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2022年2月24日 (木)

《アイーダ》およびサン・カルロ劇場の音響

ヴェルディの《アイーダ》を観た(ナポリ、サン・カルロ劇場)。

今日は桟敷席(2階)で聴いた。ここからだとオーケストラの楽員の8割くらいが見えているので直接音もどんどん聞こえてくる。つくづくサン・カルロ劇場は音響のいい劇場である。たとえばヴァイオリン属で、ストラディヴァリやアマーティ、グァルネリといった名器を、科学技術やセンサーが発達したからといって現代の楽器が越えたとはほとんどの人が思っていない。それと同様に、劇場も新しい劇場で音のいい劇場はたしかにある。フィレンツェのマッジョの新しいホールも素晴らしい響きだった。しかし、テアトロ・サン・カルロの響きは、ストラディヴァリなみに別格だと思う。《アイーダ》で言えば、アイーダ(王女なのだが奴隷としてとらわれの身)が父アモナズロとあって、父王が祖国のために尽くせと迫る場面、アイーダが抵抗すると、お前など娘ではないわ、とののしる場面では、当然ながらティンパニや大太鼓が活躍する。そういう場面で他の楽器および声とのバランスが絶妙なのだ。低音楽器が柔らかく、しかし詰まってしまわない音で迫力をもって鳴る。

あるいは男性合唱団の響きも実によい。どうして他の劇場ではない響きが出せるのか、その理由はわからない。しかし確かに違うのである。つまり、個々の楽器、合唱団の音が飛び抜けているというよりは、その溶け合いかたが絶妙なのだ。超一流の料亭で使っている野菜や調味料を使っても、そう簡単には同じ味はだせないだろう。素材を溶け合わせるバランスが素晴らしく良いのだと思う。溶け合って、独唱者の声が聞き取りにくいなどということはまったくないのだ。

考えてみれば、ロッシーニもドニゼッティもベッリーニもこの劇場を想定して書いたオペラがいくつもあるのだ。ベルカント・オペラがこの劇場のため(だけではないけれど)に書かれ、この劇場で作曲者により指揮され鳴らされてきた。そういう点でもストラディヴァリ的なのだ。フェニーチェは何度も消失しているし、スカラ座は第二次大戦で甚大な被害を受けた。サン・カルロは1816年に焼け、1817年に再建されてからずっと今まで存在しつづけているのだ。そういう点で、この上なく貴重な劇場なわけだが、この音の心地よさは体験しなければ判らないものだと思う。

別の言い方をすると、劇場によっては、音のバランスがいまいちで、部分的にはCDの方が音がいいなと思ったりすることがある(もちろん声が生という点では劇場の方が良いのだが)。そういう不満がまったくないし、この心地よさは最高級のスピーカーやアンプを駆使しても出ないな、ということがわかる。音出しの時点では何らかの有利さがあっても、鳴らす空間が家庭は小さいからだ(だからといって、CD録音や再生の価値を否定するものではまったくない)。この劇場はベルカント・オペラの音の基準点として絶対にはずせない場所だと思う。その上、ヴェルディもサン・カルロで初演したオペラは複数ある。そらおそろしい劇場である。

長くなったので演奏評は別項目で。

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