カヴァッリ《カリスト》その1(作品について)
フランチェスコ・カヴァッリ作曲のオペラ《カリスト》を観た(川口、リリアホール)。
大いに楽しめた。音楽的にも演出的にも見事な演奏・演出で、それと相まって芝居の展開、ストーリーもすっと頭に入るし、会場はたびたび笑いにつつまれた。
モンテヴェルディやカヴァッリのオペラは、まだオペラ・セリアやオペラ・ブッファに分化する前の時代なので、一つのオペラにセリア(シリアス)な要素とブッファ(コミカル)な要素が共存している。リブレット(台本)を書いたのはジョヴァンニ・ファウスティーニだが、今回、つくづくよく出来た台本だと思った。台本レベルで考えると、このオペラには3つのグループがある(それらは劇の進展とともに混じり合っていくのだが)。
1つは、ジョーヴェとカリストである。神々の王ジョーヴェがニンフのカリストを見そめ、口説くためにディアーナに変身する。
2つは、月の女神ディアーナとそれに憧れ熱い心を寄せる羊飼いのエンディミオーネ。
3つめは、森に住み性的欲望をかなり露骨にしめすパーネ(牧神パン)、シルヴァーノ、サティリーノの三人。
1と2は、1のカリストが2のディアーナにお仕えするニンフであること、ジョーヴェがディアーナに化けることで連関している。2と3はパーネがディアーナに恋い焦がれているがディアーナは拒絶することで絡み合う。2と3は、ディアーナとエンディミオーネがドラマの進展とともに相思相愛となるのを知って、パーネが激しく嫉妬することで絡む。
テーマとして、表に出てきて一番わかりやすいのは、カスティタ(貞節・純潔)とその崩壊である。
大前提として月の女神ディアーナは純潔で、それに付き従うニンフのカリストやリンフェアも純潔でなければならない。しかし1で述べたようにカリストはジョーヴェがディアーナに変身したため疑うことを知らずディアナ(実はジョーヴェ)のキスを受け入れ、性の喜びに目覚めてしまう。ディアーナはディアーナで、月をあがめる羊飼い兼天文学者のエンディミオーネの情にほだされ仲良くなってしまい、それを知ったニンフのリンフェアも自分も恋人が欲しいと言い出す。そこへ出てくるのは3の連中で、彼らは露骨に(演出によっては性器を丸出しにしている場合もあるのだが、今回は下半身に毛むくじゃらのパンツをはかせることで獣性を表現していた)リンフェアを誘惑するが彼女は拒絶する。
1,2,3のレベルで純潔から情欲へというテーマがある。が、その一方でエンディミオーネのディアーナを恋い焦がれる気持ちは純粋である。彼は羊飼いであると同時に天文学者であるのが興味深い。この時代、前世紀にコペルニクスやガリレオやティコが出てきて、宇宙観が大きく揺らいだ時代である。
ジョーヴェの妻ジュノーネの嫉妬をかい、カリストは復讐の女神フーリエによって熊に姿を変えられる。ジョーヴェですらそれをもとにもどすことは出来ないがその代わりに、カリストを星にして永遠の存在にして幕となる。とってつけたようではあるものの、愛の天上性、永遠性が讃えられて終わることになる。
劇の進行に沿ってみれば、愛の天上性、永遠性が一貫してほめたたえられているのではなく、劇の展開部ではむしろエロス的な要素が大いに活躍しているわけである。この両者が拮抗・バランスしていて、音楽的にも叙情的だったり、下世話だったりする変化の妙が楽しくもあり、聴きごたえのあるところでもある。
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