通奏低音のマスタークラス聴講
通奏低音のマスタークラスを聴講した(ヴェネツィア、チーニ財団 Accademia Vivaldi).
聴講したのは、歌唱のマスタークラスと同じ週だった。講師はマエストロ・フリジェで、近年は、ヴィヴァルディのクリティカル・エディションの自筆稿からの楽譜起こしは彼が担当している。ジェンマ先生も言うように、ヴィヴァルディの楽譜のことは何でもご存じなのである。
Accademia Vivaldi なので、対象としているのはヴィヴァルディの曲。具体的には、オペラ《ファルナーチェ》のレチタティーヴォと、オラトリオ《勝利凱旋するユーディタ》のレチタティーヴォにチェンバロで通奏低音をつけていく。
教室(といってもチーニ財団の建物は沢山の部屋を有しており、かなり広いし、天井も高い)には、二台のチェンバロが向き合うように設置されている。(歌唱の日は、二台が横並びにされたが)。一方は、楽譜に書かれた歌手のレチタティーヴォを弾いていく。それにあわせてもう一方のチャンバロにフリジェ氏と生徒が座って(先生は傍らに立っている時間も多いが)注意をしたり、和声的に違っているときは、ここはこうでしょう、と具体的に生徒の指をずらしたり、先生がその部分を弾いてみせたりする。
生徒のレベルは様々で通奏低音の勉強を5,6年やってきた者もいれば、普段はピアノを専攻している者もいる。ピアノを普段弾いている人は、どうしても楽譜通りに弾く、楽譜に書かれていないことは弾かないという癖がついているので、ミやソといった一音から、たとえば和音をアルペジョで弾くというのに慣れていない。
ここで楽譜について触れておこう。
教室には3種類の楽譜が用意されている。
(1)ヴィヴァルディの自筆稿・当時のコピスタの手書き稿のコピー
(2)スコアのクリティカル・エディション
(3)クリティカル・エディションのヴォーカル・スコア(旋律+鍵盤楽器用楽譜)。
(3)には、鍵盤楽器奏者用に、答えが書き込まれてしまっている。もっとも答えといっても歌においてヴァリアツィオーネが和声を考慮しながらも何通りもの可能性があるように、通奏低音の場合にも、その小節の和声、前後の小節とのつながりを考慮して、何通りかの解がありうるし、また和音が決まったとしてその和音をどうパラフレーズするか、同時に和音として弾くか、上からのアルペッジョ、下からのアルペッジョ、その他いくつもの解がある。
ずっと聴いているとだんだん判ってくるのであるが、その一小節(ミクロ)の解が解けないことには話にならないのであるが、実際の演奏においては、フレーズ単位での流れが重要になってくる。文章で言えば文脈に相当するもので、前後の文脈から単語の意味が決まってくるようなものである。
学生には(1)か(2)が渡される。ぼくはその時々によって(2)を見たり、(3)を見たりしていた。
歌の時と違うのは、通奏低音では学生が立ち往生してしまう、演奏が止まってしまう頻度が圧倒的に多いということだ。ヴィヴァルディは一小節にミとかソとか一音だけ、あるいは二音程度が書いてあることが多い。しかもミの下に数字が書いてない。だからどういう和音を作るかを奏者は組み立てなければいけないのだが、そこで立ち往生してしまうわけである。ピアノ奏者は、指は回るわけだが、楽譜を作ることには慣れていないので、指が回らないから弾けないのではなくて、どの音を弾けば良いのかが判らなくて止まってしまうのだ。
だから、ピアノ専攻のものに(3)の楽譜を渡せば、パラパラと弾きこなしてしまうだろう。しかしそれでは通奏低音の練習にはならないわけである。たまたまヴィヴァルディには回答例つきの楽譜があるが、そういう版はないという作曲家の方が多いわけだから。
数字抜きの通奏低音は、ヴィヴァルディ当時でもアルプスの北の奏者にはむずかしかったようで、オランダの出版社からは、数字を書いてくれ、という注文が来た。それに対して、ヴィヴァルディはお馬鹿さんのために、という注記を付して特大の数字で3とか4とか書き入れたページを送った。イタリアの奏者には必要なかったのである。
後世の我々には皮肉なことなのだが、イギリスの奏者のレベルが低かったおかげで、ヘンデルはより細かく書き込んだ楽譜を作成したし、それが残ることになった。イタリアの作曲家の方が、演奏者の能力を信頼することができ、その場でのインプロビゼーションに期待できたから、楽譜が簡潔、スカスカになりがちなのだ。
だから今日のチェンバリスタは、当時の音楽語法をマスターして、その当時の基準に合わせて次々に音の連なりを構成していく必要があるわけだ。
その枠組みの中で、その人らしさを発揮することが出来るのは言うまでもない。
先述の通り、指が回らないのではなく、立ち往生する生徒は1人や2人ではなく、ほとんどの生徒がそうだった。立ち往生する頻度や、立ち止まって和音を考える時間が長い、短いはあったけれど。つくづく楽譜通りに弾くことが求められるピアニストと、楽譜に書かれていないことを補うことが仕事の一部であるチェンバリスタ、オルガニスタは求められる作業が異なるのだということを知った。この作業に1日目は午後、2日目は午前、午後、3日目の午前、即ち全授業を聴講させてもらったので、たまたまある生徒がこうだったという話ではない。
三日を通して、ヴィヴァルディのオペラ1作のレチタティーヴォすべてと、オラトリオ1作のレチタティーヴォすべてをやり終えたのだった。
二台チェンバロの一台は歌のパートを弾くと言ったが、ここでもバロックならではの癖があって、フレーズの終わりにソミミと書いてあっても、そのほとんどで、ソソミとかソファミと弾くのだ。フレーズのおわりのミミでもレレでもそのまま弾くことはほぼない。それがバロック時代の慣習だったという。これも慣れてくればそんなものかと思うが、最初は自分が楽譜を追っていて、違うところを読んでいるのではという不安におそわれた。しかし、徐々に楽譜の変更にはパターンがあることが判ってきて、楽譜通りに弾かない(歌わない)のが通常なのだということに気がついた。これは不思議と言えば不思議で、なぜ作曲家は歌ってもらう通りに記譜しなかったのだろう?
その他にも、シャープやフラットの書き方で、細かい慣習があって、前の段の最後の小節でシャープなどがある場合、ヴィヴァルディは次の段の冒頭ではシャープの音を求めている場合でもシャープを書かないのである。だから、クリティカル・エディションを作る場合には、冒頭にシャープを補うか、少なくとも註でそのことを記すべきなのだが、音楽学者の中には、その註がないものもいる、という。演奏慣習の再発見も続いているので、クリティカル・エディションといえど、昔のものは、そういった演奏慣習の知識や配慮が乏しいものがあるとのことだった。
バロック音楽のレパートリーは、いったん演奏習慣が途絶えていて近年復活したものが多いので、演奏習慣・慣習に関しても研究の進展とともに、楽譜の記譜法の癖のようなものの解読が進んでいるのである。
その最善線の一部もご教示いただけたことに感謝のほかない。
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