ヘンデル作曲《シッラ》
ヘンデル作曲のオペラ《シッラ》を観た(桜木町、神奈川県立音楽堂)。
実に素晴らしい上演だった。歌手よし、オケよし、演出よし、何も言うことはない。指揮のビオンディもすみずみまで心を行き渡らせながら、かといってエッジがなまることのない心地よく生き生きとしたテンポ、リズムで音楽を運んでいた。
このオペラの上演は、2020年3月に上演が予定されておりながら、しかも3日前の2月26日まで練習が進められておりながら、コロナ禍のため直前に中止となった(この点では新国立劇場の《ジュリオ・チェーザレ》と酷似している)。
そのキャンセルされた公演の前には、日本ヘンデル協会によるレクチャーがあり、諏訪羚子氏の対訳、三ヶ尻正氏の解説のついたリブレットが販売されていた。今回の上演の二週間ほど前に、ネット上でもミン吉さんのサイト「オペラ御殿」(オペラ・ファンにはつとに知られたサイトである)でも《シッラ》についての解説と、要所要所に文法的、語法的解説のついた対訳がアップされた。さらには、今回の上演はNHK・BSで来年の1月に放送されるとのことで、三種類目の日本語字幕が参照できることになる。これはバロック・オペラとしては、モンテヴェルディなど一部を除いて希有なことだと思う。
今回の上演では何といっても声の競演が素晴らしかった。解説にもあるように《シッラ》はおそらくは興業用ではなく、オケージョナルな上演を目指していて、社会情勢が変わったためそのオケージョナルな上演がおそらくは中止になってしまったとのこと。これは以前に当ブログで紹介したマッテゾンの《ボリス・ゴドノフ》でも生じたケースである。そのせいかアリアの配置・数が均等に近い感じがした。どの歌手にもそこそこアリアの数が割り振られていて見せ場、聴かせどころがある。
今回の歌手は粒ぞろいでレベルが極めて高いことは言うまでもないのだが、声質のヴァラエティにも富んでいる。ソニア・プリーナとヴィヴィカ・ジュノーはヴェテランだし知名度も高いが、自分のスタイルを持っていてそれで聴かせる。二人とも叙情的な部分とアジリタ(早い敏捷的な動きを見せるパッセージ)の使いわけも見事。それに対し、ロベルタ・インヴェルニッツィとフランチェスカ・ロンバルディ・マッズーリは模範的に端正かつ上品な歌い方で、これはこれで見事なものだった。かつての名歌手で言えば、デル・モナコやディ・ステーファノのような個性的名歌手と、ベルゴンツィのような模範的に端正な名歌手といったところである。そういう2つのタイプの名歌手たちが勢揃いして入れ替わり立ち替わりヘンデルの様々なタイプのアリアを歌ってくれ、時には二重唱まであるのだから、贅沢の極みである。クラウディオを歌ったヒラリー・サマーズという人はアルトなのだが、不思議な声質の人で、ファルセットのような響きがするのだったが、とても体格がよく上背のある人で舞台映えがした。メテッラ役のスンヘ・イムは、軽めの声であるが、劇的な場面での声の表情づけが巧みだった。
ビオンディは指揮兼ヴァイオリンの弾き振りで、手兵とも言うべきエウローパ・ガランテのメンバーとは目線を交わすだけで以心伝心、しかも楽員の自発性が感じられる実に好ましい演奏。オケは19人で、編成も弦楽器以外は、チェンバロ、小ぶりなテオルボ、リコーダーとオーボエの持ち替え、トランペット、ファゴットといったシンプルな編成だが、たとえばオーボエからリコーダーに変わると、やはり曲想にぴったりの変化でその巧みさに舌を巻く。オケの表情は劇的になったり叙情的になったり自由自在で、生き生きしたテンポ、リズムで実に音楽的に心地よく納得のいくものだった。
演出および舞台衣装は、歌舞伎にインスピレーションを得たものであることは、上演前のビオンディ・弥勒対談で弥勒氏が述べていた通り。ソニア・プリーナやヴィヴィカ・ジュノーの男役は実に決まっていて愉快だった。むしろ女性役の方がスンヘ・イムを除いては、気の毒な気がした。異性装の方が舞台映えがしたのである。ひょっとするとそれは観客であるわれわれは、日本に暮らしているので、専門家でなくてもある程度、着物を見慣れていることにも原因があるのかもしれない。主人公のシッラは悪役(つぎつぎに人妻にも、婚約者のいる女性にも権力をかさにきて迫る)なのだが、それにふさわしくソニア・プリーナは歌舞伎の悪役風の藍隈取りをしていてそれが決まっていたのだ。ヴィヴィカ・ジュノーは善良な人物の役で、それにふさわしくエレガントな立ち居振る舞いで、アジリタの超絶技巧だけでなく、演技でもおおいに感心した。最後のエクス・デウス・マキナは、天井から布を伝って女性がサーカスのように空中で舞う趣向で表現されていて、スペクタクルな要素がやや乏しい舞台に花を添えた。
神奈川県立音楽堂は、舞台は狭いのであるが、舞台中央に鳥居を抽象化したような赤い門が左右に複数あり、その間から神が登場した。また客席からみて左手にやや張りだした部分があって、そこでアリアや二重唱を歌わせるのも巧みな工夫であった。
悪役のシッラは、最後海で遭難し妻に助けられて突然改心する。その突然さの前後の練り具合がやや弱いのだが、おそらくこれは、急いで作曲されたのであろうし、また、リブレットにも原作がないことにも起因しているかと思う。ヘンデルのオペラではしばしばヨーロッパ大陸で上演されたものを、黙って改作してそれを上演台本にしていることがあるのだが、《シッラ》の場合は、それがないのだ。
バロック・オペラならではの歌の競演、超絶技巧の披露、敏捷なオケの変わり身の見事さを堪能した。これほどの音楽性の高みを味わえるオペラ上演は、ヨーロッパでもそう多くはないと思う。会場の神奈川県立音楽堂も、バロック・オペラ上演にちょうどよい大きさだ。観客にも大いに受けていた。
幾多の艱難を乗り越えてこの上演を実現してくれた関係者の皆さんに心から感謝。
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