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2022年2月14日 (月)

Ca' Rezzonico とピエトロ・ロンギ

Ca' Rezzonico でピエトロ・ロンギの絵画を観た(ヴェネツィア、Ca' Rezzonico).

ヴェネツィアでは、他のイタリアの諸都市では Palazzo(館、宮殿)というべき貴族の大きな家を Ca'  という。Casa (家)の省略形である。

Ca' Rezzonico は18世紀のお屋敷が、博物館のようになって一般公開しているわけで、18世紀の貴族の家を想像する際に貴重なサンプルだし、オーディオガイドで天井画や建築様式、壁に掛かった絵の解説も丁寧にしてくれる。これまでに経験した Palazzo や王宮でもそうなのだが、西洋の天井画は、ギリシア・ローマ神話から題材をとったものであったり、アレゴリー(美徳、栄光など)を表現したものが多い。あるいは宗教的なテーマ(聖書のエピソードなどを表現したもの)が多いのは周知のことだろう。それは間接的にその家の当主の功績を称えるものであったり、美徳を称えるものであったりする。それは壮大さを強調したもの、空飛ぶ馬車が描かれていたり、天使が雲間から覗いていたりするもので、18世紀になってもその傾向は依然として変わらず、ティエポロやその同時代人の画家たちも、注文主の意向に応じてそのような作品を次々に量産していたわけである。

そういう部屋をいくつも観ているうちに、ある部屋でピエトロ・ロンギの絵が何十枚も上下二枚ずつずらりと並んでいる部屋に入った。これまで、ピエトロ・ロンギの絵は本、あるいは美術館で単独で見たことはあったが、壁の二面を埋め尽くす何十枚を一気にみるのは初めてだった。正直に言ってロンギの絵がなぜ名高いのかが今まではピンと来ていなかった。ところがこの日、この疑問が氷解した。これが美術史的に正しい見解かどうかは分からないが、僕自身の中では長年の疑問が氷解したのである。それはこういうことだ。18世紀のティエポロをはじめとする売れっ子画家たちは、大きな館の大きな天井に、ギリシア・ローマ神話の神々や、聖書の人物を壮麗に書いている。人間の形をしていても、人間以上の存在であることを強調する描き方だ。だから雲の上にいたり、傍らに天使がいたり、スーパーな力を発揮していたりする。それに対して、ロンギが描く絵の人物は、まったく普通の人(貴族ではあるが)。際だって美しいとか、際だって立派そうということはない。女性が化粧をしている姿、あるいはある家に司祭が訪れている様子、ダンスをしている二人、カルネヴァーレで仮面をかぶっている人などなどで、今でいえばスナップ写真、スマホでとったショット、記念写真のようなものだ。天井画の世界と、画風も内容も、際だったコントラストをなしているのである。そのコントラストに軽い衝撃をうけ、ロンギの眼差しの徹底したこだわりに興味をもった。彼は、自分の顧客を誇張して立派そう、偉そうに書こうとはまったくしていないのだ。だからイギリスのホガースと比較もされるのだろう。しかしホガースほどの毒、皮肉はない気がする。当時としては、徹底的にリアルな等身大を書くという行為が(天井画に何がどう描かれているかというコンテクストの中で)アイロニーの効果を発揮することはおおいにあると思うが。

 しいて喩えれば、天井画はオペラ・セリア的な世界であり、ロンギの絵はオペラ・ブッファ的な世界に通じるところがあるかもしれない(ただし、ブッファにしては、ロンギの登場人物は上流階級に偏りすぎていると思うが、ここで言いたいのは眼差しの方向性の問題である)。

 18世紀は後半になれば、フランス革命が押し寄せてくるし、ヴェネツィア共和国の終焉も近い。そんな時に、栄光を描く絵画ではなく、目の前のリアルを描こうとしたロンギ、彼の眼差しの静かな強さを感じたのだった。

 

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