ダントーネ指揮アッカデーミア・ビザンティーナのコンサート
オッターヴィオ・ダントーネ指揮アッカデーミア・ビザンティーナのコンサートを聞いた(ペルゴラ劇場、フィレンツェ)
ペルゴラ劇場の二階にあるSaloncino という小ホールで、一列20人の15列に椅子が配置されていたので、満員で300人の小ホールである。
こういうところでバロックを聴けるのは贅沢だし、ありがたい。
コンサート・マスターはアレッサンドロ・タンピエーリで、生で聴くのは初めてだと思うが、素晴らしく上手い。表情づけ、ニュアンスがミリ単位でぴたっと狙い通りにいっているという感じ。超一流の料理人を想起させなくもない。
曲目はヴィヴァルディの弦楽コンチェルトRV167, ヴァイオリンのためのコンチェルト RV273, 弦楽コンチェルト161。プラッティのチェンバロ・コンチェルト、後半は、マルチェッロのコンチェルト・グロッソ、ヴィヴァルディの弦楽コンチェルトRV118, ヴィオラ・ダモーレ・コンチェルトRV394、弦楽コンチェルトRV138. アンコールもヴィヴァルディだった。
ベネデット・マルチェッロのコンチェルト・グロッソは意外に面白かった。叙情的に流れるかと思いきや、案外、創意工夫に富んでいるのだ。
ヴィヴァルディは、タンピエーリの技巧の冴え、表情の適格さが光る演奏であったが、ヴィヴァルディ自身がヴァイオリンの名手だったことが納得できる。ヴァイオリンの適格なリードが曲の輪郭をくっきりさせるし、その表情で、ヴィオラもチェロもコントラバスも生きてくるのだ。タンピエーリのリードは楽員に信頼されていて、チェロやコントラバスも彼の方も向いて演奏していることがままある。それと、ダントーネがリードする場面が交錯するのである。こういう塩梅は、CDでは到底わからない。室内楽はつくづく生で画像があったほうが面白いと思う。タンピエーリは一曲終わると、チェンバロと音合わせで自分の弦を調整し、ヴァイオリンの一人一人の傍らに歩み寄って音を合わせ、ヴィオラにも歩み寄って合わせていく。ピッチの狂いに神経質なのだ。
タンピエーリがヴァイオリンをヴィオラ・ダモーレに持ち替えての演奏も面白かった。一回り大きいし、弦の数も多い。ソプラノがメゾになったように音色も低めの音の倍音が心地よい。後から楽器をみせてもらうと、オリジナルにはないと言っていたが、主要な弦の下にくるように小さな駒を設定して弦を張っていた。これがないと、30分は鳴らしていないといい音が出ないが、今回のようにさっと持ち替えの場合にはそれが出来ないので、こういう隠し技を使うらしい。
歌手でも歌っていくうちに喉が温まって、調子がよくなる、声の出がよくなるということがあるが、弦楽器もそうらしく、最初の曲よりも、曲が進むにつれ、アンサンブルがよくなっていくのだった。こういうのは、オーディオでも車でも同じで、スイッチ入れ立てよりも少し時間が経過した方が、アンプなりエンジンが暖まって調子が出てくるようである(電気自動車がどうかは未見)。
ヴィヴァルディの弦楽やヴァイオリン・コンチェルトは曲ごとに実に豊かな世界がある。昔はストラヴィンスキーの悪口にあったように、同じような代わり映えのしないものを何百曲も作ったという印象を持たれがちだったが、それは演奏スタイルのせいが大きかったのだということが今になるとわかる。ピリオド楽器、ピリオド奏法の開発が進んで、弦楽器の表現する表情の幅が広がり、レガートやピッチカートなどだけでなく、弓をたたきつけるような奏法も今や当たり前になって、ダイナミクスが拡大されて、ヴィヴァルディの曲の多様性が味わえるようになったと言えよう。
17世紀、18世紀前半の音楽に関しては、われわれは幸福な時代を生きていることを再認識した演奏会だった。
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