イタリアにおける男女平等についての些細な考察
イタリアにおける男女平等について、まったく個人的に街角やテレビを見て感じた事を記してみたい。
今回、2021年8月からイタリアに滞在して6ヶ月目に入ったのだが、漠然と感じたことで、男女平等の方向へ進んでいるのかなあ、と思った点がいくつかあるので記す。
1.ファッション
かつて1995−96年にイタリアに滞在した時には、イタリアでは男の方がバリッとしたものを着ていて、女性は洋服地や仕立てはあまりよくないが本人の美しさでカバー?という感じがあった。そのころは女性もワンピース、あるいはスカートを含むツーピースを着ている人もそこそこいた。今は、女性もほとんどがパンツルック。スカートではなく、ズボン(パンタローネ)をはいている。スカートをほぼ必ずはいているのはロマ(いわゆるジプシー)の女性である。昔は年配の女性はまだスカートの人もいたと記憶するが今はほとんど見かけない。
男もパッセッジャータ(散歩)をする時に、かつては定年後の人もジャケットにネクタイという感じで、男性の方がより服装にこだわっているようだったが、今はカジュアル化が進んでいて、寒くなってからは、ほとんどみなダウンコートである。男女差がほとんどない。そういう意味で、男女水平かが進んだと言えるのかもしれない。
さすがにフィレンツェの歌劇場では、ワンピースをビシッときめたマダムを複数みかけてある種の感慨を持ったけれど。
歌劇場では、男もジャケット率は高くなるが、セーターの人も結構いてそれぞれである。
これは近年、イタリア以外の歌劇場でもそうで、ドイツであれ、オーストリアであれ、歌劇場での服装のカジュアル化は確実に進んでいる。
パリでテロがあったりしたときは服装よりも荷物検査が熱心になり、今はグリーンパス(ワクチン接種証明書)のチェックが大切なこと、優先順位の高い問題となっているのだ。
2.鉄道員
これも徐々になのだが、女性の鉄道員が増えている。車掌であれ、駅舎で働く人であれ。おそらくどこの職場でもこの今世紀の20年ほどの間に女性比率が高くなったのだと思う。家事労働をどう評価するかは複雑な問題で、一筋縄ではいかないが今は便宜的に横に置いておくと、外勤女性が増えると、自分のもらった給料で服を買う自己決定が相対的に容易になるのではないかと推測する。無論、財布の中身と値札を比べて思案することには変わりがないのだが。
3.テレビ番組
前に紹介したソリティ・イニョーティというRAI1の人気番組がある。司会者はサンレモの司会も3年続けてしているアマデウス。この人は大変口跡がよく発音が聞き取りやすい。フレーズの区切り方も、プロだなあと感心する。この番組は8人の一般人(たまに1人芸能人がはいっていることもあるが)が出てきて、2人の人が相談しながら彼ら・彼女らの職業を当てるというゲームである。前に当ブログで紹介した時には、回答者=8人の職業を推測する側が芸能人だったが、普段は一般人2人のようで賞金をもらえる。8人にそれぞれあてたらもらえる金額があって、それを積み上げていって、最後に8人のうちの誰かの親戚(兄弟姉妹か親子)が出てきてそれが誰の親戚かを当てたら賞金はもらえるし、はずれればパーという仕組みだ。一般人のカップルが回答者になると、夫婦か事実婚カップルが多い。そこで二人が相談して決めるのだが、案外女性が決定権を持っている場合が多く、アマデウスが、彼女がイエスと言えば、最初ノーと言っていてもイエスなんだね、などと茶々をいれている。これは判断がむずかしいのだが、果たして、昔から、表面的には男をたてていても家に帰って二人で相談すると女性の方が実質的決定権を持っていることが多かったのか、それとも近年(たとえばここ20年くらい)決定権の軸が女性よりにシフトしたのか。この番組の場合、二人で相談するのだが、それが公開されているわけで、人前と言えば人前だし、相談内容は二人のこととも言えるので、内か外かが微妙である。ソリティ・イニョーティが注目に値すると思うのは、これが服装の選択や、料理を選ぶということではなく、ゲームとは言え、その決定により何十万、何百万がかかっているチョイスだからだ。お遊びとは言え、これだけのお金がかかっているわけで選ぶ方(職業は無限にあるなかからあてるわけではなく、8つの選択肢から選ぶ仕組み)は真剣である。そこでカップルの決定権の在り方がどうかというのは普段の二人の関係を反映しているのではないだろうか。8問(8人の職業当て)のうち1問や2問は男がこれだよと断言して決めることはあるが、それは女性がそうする場合も同じくらいあるし、女性がどう思うかを男性に尋ねておいて、その答えを否定すると男性はそれに同意するということもよくある。
もちろん男女平等と言う場合にこういったカップルの関係だけでなく、企業や社会における制度、社会参加の仕組みの問題が重要であることは認識しているが、テレビを見たり、街を歩いていて気がついたこととして記してみました。経済でも国家の統計や日銀短観に対してタクシーの運転手に聞く街角景気があるわけで、こちらもタクシーの運転手一人ではなく百人単位になればかなり意味のある情報となるのだと思うが、当ブログの場合は一運転手の感想に相当するものとして受け取っていただければ幸いです。一人で見聞きできることに大きな限界があることは承知しつつ、ということです。
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