映画《スーパーヒーローズ》
パオロ・ジェノヴェーゼ監督の映画《スーパーヒーローズ》を観た(イタリア映画祭2022,オンライン上映)。
物理教師マルコ(アレッサンドロ・ボルギ)と漫画家アンナ(ジャスミン・トリンカ)の恋愛物語。時間軸を行ったり来たりするうちに、この二人の間にどんな事件が起こったのかが次第にわかっていく。
詳細は避けるが、二人とも病気にかかる。若い二人が、それぞれ病を得てそれが人生の転換点となるストーリーというところに、コロナ時代の間接的反映があるかもしれない。
パオロ・ジェノヴェーゼ監督の映画《スーパーヒーローズ》を観た(イタリア映画祭2022,オンライン上映)。
物理教師マルコ(アレッサンドロ・ボルギ)と漫画家アンナ(ジャスミン・トリンカ)の恋愛物語。時間軸を行ったり来たりするうちに、この二人の間にどんな事件が起こったのかが次第にわかっていく。
詳細は避けるが、二人とも病気にかかる。若い二人が、それぞれ病を得てそれが人生の転換点となるストーリーというところに、コロナ時代の間接的反映があるかもしれない。
ディンノチェンツォ兄弟が監督した映画《アメリカ・ラティーナ》を観た(イタリア映画祭2002,オンライン上映)。
なんというか、不思議なホラー映画であった。ホラーといっても、人が次々に殺されたりはしない。都市郊外に妻と娘2人と暮らす歯科医(エリオ・ジェルマーノ)が主人公。ある日、地下室に行くと少女がロープで縛られ血まみれになっているのを発見する。すぐに警察に通報すると思いきや、彼はロープを取ってやるもののどこにも連絡はしない。翌日になるとまた少女はロープで縛られているので、この少女は幻影なのかと疑いたくなる。あるいは、歯科医のブルジョワ生活の中で、彼の無意識を表象するアレゴリー的存在なのかとも思う。
しかし、最後に思いがけないどんでん返しがある。
レオナルド・ディ・コスタンツォ監督の映画《内なる檻》を観た(イタリア映画祭2022,オンライン上映)。
閉鎖が決まった刑務所が舞台。移送先の都合で受刑者12人が一時的に残されるのだが、刑務官の方も人手が足りない。食事もそれまでは刑務所の厨房で作っていたものがケータリングに変わり、受刑者たちはハンガーストライキを始める。暴動が起こるのは避けたい刑務官たちと受刑者たちの間の緊張感。刑務所という閉ざされた空間の中での室内劇的な様相が強い。立場が権力者と受刑者という強者と弱者のはずなのだが、刑務官たちも人数が足りず、受刑者の管理を楽にこなせているわけではないし、受刑者は人種も様々、経歴も様々、認知症的な振る舞いをするものがいても、それが演技なのか、本当にそうなのか、判断に苦労する。特殊なサスペンスものとも言えるが、空間と人数が限定されているので、案外一人一人の個性が描きこまれている。音楽もライヒの手拍子だけの音楽があると思えば、民族音楽もあり、効果的。刑務官の一人がトニ・セルヴィッロ、受刑者の一人がシルヴィオ・オルランドでオルランドは受刑者の知的ボスを演じている。
ピエルフランチェスコ・ディリベルト監督の映画《そして私たちは愚か者のように見過ごしてきた》を観た(イタリア映画祭2022,オンライン上映)。
ある企業の管理職アルトゥーロは自らが導入したアルゴリズムによって職を失う。結局彼は、飲食宅配代行のフーバーに就職して、やはりアルゴリズムに支配されながらピザやパスタを出前する。そこへフーバー・フレンズという関連会社が扱うホログラムの女性がやってくる。一週間は無料のお試し期間なのだが、最初はとまどいを感じつつも、ホログラムの女性に心が傾き、彼女こそ自分を一番理解してくれる人と感じる。さて、この女性の実態はという展開になっていく。
ユーモラスであると同時に、グローバルIT企業の怖さがぞわぞわと感じられる映画でもある。
マリオ・マルトーネ監督の映画《笑いの王》を観た(イタリア映画祭2022,オンライン上映)。
19世紀から20世紀にかけてナポリのコメディを代表する劇作家で役者だったエドゥアルド・スカルペッタ。彼の一座が彼を中心にまわり、一方で私生活では妻の他に妻の妹や姪とも関係をもって子をなしている。不思議な大家族なのである。スカルペッタを演じるのはトニ・セルヴィッロ。あるとき、スカルペッタは、ダンヌンツィオの戯曲『イオリオの娘』を観て、そのパロディーを作り上演しようと考える。ダンヌンツィオに挨拶に行き、口頭での許可は得るのだが、実際の上演は妨害にあい、盗作と訴えられて裁判となる。その時に弁護してくれたのが、ベネデット・クローチェなのである。最後まで観ていると、この大家族、スカルペッタの姪の子供(父親はスカルペッタ)がエドゥアルド・デ・フィリッポであることが明かされる。19世紀から20世紀にかけての劇団の内部事情として観ても面白いし、ダンヌンツィオやクローチェといった文化人の描き方も実に興味深い。いろんな確度から楽しめる映画である。
マルトーネ監督はイタリア映画祭ではおなじみの監督だが、近年はオペラの演出もしているのでそちらで馴染みの方もいるかもしれない。
エドアルド・レオ監督・主演の映画『ある日、ローマの別れ』を観た(イタリア映画祭2022.オンライン上映)。
エドアルド・レオは『いつだってやめられる』のシリーズで日本にも知られた監督・俳優だ。この映画では作家トンマーゾを演じている。スペイン人の恋人ゾエと長年同棲している。トンマーゾは匿名(ガルシア・マルケスを名乗っている)で人生相談に応じているがある日、長年同棲している相手と別れるかどうするか迷っている、という相談を受ける。相談してきた相手はまさにゾエなのである。正体はあかさず、二人の間でメッセージのやりとりが始まる。トンマーゾの側がずるいという感じは否めないのだが。。。男は屈折した思いを重ねていく。
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