《インドのアレッサンドロ》演出その2
演出の続き。
ツェンチッチが言うように、18世紀においては、リブレッティスタのメタスタジオは並ぶもののない第一人者であった。また古代ギリシアのアレクサンダー大王は18世紀に大変人気があったので、彼を扱ったオペラ(台本)を書くことが求められたわけである。
バロック期の支配者(王であれ、副王であれ)は、自分をアレクサンダー大王に見立てる、なぞらえることが好きだった。メタスタジオはエンターテイメントの中に、為政者の社会的・政治的テーマを織り込んだのである。
ツェンチッチは、読み替え演出で、舞台を19世紀初頭のイギリス、ジョージ4世の宮廷をイメージし、ブライトンのパヴィリオンが舞台で、そこで宮廷人たちがアレクサンダー大王のインド遠征をめぐる即興劇をしているという枠組みを設定している。
だからこのオペラ全体が劇中劇なわけである。
ツェンチッチが言うように、18世紀のヨーロッパ人にとってはインドは地理上の実在の国というよりも、『想像上の国』であった。そこを逆手にとって彼は登場人物たちの動き、ダンスにボリウッドの要素をふんだんに取り入れている。18世紀の人々のオリエンタリズムを異化しているわけだ。この狙いは見事に的中していると筆者は評価する。
前述のように、初演当時のローマでは、教皇の方針で女性歌手が歌えず、女性の役はカストラートが歌い演じたわけだが、今回のカウンターテナー歌手たちの化粧ぶり、しぐさの優雅さは、特筆ものであった。デ・サ演じるクレオフィデを女性が歌っていると勘違いしたジャーナリスト、批評家もいたとプロダクション関係者より聞いた。
こうしてインド王ポーロに対する「偏見」は、ダイレクトなものではなく、18世紀の、劇中劇の中の、女性役を男性が演じる中でのキャラクターという仕掛け、配置になっているのである。
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