデルの《シッラ》で歌舞伎風の悪役で隈取りまでしていたのとは180度反対なわけで、どちらも見事に演じる演技力は、歌唱力に加えて賞賛に値すると思う。《シッラ》では悪い男、《オットーネ》ではアデルベルトに思いを寄せ、弱いところも見せるマティルダ。外見だけでなく、性格も対象的だ。
オットーネ演じるミネンコは、ツェンチッチの代役で、彼としてはとてもよく歌っていたと思う。が、ツェンチッチで聴いてみたかったという思いが現れなかったと言えば嘘になる。
マルティン=カルトンは開演前に不調だが出るということが伝えられ、たしかに出だし声を落として歌っていたが二幕以降は調子が出てきた。
指揮のカルロ・イパータは、丁寧に歌手に寄り添うのはよいのだが、テンポが遅くなった時にレクーペロ(テンポを元にもどす)してくれないので、音楽に緩みがみられることがあった。とはいえ、全体はオケの有能さもあいまって破綻はない。
《オットーネ》という音楽劇の18世紀性を心ゆくまで楽しめる演奏であり演出であった。
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