ヘンデル作曲《復活》
ヘンデルのオラトリオ《復活》を観た(カールスルーエ、州立劇場小ホール)。
これはヘンデルがローマに遊学していた時代に書かれた作品で、リブレットを書いたのは、カルロ・シジスモンド・カペーチェという亡命していたポーランド女王の宮廷詩人だった人物。当時ヘンデルはローマの有力貴族ルスポリ家の世話になっていて、1706年4月8日復活祭の日曜日に初演された。場所は、ルスポリ家の屋敷パラッツォ・ルスポリである。
当時はローマでは教皇によりオペラが禁じられていたので、宗教的な題材(登場人物は、天使、悪魔、福音者ヨハネ、マグダラのマリア、クレオフェのマリア=クロパの妻マリア)で音楽的にはレチタティーボとアリアが交互にあらわれるオペラ的作品である。ちなみに、女性歌手を使ったことで初演時、教皇庁からおとがめがあったとのこと。
第一部と第二部からなる。第一部では天使と悪魔が論争する。
第二部では、天使が勝利を宣言する。マグダラのマリアとクロパの妻マリアはイエスの墓にむかい、その墓が空であることを見出す。
いろいろあってイエスの復活を信じてめでたしめでたし。
今回の上演では、初演時のオーケストラ編成をかなり忠実に再現していたようだ。当時としては大オーケストラで40人ほどの大編成だった。今回の上演でも同じく40人程度だったが、指揮者のまわりにヴァイオリン独奏、ヴィオラ・ダ・ガンバ独奏、チェロ独奏者らがいて、少し奥に10数名のヴァイオリン奏者、チェロ、ヴィオローネ(コントラバス)、トランペットなどが配されている。ここで効果的なのは、ヴァイオリンやチェロが一丁で弾く場面と全体で弾く場の交代が実に鮮やかなコントラストを描くこと。オーディオ的快感満載なのだ。どの程度のスピーカー、部屋ならこのコントラストが(そこそこ)再現出来るだろうかなどと考えてしまう。
歌手は, 天使が Carine Maree Tinney. イタリア語の発音が聞き取りにくい箇所はあったが、アジリタや声量は十分。ルシファー(悪魔)はダヴィッド・オストレック。非常に口跡のよいバス。マグダラのマリアは、フランチェスカ・ロンバルディ・マッズッリ。去年、神奈川県立音楽堂でヘンデルの《シッラ》が上演されたときにも出演しており、それはNHKで放映もされたのでご存じの方も少なくないだろう。クロパのマリアはカウンターテナーのラファル・トムキエヴィッチ。彼は抑制が効いてカント・バロッコの様式感をたたえつつそこに情感を込めることも自由に出来る優秀なカウンターテナーである。福音者ヨハネは韓国出身のテノール、ユン・ソン・シム。彼のパートは福音者であることもあって、オーケストラが鎮まり伴奏が指揮者のひくチェンバロになってしまうので音楽的なダイナミズムは他の歌手と比較すると乏しくなってしまうのだった。
オーケストラは、ハレのヘンデル音楽祭管弦楽団がやってきて演奏したのだが、独奏者がコンサートミストレス、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロどれも舌を巻くうまさ。指揮のアッティリオ・クレモネージの棒さばきも見事だが、彼らの間で交わされる微妙なニュアンスのやりとりに奏者自身が喜びを感じているのがよくわかった。非常に音楽的な感度の高い素晴らしいオーケストラである。さらに、ヘンデルが凝った仕掛け(ヴァイオリンのパートも独奏か全体で弾くか)を実に効果的に使っていて、本来であればコンチェルト・グロッソなどでも同様のオーディオ的な快感があってしかるべきなのだが、筆者は今回ほどのオーディオ的快感かつ音楽的快感をこういった編成から得たことはなかった。
宗教曲だから抹香臭いなどというステレオタイプからこれほど遠く、ドラマとしての魅力、音楽の愉しさ、オーディオ的快感に充ちた贅沢な時間だった。復活祭をこういうゴージャスな楽しみかたをするというのは、いかにもローマの貴族らしいとも思った次第。
この曲のいくつかのアリアは、後にオペラ《アグリッピーナ》などに転用されており、耳馴染みのある曲もいくつかあった。いつか、舞台化して天使や悪魔がでてくる上演を観てみたいものだ。
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