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2022年4月24日 (日)

ピランデッロ戯曲集 I

『ピランデッロ戯曲集 I』(斎藤泰弘編訳、水声社)を読んだ。大変に面白かった。

収録されているのは、『役割ごっこ』と『作者を探す6人の登場人物』である。後者はあまりにも有名で、昔から荒筋は何度も読み、本体も読もうとしたのだが、途中でつまずいて読み通せなかった。今回は、スラスラと読み通せた。それは何故か?

『作者を探す6人の登場人物』は、ある劇団が舞台稽古をしている最中に、ピランデッロとおぼしき作家が思い描いている登場人物が現実の世の中に出てきて、稽古中の舞台にやってくるのである。登場人物と劇団の座長とのやりとりが始まる。ここで、読みやすさという点から重要だと思うのは、その劇団が練習しているのは、まさにピランデッロの『役割ごっこ』の第二幕なのだ。だから、『役割ごっこ』を読んで知っている方が、複雑に芝居の世界が重層化されているこの作品を理解しやすい。つまりこの芝居には、劇団の役者が演じている『役割ごっこ』の世界、リアリティーとしての劇団の座長や役者たちの世界、フィクションの世界に住んでいるはずなのに現実世界に出現し、家族間で内輪もめしている登場人物たちの世界、この3つの世界が交錯するわけだ。

 登場人物たちは、自分たちの人生のドラマを演じさせろと主張する。しかし座長や役者たちは、そのドラマは彼らが演じると言い返す。つまり登場人物たちと座長や役者との間に理解の齟齬があって、「登場人物」側は、自分たちが演じると思っているのに対し、座長・役者の側は、「登場人物」の話を聞いてそれを舞台で演じて客に見せるのは自分たちなのだと主張する。また、「登場人物」たちは、永遠に同じ時間、同じドラマを演じ続ける呪われた存在なのである。座長・役者たちと、6人の登場人物の関係を考えると、不条理演劇をはるかに先取りした前衛的な演劇だと思うが、『役割ごっこ』のプロットは不倫と決闘の絡むスキャンダルであり、『作者を探す六人の登場人物』のプロットは、ステップ・ファミリー内における近親相姦で、かなりなまなましく、またそのおかげで単に頭でっかち、アイデア倒れの前衛劇という感じがまったくせず、どちらのグループにも肉体性、あるいはそれぞれの人物の情念(のゆがみ)が感じられ一気に読めた。下世話なところと、シュールレアリスム的な前衛性が同居しているのがとても面白いし、かつて読んだベケットなどとは全然違う。

 19世紀的な写実性と、20世紀的前衛性が不思議な同居をしていて、ピランデッロの世界の大きさを感じる。

 

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