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2022年12月 7日 (水)

『ピランデッロ戯曲集II』

斎藤泰弘編訳『ピランデッロ戯曲集IIーエンリーコ四世/裸体に衣服を』(水声社)を読んだ。

訳者のまえがきにあるように、『エンリーコ四世』と『裸体に衣服を』は、前年の『作者を探す六人の登場人物』に続いて、作者ピランデッロの創造力が高まりをみせた1922年の作品である。つまり今年が100周年なわけだ。英米文学で言えば、T.S.エリオットの長編詩「荒れ地」やジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』が出版された年であるが、こうした当時の文学界に衝撃を与えた新しい戯曲、詩、小説が非常に近接した時期に出現したのは単なる偶然ではないと思う。

彼らの活動以前に、イタリアでは未来派、英米文学ではイマジズムのような19世紀までの伝統をぶち壊せというスローガンをかかげた運動があり、それが前述三作品が出現するための地ならしの役割を果たしていたとは言えるだろう。そこに第一次大戦が勃発し、4年間続き、1918年に終結する。それまでの数十年間のヨーロッパが関与した戦争と異なり、ヨーロッパが戦場となり、ヨーロッパの国同士が戦う総力戦であったから、そのインパクトは人々の生活、世界観、そして芸術表現のすべてに及んだ。19世紀的な世界観が粉砕された中から新たな世界観を構築すべく誕生したのがピランデッロ作品であり、エリオットの詩であり、ジョイスの小説であっただろう。

『エンリーコ4世』は、仮装パレードを楽しんでいた主人公が皇帝エンリーコ4世に扮し、彼が思いを寄せるマティルデがトスカーナ女伯マティルデに扮していた。ところが主人公はパレードのさなかに落馬し、意識を失う。意識が戻った時には、彼は自分がエンリーコ4世だと信じるようになっていた。その事故を哀れに思った主人公の姉は、別荘に11世紀の宮廷をしつらえ廷臣に扮する人を雇った。それから20年後が劇の中身だ。読み進めると、実はかなり前から主人公は自分がエンリーコ4世でないことを自覚するようになっており、狂気に憑かれたフリをしていたのだということが判る。演じるということが複雑に入れ子になった劇だ。訳者が指摘しているように、この作品には小林勝氏の訳注による対訳本『エンリーコ4世』(大学書房)がある。

 『裸体に衣服を』は本邦初訳で、筆者はその存在自体を初めて知った。トルコのスミルナ駐在のグロッティ領事のもとで働いていたベビーシッターと領事の間のスキャンダラスな関係と、領事の子どもがテラスから転落したという不幸な事件が幕が上がる前の前史である。エルシリアというベビーシッターは、自殺するつもりで、その前に新聞記者に事件の顛末を多少ドラマチックにして語る。しかし彼女の自殺は未遂に終わり。。。

 ピランデッロは、抽象的な劇の複雑な構造のなかに、意外なほど世俗的ななまなましい事件を落とし込むのが巧みだ。だから、通俗的になりすぎず、また、難解あるいは抽象的すぎて興味が持続しないということもなく最後まで読み通してしまう。

 読み通すことができるのには、訳者の明快な解説や、訳注によるところも小さくないと思う。

 

 

 

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