ストラデッラ作曲《サン・ジョヴァンニ・バッティスタ》その2
ストラデッラ作曲のオラトリオ《サン・ジョヴァンニ・バッティスタ》を聴いた(シュタット教会、バイロイト)
前項の続きである。演奏について。
まずなんと言っても目立つのは、教会での残響の長さだ。そのためアジリタは聞き取りにくい。また、オケが早いテンポで突き進む場面でもチェロの早いパッセージなどは音の1音1音は聞き取りにくい。教会と言っても一括りにはできず、バイロイトの教会でオルデンス教会やシュロス教会での演奏会も経験して言えることは、天井が低い教会はさほど残響が長くないという傾向がある。天井の高さだけで決まるわけではないのは、劇場の天井の高さを考えると当然のことで、空間の形状も大いに関与する変数が複数ある方程式なのだろう。
シュタット教会は、天井が高く、残響が長い会場であった。この日もキャンドルが灯され、雰囲気は抜群。会場はほぼ満席埋まっていた。
指揮はマルケロス・クリシコス。以前に《オリンピアデ》の一風変わったCD(多くの作曲家が同一リブレットに対し曲をつけていることを利用して、それを混成してCDを編成している)を指揮していた。結構尖った指揮ぶりなのだが、前述の事情でテンポが速い部分はなかなか評価がむずかしいのだった。ジェノヴァで聴いた時には、前半と後半の間に休憩が入ったのだが、今回は休憩なしで一気に演奏がされた。全体として早めのテンポであったし、チェロが同じ音型を繰り返して、オブセッションのように聞こえるところは随分と早かった。
サン・ジョヴァンニ・バッティスタがツェンチッチ。サロメ(へロディアデ娘)がマーヤン・リヒト、サロメの母(ヘロディアデ母)がジェイク・アルディッティ、エロデ王がズレーテン・マノイロヴィッチ、助言者がステファン・ズボンニク。ツェンチッチは、教会の響きを完全に我が者としていて、音楽の表情が隈なく伝わってくる。思うに、ウィーン少年合唱団の頃からこういう教会で歌ったらこう響くということが頭に入っていてそれに合わせて歌い方を調整することが出来るのだと思う。サロメのマーヤン・リヒトは代役でヴィンチのオペラのアレッサンドロを務めてそれは立派だったが、元々このサロメ役だったのは納得がいった。教会で、残響の助けがあって、澄んだ綺麗な声を響かせるのが向いている。母親役のアルディッティはもともと出番少なく、贅沢な起用法と言えた。エロデ王のマノイロヴィッチは、力で押してくるタイプで、教会の響きとかぶり音楽の細かな表情が伝わりにくいのだった。
オーケストレーションに関して、テオルボと低弦のみの間奏部は、えも言われぬ美しさだった。テオルボのような音量の小さい楽器は、ヴァイオリンが奏でるとほとんど聞こえなくなってしまうが、音量の小さな楽器同士で、音のテクスチャーを編む瞬間には、教会のように残響が長いところが効果的だと思った。大ホールではPAなどを使わない限り、もともとの小音量が大空間に吸収されてしまう感じなのだ。
ストラデッラのオラトリオは、オラトリオというジャンルから連想するよりはるかにオペラ的劇的表情に富んでいることを再確認した。
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