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2022年1月31日 (月)

コモの Opera education

コモの Teatro Sociale でロッシーニの《チェネレントラ》を観た。

これは Opera Education という企画で、1996年からずっと続いているのだが、僕は今回初めて知ったし、イタリアで誰でも知っているというものではないようだ。

この企画が興味深いのは、オペラ自体に、子供が曲中のいくつかの歌を覚えて、舞台の歌手と一緒に歌うという点だ。その場面に来ると、指揮者はオーケストラに背をむけて、客席の子供たちにむかってわかりやすく指揮棒を振るのだ。その場面が終わるとまたくるりと背をむけオーケストラの方を向いて指揮をする通常の形態に戻る。

オペラというものは、当然、音楽劇という一種のお芝居なわけで、演劇に参加することで、その芝居の世界に没入したり、異なった世界観を味わったりすることが出来るだろうし、また、そこで音楽が単に楽譜を音にするということを越えて、台詞・歌詞にこめられた情緒、感情をいかに表現するかを学んでいくことができるだろう。当然ながら、リズムと歌詞の関係で歌いやすいところ、歌いにくいところ、早口になるところなどがあり、テクニカルなことにも身体で気づき、習得していくだろう。こういう子供たちが将来、音楽を豊かに享受し、オペラ・ファンにもなることを期待しての活動らしい。

第三者的に鑑賞するのでも、たとえばテレビで観るのと、劇場で味わうのでは、迫力や身体性の表現の甘けとめがまったく異なるが、子供たち自ら歌うということになるとさらに飛躍的に経験の層が深くなるのではないかと想像する。

オペラはヨーロッパでもアメリカでも日本でも、客席の老化が著しい。むろん高齢者がオペラを楽しむこと自体を誰も否定する人はいないわけだが、若い観客層が育っていないことに共通の危機感があるわけで、それにどう向き合うかの一つの解がここにあると言えるかもしれない。

演出としては、チェネレントラ一家が暮らし、経営しているのがホテルという設定で、チェネレントラの継父ドン・マニフィコは、経営の傾いたホテルをどうにかしたいと思い、娘が玉の輿に乗ることを切望しているという設定にしている。チェネレントラは、ホテルの下働きをさせられている。三人のボーイがモック役(歌わないが、語り手的な台詞はけっこうある)で登場し、劇の展開の理解を助けている(客席には小学生だけでなく、より幼い子もちょくちょく見かけた)。歌っている子供はほぼ小学生くらいのようだった。モック役の三人はどたばたや、感情表現を大袈裟にして、子供にもわかりやすくということをこころがける一方で、音楽はまったくロッシーニの《チェネレントラ》で、早口のところは早口、オーケストレーションが入りくんでいることろは入りくんでおり、本物を聞かせているし、子供が歌う場面で急にテンポが遅くなるなどということもなく、立派なものだった。

コロナ事情で直前に指揮者が変わったとのことで、まれに指揮者の望むテンポの変化にオケがとまどっているところもあったが、それは微細な傷と言えよう。16時と20時半の上演で、チェネレントラ以外はほとんどダブルであった。20時半の部で、アリドーロを友杉誠志氏が歌っていた。アリドーロは不思議な衣装で、メッセンジャー的な性格を意識したものであろう。途中で、平土間から出てきでそのまま平土間で舞台に向かって歌う場面があるのだが、後方にいる僕にも彼の声は朗々と響きわたるのが聞こえた。

 

 

 

 

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2022年1月17日 (月)

サン・マルコ修道院のギルランダイオとフラ・アンジェリコの《最後の晩餐》

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サン・マルコ修道院(Museo San Marco)に行った(フィレンツェ)

トスカナ州は2022年1月10日から、ホワイト・ゾーンからイエロー・ゾーンになって観光客が一段と減ったように思う。Museo San Marco も入場のためには Green Pass Rafforzato (スーパー・グリーンパス)が必要だ。朝、8時台に行くと、ベアト・アンジェリコの大作が並ぶ大きな部屋で観ているのはぼくともう一人の女性だけで、ゆったりと観られる。

二階に行く階段脇の土産物などを売っている部屋の壁にあるのが、このギルランダイオの《最後の晩餐》である。ギルランダイオは、フィレンツェにいると美術史上の大巨匠、大スターに埋もれてしまいがちだが、今回久しぶりに観て、より親しみを感じたし、興味をかき立てられるところがいくつもあった。

テーブルの手前にいるのがユダであるというのが定説だが、その脇に猫がいるのはどういう意味があるのか? ギルランダイオのこの作品で今回はっとしたのは、イエスや弟子たちの影がくっきりとうしろの壁に描かれていることだ。通常ルネサンスの絵画だと足下とか、服の襞であるとか、建物の立体性をあらわすために濃淡をつけることはあるが、人の影というものがこれほど明快に描かれているのは珍しいと思う。ギルランダイオは1400年代の後半で、これが1600年前後のカラヴァッジョやジェンティレスキになると、あたかも映画で強烈な照明でライティングしたような光と影の強いコントラストが表現されるようになる。ギルランダイオはそういった強烈なライティングという感じではない。また、猫には影がないようにも見えるのだが、それはこの猫が悪魔の化身だからだろうか?だからユダのそばにいる?

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こちらはフラ・アンジェリコの《最後の晩餐》でテーブルが小さくて、弟子が全員は座れず、4人ほどは画面右側で跪いている。二階の修道僧の房に描かれたものなので、壁面とか構図の制約もあるのかもしれないが、13人も一度に座れるテーブルがなかったという発想も興味深いし、修道僧の食欲を刺激してはいけないと思ったのか、こちらはホスティアのようなものをイエスが弟子に与えているが、料理やワインは見当たらないのも面白い。

 ロマン主義が勃興するまでは、原則オペラ作曲家が実際に歌う歌手を想定して書いたように、画家も《最後の晩餐》はこうあるべきということだけではなく、それがどういう場所に描かれるか(食堂なのか、修道僧の房なのか)を考えにいれて描いたということは、ありそうだ。もちろん、場合によっては注文主の意向、絵の場所と見る人の位置関係なども考慮に入れただろう。

 そういう意味で美術館というのは便利ではあるが、そういった物理的コンテクストを切り離されて観ているという点は頭の片隅で認識しておく必要があるだろう。最近は宗教画で祭壇にこういう風に置かれていたなどという図を説明文のなかに組み込んでいる場合もあるが、まだまだ稀である。

 

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2022年1月 5日 (水)

シエナとフィレンツェの些末な差異

久しぶりにシエナに来てフィレンツェとの相違に気がついたことがいくつかあるので記してみる。

当然だがシエナの方が町がコンパクトである。町の端から端まで歩ける。フィレンツェでも健脚なら歩けるが帰りにはバスを利用したくなるだろう。そこまでは地図をみればわかることだ。

1.歩き方の違い

 シエナの特に男性は、歩くとき一歩一歩を踏みしめるように歩く。これは坂が多いからだ。シエナは大通りを外れるとすぐに急な坂が待っている。登りも下りもおおまたですたすた歩くわけにはいかない。フィレンツェの街中はアルノ川ぞいで平坦であり、すたすた歩ける。

2.顔の違い

 トスカーナはエトルリア人が住んでいた地域で、明らかにローマともヴェネトとも顔がちがう(個人差を認めた上で)。今のドラーギ首相が薫陶をうけた元大統領、元首相、元イタリア銀行総裁のチャンピは、ピサの近くのリヴォルノの出身だった。彼の顔は、イタリア人のなかではずいぶんわれわれ東洋人に近く、たとえば村山元首相などと印象が近いところがあった。そういうエトルリア系がシエナの方が強いと思う。おそらくフィレンツェのほうがイタリア国内でいろんな地域の人との婚姻関係があったのかと思う。シエナはシエナ人同士(あるいはシエナ県人同士)で結婚しているカップルが多い。だからコントラーダ(地区)が異なるカップルが子供をどちらのコントラーダに所蔵させるかが問題となったりするのだ。

3.発声、発音の違い

 シエナ、フィレンツェはイタリアの中でも文法的にはイタリア語の標準とされるような話し方をするのだが、発音には癖があって、家(Casa,カーザまたはカーサ)がハーザというような発音になる。陶器のテラコッタはテラホッタとなるし、人名でミケーレはミヘーレとなる。フィレンツェでも結構ハホハホしている人はいるが、シエナに来ると一層そうだ。だからといって、シエナでもフィレンツェでもHa をハとは絶対に読まないのだが。声も集団で見ると微妙にシエナらしさがあるように思える(個人差を認めた上で)のだが、ではどう違うのだと言うことを文字で的確に表現するのがむずかしい。シエナの方が、相対的に言えば、少し喉声で、倍音を響かせない声、極端に言えば日本人的な方向の声が多い気がする。これも実は相当な人数を集めてそれぞれの人の話す声を科学的に解析しなければ確実なことは何も言えない、ということは承知した上での印象論である。

4. 女性のまなざしの違い

 これは非常に微妙なのではあるが、シエナの女性の方が、ダイレクトにこちらを見てくるし、言葉づかいもダイレクトな気がする。個人差があるということを断ったうえでの話だが、シエナの女性の方が愛想笑いなどは少ないのだが、逆に言えば裏表がない。シエナの方が、日常生活においてコントラーダ(地区)の影響が大きいし、その仲間意識が強いので、よそ者がなじむのは難しいとも言えるのだが、いったん入り込むと暖かい。フィレンツェは世界的な観光文化都市であり、コロナ禍ではともかく、通常は世界中から観光客をはじめ、ビジネスや文化交流の人々が往来する街であり、より社交的な街、より愛想のよい街と言えるだろう。フィレンツェに関しては、住んだ期間も短く、コロナ禍のため、さらには一人暮らしということもあり(シエナの時は家族連れだったので、子供たちの同級生の家族と知り合うことが出来た)知り合った人の種類、階層も少ないので、どういう階層の人たちがどう傾向があるというところまで分析できないのが残念だ。

 シエナ、フィレンツェに滞在なさった方のご感想(もちろん反論も含めて)をお待ちします。

 

 

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2022年1月 4日 (火)

イタリアにおける男女平等についての些細な考察

イタリアにおける男女平等について、まったく個人的に街角やテレビを見て感じた事を記してみたい。

今回、2021年8月からイタリアに滞在して6ヶ月目に入ったのだが、漠然と感じたことで、男女平等の方向へ進んでいるのかなあ、と思った点がいくつかあるので記す。

1.ファッション

 かつて1995−96年にイタリアに滞在した時には、イタリアでは男の方がバリッとしたものを着ていて、女性は洋服地や仕立てはあまりよくないが本人の美しさでカバー?という感じがあった。そのころは女性もワンピース、あるいはスカートを含むツーピースを着ている人もそこそこいた。今は、女性もほとんどがパンツルック。スカートではなく、ズボン(パンタローネ)をはいている。スカートをほぼ必ずはいているのはロマ(いわゆるジプシー)の女性である。昔は年配の女性はまだスカートの人もいたと記憶するが今はほとんど見かけない。

 男もパッセッジャータ(散歩)をする時に、かつては定年後の人もジャケットにネクタイという感じで、男性の方がより服装にこだわっているようだったが、今はカジュアル化が進んでいて、寒くなってからは、ほとんどみなダウンコートである。男女差がほとんどない。そういう意味で、男女水平かが進んだと言えるのかもしれない。

 さすがにフィレンツェの歌劇場では、ワンピースをビシッときめたマダムを複数みかけてある種の感慨を持ったけれど。

 歌劇場では、男もジャケット率は高くなるが、セーターの人も結構いてそれぞれである。

 これは近年、イタリア以外の歌劇場でもそうで、ドイツであれ、オーストリアであれ、歌劇場での服装のカジュアル化は確実に進んでいる。

 パリでテロがあったりしたときは服装よりも荷物検査が熱心になり、今はグリーンパス(ワクチン接種証明書)のチェックが大切なこと、優先順位の高い問題となっているのだ。

2.鉄道員

 これも徐々になのだが、女性の鉄道員が増えている。車掌であれ、駅舎で働く人であれ。おそらくどこの職場でもこの今世紀の20年ほどの間に女性比率が高くなったのだと思う。家事労働をどう評価するかは複雑な問題で、一筋縄ではいかないが今は便宜的に横に置いておくと、外勤女性が増えると、自分のもらった給料で服を買う自己決定が相対的に容易になるのではないかと推測する。無論、財布の中身と値札を比べて思案することには変わりがないのだが。

3.テレビ番組

 前に紹介したソリティ・イニョーティというRAI1の人気番組がある。司会者はサンレモの司会も3年続けてしているアマデウス。この人は大変口跡がよく発音が聞き取りやすい。フレーズの区切り方も、プロだなあと感心する。この番組は8人の一般人(たまに1人芸能人がはいっていることもあるが)が出てきて、2人の人が相談しながら彼ら・彼女らの職業を当てるというゲームである。前に当ブログで紹介した時には、回答者=8人の職業を推測する側が芸能人だったが、普段は一般人2人のようで賞金をもらえる。8人にそれぞれあてたらもらえる金額があって、それを積み上げていって、最後に8人のうちの誰かの親戚(兄弟姉妹か親子)が出てきてそれが誰の親戚かを当てたら賞金はもらえるし、はずれればパーという仕組みだ。一般人のカップルが回答者になると、夫婦か事実婚カップルが多い。そこで二人が相談して決めるのだが、案外女性が決定権を持っている場合が多く、アマデウスが、彼女がイエスと言えば、最初ノーと言っていてもイエスなんだね、などと茶々をいれている。これは判断がむずかしいのだが、果たして、昔から、表面的には男をたてていても家に帰って二人で相談すると女性の方が実質的決定権を持っていることが多かったのか、それとも近年(たとえばここ20年くらい)決定権の軸が女性よりにシフトしたのか。この番組の場合、二人で相談するのだが、それが公開されているわけで、人前と言えば人前だし、相談内容は二人のこととも言えるので、内か外かが微妙である。ソリティ・イニョーティが注目に値すると思うのは、これが服装の選択や、料理を選ぶということではなく、ゲームとは言え、その決定により何十万、何百万がかかっているチョイスだからだ。お遊びとは言え、これだけのお金がかかっているわけで選ぶ方(職業は無限にあるなかからあてるわけではなく、8つの選択肢から選ぶ仕組み)は真剣である。そこでカップルの決定権の在り方がどうかというのは普段の二人の関係を反映しているのではないだろうか。8問(8人の職業当て)のうち1問や2問は男がこれだよと断言して決めることはあるが、それは女性がそうする場合も同じくらいあるし、女性がどう思うかを男性に尋ねておいて、その答えを否定すると男性はそれに同意するということもよくある。

 もちろん男女平等と言う場合にこういったカップルの関係だけでなく、企業や社会における制度、社会参加の仕組みの問題が重要であることは認識しているが、テレビを見たり、街を歩いていて気がついたこととして記してみました。経済でも国家の統計や日銀短観に対してタクシーの運転手に聞く街角景気があるわけで、こちらもタクシーの運転手一人ではなく百人単位になればかなり意味のある情報となるのだと思うが、当ブログの場合は一運転手の感想に相当するものとして受け取っていただければ幸いです。一人で見聞きできることに大きな限界があることは承知しつつ、ということです。

 

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2022年1月 3日 (月)

三回目のワクチン接種

三回目のワクチン接種をした(フィレンツェ、ネルソン・マンデラ・フォーラム)。

2022年1月2日という時点で、3回目のワクチン接種(モデルナ)をしたのでその経緯を簡単に記しておきたい。

日本にいる親がまだ通知も届いていないのに、僕が3回目の接種が出来たのは、イタリア政府の方針と実行力による。

イタリアに8月にやってきたころは、ワクチン・パスポートの有効期限は8ヶ月か9ヶ月という報道がなされていた。それはイタリアだけでなく、他のヨーロッパ諸国でも同様であった。イタリアの場合、実際にコロナに罹患した人も多いので、二回ワクチンあるいはコロナに罹患して回復し、さらにワクチン一回という人もいる。しかし滞在しているうちに3回目の接種の話が各国で出てきて(イスラエルが最も早かったと思う)、そこへオミクロン株の出現で、一気に三回目接種を早くやろうという姿勢にイタリア政府が変わった。

そのあたりからワクチンパスポートの有効期限の短縮が言われ始めた。

その頃フィレンツェ大関係者に尋ねると、二回目接種から半年経過したら三回目が打てるようだった。

しかしその後、ヨーロッパ各国でオミクロンの感染があっという間に広がり、オペラ関係で言うと、イタリア以外の諸国では劇場が閉鎖されてしまった。EU離脱したイギリスは、感染が広がるなかでも開き続けているようだが。

そうこうするうちに二回目接種から5ヶ月経過したら三回目が接種でき、ワクチンパスポートの有効期限が6ヶ月と報道されるようになった。僕自身7月半ばに二回目を打っているので、有効期限が6ヶ月だと1月半ばに有効期限が切れてしまう(あるいは1月いっぱいは大丈夫なのかもしれないのだが詳細は不明)。

イタリア人の場合は Codice sanitaria という保険番号を持っているのだが、僕はもっておらず、Codice fiscale (税務番号ーーこれはビジネスをやるやらないとは全く関係なく発行してもらえる)はもっており、トスカナ州の窓口に電話をして申し込みをすることができた。

そこから数日してスマホに電話がかかってきて、何日はどうかと尋ねられこちらの都合にあわせて予約をいれた。

するとスマホに予約書と問診票が送られてくる。それをプリント・アウトして問診票にイエス・ノー(Si, No)を書き込んだものを接種会場に持って行く。問診票は、今までに予防接種でアレルギー反応が出たことがあるか、など、日本のインフルエンザの問診票などと似た内容である。

会場のネルソン・マンデラ・フォーラムはサッカー場のそばにある室内競技上で屋根付き。入り口で予約書を見せ、会場に入るとまず accettazione (受付)で書類のチェック。次は、注射。肩を出して左腕上腕にブスっと打たれてすぐ終わる。その後は registrazione (登録)。ノートパソコンに係の人が、僕の場合、2回は日本でファイザーを打ちそれぞれの日付、3回目はモデルナで今日の日付を打ち込んでくれる。人によってスマホに証明書(デジタル)が送付されるようだが、僕の場合は、サイトに行ってダウンロードするようになっていた。

会場には、受付も注射も登録も7から8列ぐらいが並行して進んでおり、一列あたりは5,6人が並んでいる感じで、待ち時間は10分から15分程度だったと思う。登録後に15分待機して、異常なければ、帰ってよしということになる。

日本での二回は町の開業医で打ってもらったので、会場自体の大きさに驚いたが、日本でも自衛隊が設営したところはもっと大きかったのかもしれない。開業医でしてもらった時と異なっていたのは登録の手続きを、係の人と口答でやりとりしながら完成させる点ぐらいだろう。会場の人はみなテキパキとしフレンドリーであった。

イタリア人のステレオタイプなイメージを覆すような事態が、現在は進行中である。イタリアはEU諸国の中で、オミクロン株の感染をもっとも抑ええ込んでいる。それと関連しているが、2回目までの接種率も他国より高い。そして3回目の接種の進行もEU諸国の中で最も進んでいるのである。

 

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ヴィヴァルディ《ファルナーチェ》その2

ヴィヴァルディのオペラ《ファルナーチェ》の続き。

この日の歌手は、ラファエレ・ペをのぞき、大変有名な歌手、国際的に活躍している歌手を集めているわけではない。バイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルなどと対照的なのは、イタリア人歌手で固めていることだ。

そこには一長一短がある。

そもそも曲の作りからして、たとえばヘンデルのオペラとヴィヴァルディのオペラでは、言葉へのこだわり、あるいは言葉と音楽の有機的連関性がヴィヴァルディの方がずっと強い。今回の上演では、舞台の上方にイタリア語字幕が表示されていた。ダ・カーポ・アリアのABA'では、A,B のところでは歌詞が表示されA'のところでは、Aと歌詞は同じなので表示されない。舞台を観たり、字幕を読んだりしながら観ていたのだが、ヴィヴァルディの場合、歌詞と音楽の連関性は実に説得力があり、魅力的なものだった。作曲した時点で、ヘンデルの場合、ロンドンの聴衆の多くがあまりイタリア語を解していないため、有機的連関性を追求する動機が乏しく、それどころか彼の場合、イタリアで上演されたオペラのリブレットのレチタティーヴォを勝手に大幅に削除した版を誰かが作り(リブレッティスタが明記されていないこともままある)、それに曲をつけているのだ。

ヴィヴァルディの場合、ヴェネツィアであれ、ローマであれ、フェッラーラであれ、聴衆はイタリア人であるから歌詞を理解することが前提となっており、有機的連関性を聴衆も求めるし、作曲家もそれに応えようとするのは当然のことと言えよう。

しかしそういう意味ではポルポラやヴィンチの場合も、イタリア人(当時はイタリア半島の諸国に住む人々であったわけだが)が聴衆であることを前提としている。その上で、ポルポラやヴィンチとヴィヴァルディでは、音楽と言葉の関係性に微妙な違いがあるように思うが、その分析は別の機会を期することにしよう。一つ言えるのは、アリア自体の劇的な性格、ドラマティチタがヴィヴァルディの方が刺激的に強い。おそらくその一つの理由は彼の弦楽器セクションの表情付けのダイナミズムにあると思う。

ヴィヴァルディはイタリアの大オペラ作曲家の中で、例外的に、数多くの優れた器楽曲を作っている例外的な作曲家であることと、それは無関係だはないだろう。

こうした音楽と言葉の連関が濃密なオペラを上演する時に、イタリア人キャストで固めているのは、言葉のニュアンスを大切にする上では強みとなる。とはいえ声自体の魅力、雄弁さという点で一流のイタリア人歌手をしのぐ他国の超一流歌手もいるわけで、公演の魅力はそれぞれにあるわけだ。フェッラーラという人口13万人程度の街で、これだけ文化的意義も高く、上演の質も高い上演がなされるところに、イタリアのオペラ文化の底力の一端を見た。

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