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2022年9月17日 (土)

エマニュエル・ドゥ・ネグリのリサイタル

ソプラノ歌手エマニュエル・ドゥ・ネグリのOrpheus Britannicus と題したリサイタルを聴いた(シュロス教会、バイロイト)。タイトルはブリテンのオルフェウスという意味になろうが、それは作曲家パーセルのことなのだ。

パーセルは生年は正確には分からないが1659年頃とされ、1695年に亡くなっている。彼は生前からイギリスで大作曲家と認知されており、葬儀もウェストミンスターで厳かに営まれた。そしてこの Orpheus Britannicus という題名で、音楽業者のヘンリー・プレイフォードが動いて、1698年と1702年に2冊のアルバムが出版された。パーセルの歌曲を集めたものである。第一巻の冒頭には未亡人のフランセスがレイディー・ハワードという婦人への献辞を書いている。レイディー・ハワードは、政治家兼劇作家のロバート・ハワードの妻で、詩人ジョン・ドライデンの義兄弟だった。ジョン・ドライデンは、英文学史上では大詩人なのだが、日本ではあまり知られているとは言えないだろう。しかしパーセルとの縁は深いのだ。彼は《インドの女王》というリブレットを書いていたのだが、パーセルの死により未完に終わってしまった。

この日演奏されたパーセルの歌曲や鍵盤楽器の曲を聴くと、軽い違和感を覚える。それは同時代のヨーロッパの作曲家とは音楽語法が微妙に異なるからだ。地理的にヨーロッパ大陸から切り離されていることもあって、独自の音楽文化がイギリスでは育ったのである。だから、ドイツの宮廷と比較して、イタリアやフランスの影響がはるかに小さかったと言えるのである。そういう「自由な」状況で、パーセルは音楽語法を探求していくことができたわけだ。

大陸と違うのは、高度な技巧を求めずに、感情表出を素朴にしようという趣きが支配的な点で、この時期のイギリスはヘンデルがやってくる前で、本格的なオペラではなく、劇伴奏や仮面劇のようなセミオペラと分類されるジャンルで、劇の言葉に音楽が付されていた。今回の演奏会でもシェイクスピアの『アテネのタイモン』、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』を翻案した『フェアリー・クイーン』、前述のハワードとドライデン共作の『インドの女王』に付された歌曲も演奏された。

(『フェアリー・クイーン』の部分、指摘を受け訂正しました)。

パーセルの歌曲は、イギリスのそれ以前の大作曲家としてテューダー朝のダウランドがいるわけだが、そのポリフォニックな要素、対位法的な要素がほとんどない。そういった事情もあって、彼は最初の歌曲作曲家と呼ばれることもあるのだ。

形式的に大陸的な要素がないので拍子抜けする面と、それゆえの軽やかさ、自由な歌曲をドゥ・ネグリとブライス・セイリ—のチェンバロでたっぷりと享受できた。

 

 

 

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