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2022年1月 5日 (水)

シエナとフィレンツェの些末な差異

久しぶりにシエナに来てフィレンツェとの相違に気がついたことがいくつかあるので記してみる。

当然だがシエナの方が町がコンパクトである。町の端から端まで歩ける。フィレンツェでも健脚なら歩けるが帰りにはバスを利用したくなるだろう。そこまでは地図をみればわかることだ。

1.歩き方の違い

 シエナの特に男性は、歩くとき一歩一歩を踏みしめるように歩く。これは坂が多いからだ。シエナは大通りを外れるとすぐに急な坂が待っている。登りも下りもおおまたですたすた歩くわけにはいかない。フィレンツェの街中はアルノ川ぞいで平坦であり、すたすた歩ける。

2.顔の違い

 トスカーナはエトルリア人が住んでいた地域で、明らかにローマともヴェネトとも顔がちがう(個人差を認めた上で)。今のドラーギ首相が薫陶をうけた元大統領、元首相、元イタリア銀行総裁のチャンピは、ピサの近くのリヴォルノの出身だった。彼の顔は、イタリア人のなかではずいぶんわれわれ東洋人に近く、たとえば村山元首相などと印象が近いところがあった。そういうエトルリア系がシエナの方が強いと思う。おそらくフィレンツェのほうがイタリア国内でいろんな地域の人との婚姻関係があったのかと思う。シエナはシエナ人同士(あるいはシエナ県人同士)で結婚しているカップルが多い。だからコントラーダ(地区)が異なるカップルが子供をどちらのコントラーダに所蔵させるかが問題となったりするのだ。

3.発声、発音の違い

 シエナ、フィレンツェはイタリアの中でも文法的にはイタリア語の標準とされるような話し方をするのだが、発音には癖があって、家(Casa,カーザまたはカーサ)がハーザというような発音になる。陶器のテラコッタはテラホッタとなるし、人名でミケーレはミヘーレとなる。フィレンツェでも結構ハホハホしている人はいるが、シエナに来ると一層そうだ。だからといって、シエナでもフィレンツェでもHa をハとは絶対に読まないのだが。声も集団で見ると微妙にシエナらしさがあるように思える(個人差を認めた上で)のだが、ではどう違うのだと言うことを文字で的確に表現するのがむずかしい。シエナの方が、相対的に言えば、少し喉声で、倍音を響かせない声、極端に言えば日本人的な方向の声が多い気がする。これも実は相当な人数を集めてそれぞれの人の話す声を科学的に解析しなければ確実なことは何も言えない、ということは承知した上での印象論である。

4. 女性のまなざしの違い

 これは非常に微妙なのではあるが、シエナの女性の方が、ダイレクトにこちらを見てくるし、言葉づかいもダイレクトな気がする。個人差があるということを断ったうえでの話だが、シエナの女性の方が愛想笑いなどは少ないのだが、逆に言えば裏表がない。シエナの方が、日常生活においてコントラーダ(地区)の影響が大きいし、その仲間意識が強いので、よそ者がなじむのは難しいとも言えるのだが、いったん入り込むと暖かい。フィレンツェは世界的な観光文化都市であり、コロナ禍ではともかく、通常は世界中から観光客をはじめ、ビジネスや文化交流の人々が往来する街であり、より社交的な街、より愛想のよい街と言えるだろう。フィレンツェに関しては、住んだ期間も短く、コロナ禍のため、さらには一人暮らしということもあり(シエナの時は家族連れだったので、子供たちの同級生の家族と知り合うことが出来た)知り合った人の種類、階層も少ないので、どういう階層の人たちがどう傾向があるというところまで分析できないのが残念だ。

 シエナ、フィレンツェに滞在なさった方のご感想(もちろん反論も含めて)をお待ちします。

 

 

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