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2022年3月 8日 (火)

エウローパ・ガランテのハイドン

エウローパ・ガランテのハイドンを聴いた(ペルゴラ劇場、小ホール)。

サロンチーノ(小ホール)での演奏会。ここは劇場の2階で300人収容のホール。

エウローパ・ガランテは日本にもたびたび訪れているが、ファビオ・ビオンディ率いる室内楽団で、この日のメンバーは8人。ヴァイオリン3人、ヴィオラ1人、チェロ1人、コントラバス1人、チェンバロ1人、テオルボ1人。チェンバロのPaola Poncetだけが女性。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは1732年の生まれで、この日演奏された4曲は、順に、2丁のヴァイオリン、ヴィオラ、バスのためのディヴェルティメント ニ長調(1763)、六重奏《エコー》(1761)、カッサツィオーネ(ディヴェルティメント)ト長調(1753−54)、ヴァイオリン、チェンバロ、弦楽のためのコンチェルト、ヘ長調(1765)で20代および30代前半の作品である。1809年まで生きながらえたハイドンとしては若き日の作品である。

このところ、バロック期の音楽を集中的に聴いている身には、ハイドン初期の音楽はまったく異なったものに聞こえる。対位法的な旋律の受け渡しはしっかりある。6重奏の《エコー》などは極端なまでにそうで、最初ステージにヴァイオリン2人とチェロ1人が現れた時には、おやっと思ったのだが、演奏が始まると謎がとけた。ステージの3人がソファミと奏でると、舞台下のドアの向こうからソファミとエコーのような3人の演奏が聞こえるのだ。これは舞台上の三人のフレーズが長い時もあり、短いときもあり、中くらいのときもあり、その時々で変化するのだが、エコーするのはずっと同じで、楽章の終わり、大きな区切りの時だけエコーがなくなる。しかし1楽章から5楽章まで延々とエコーしていくのだ。ある意味、過激で実験的な音楽であるし、この手法だけで通すというのは力技であると感心した。

それにしても初期のハイドンはドライである。音階のようなフレーズが、淡々と受け渡され、何度か上に行き、下に行き繰り返される。繰り返しの間に別の主題が現れるがそれもまた音階的なメロディーだったりする。ロマン派の正反対である。感情過多なものにも距離を置きたくなっているが、ここまでセッコだと、メロディを楽曲のなかに探し求めたくなってしまうのだった。教会の床や壁でも聖人などの像がなく、幾何学模様だけが描かれている(得にモザイクや石などで)ことがあるが、それに近い感じでもあった。

アンコールが面白くて、ビオンディ自らが解説していたが、今夜聴いたのはハイドンの初期の作品で、後にハイドンは交響曲を発展させていく。その際にミラノの楽派の影響を受けたというのだ。その代表として、アントニオ・ブリオスキのある交響曲の最終楽章を演奏した。これが素晴らしかった。初期の交響曲に、こんなフレッシュで旋律の魅力もある交響曲が存在していたのだ。バロックに限らず、イタリア各地の音楽的伝統は再発見の余地がどれだけあるのかと、つくづく思う。

 

 

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