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2021年12月 5日 (日)

ドニゼッティ《連隊の娘》

ドニゼッティの《連隊の娘》を観た(ベルガモ、ドニゼッティ劇場)。

周知の通り、ベルガモは丘の上の街(チッタ・アルタ)と下の街(チッタ・バッサ)があるのだが、ドニゼッティ劇場があるのはチッタ・バッサで近所にはイタリア銀行などもある街の中心部である。

ドニゼッティ・フェスティヴァルの一環。上演の40分ほど前には、連隊の娘とやや無理矢理関連づけてダンス(社交ダンスとタンゴ的な南米のダンス)が披露されていた。ダンスは、劇場の前の広場で披露されているので、オペラの切符を買っているいないは関係ない。実際見ている人も雑多な人たちで、近くには子供が遊べる公園(観覧車などあり)もあるので、家族づれも結構見かけた。オペラ(の空間)と一般市民を結合させる試みとしては面白いものと見た。切符を買ってオペラを観る人だけに閉ざされているのでは将来に向けての発展性に乏しい。スカラ座なども、ゲネプロは若者に安い値段で提供しているし、色々な工夫で子供や若者にアクセスしやすい回路を築いていくことが求められているのだと思う。

南米のバレエは《連隊の娘》と関係がないように思えるかもしれないが、今回の演出では連隊の太鼓係が叩くのが伝統的な西洋軍楽隊の太鼓ではなく、サンバなどで使われる二連の太鼓なのである。さすがに、タンゴその他のダンサーは出てこなかったけれども。

この劇場でもグリーンパスのチェックがあった(体温のチェックはなかった)が、その他に、入口を分けていて、平土間の客と桟敷席の客は全く別の入り口から入るようになっていた。ソーシャルディスタンスをなるべく取るための措置かと思われる。座席は空席を設けることなく入っていた。

また、合唱団が全員マスクをしていた。独唱者は、マスクなし。(先月、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で《フィデリオ》を観たのだが、その時も合唱団はマスク、独唱者はマスクなしであった。フェニーチェの場合、オケも弦楽器奏者はマスク、管楽器奏者はマスクなしと言う具合だった。今回は、オケピットが深くて見えず確認できていない)。

指揮はミケーレ・スポッティ。演出は、ルイス・エルネスト・ドーニャス。キューバの映画監督である。タイトル・ロールのマリはSara Blanch スペインの歌手。トニオはジョン・オズボーンで例の高いド連発のアリアで喝采を浴びていた。マリの実は母親であることがわかる侯爵夫人はAdriana Bignani Lesca.ガボン出身。達者なコミカルな演技が大いに受けていた。

軍曹シュルピスはパオロ・ボルドー二ャで、さすがペーザロのロッシーニで鍛えられており、歌の様式感が抜群に良い。その点では伍長のアドルフォ・コッラードも端正な歌を聞かせていて注目したが、調べてみると彼はまだ27歳。大いに期待したい。バスバリトンとのこと。

ドニゼッティにはロマン派的な要素があり、本人も自覚してその新しい傾向を取り入れていたわけだが、一方でベルカント的な様式美が厳然として備わっており、その揺らぎ、葛藤がまた魅力の一つでこれが表現されていないと物足りないと感じる。その点でボルドー二ャとコッラードの歌唱は満足のいくものだった。

さらに贅沢な物言いになるが、劇の中にコミカルな三重唱が何度か出てきて、指揮者も歌手も乱れることなく調和して歌っていたのだが、あえて言うと、もう少し弾んで軽やかであって欲しかった。浮き浮きするところがあって、対照的に沈んだり、しっとりとした悲しみを歌うコントラストがドニゼッティの真骨頂である。だから悲しみを嫋々と歌う分、コミカルさの軽妙さは同様に重要なのだが、こちらの方が実現の難易度は高いのだった。今回の場合、演技で笑わせてくれるところは随分頑張っていたが、歌唱の軽妙さは目指していることはわかるのだが、到達点としては、今一歩と言う面がないとは言えないのだった。ま、非常に贅沢な話ということは承知した上での話ですが。

マリが連隊から侯爵夫人に引き取られて、上流社会の子女にふさわしい存在となるために音楽のレッスンをする場面がかなり長々あって、そこでは

「古臭い」音楽をマリが調子っぱずれに歌って笑いを撮るところなのだが、今の僕が聞くとああ、これはバロック調だなと思い、ちゃんと歌ったら結構素敵な曲だろうに、と思ってしまうのだった。ロッシーニのセビリアにも周知のごとく似たような「古臭い」歌を教える場面があって、この当時の作曲家は、自分達の音楽の新しさをこうやって劇中で主張しているわけだが、これは何を意味しているのだろうか。当時まだまだ「古い」音楽の支持者が多かったので、自分達の音楽を正当化する必要を感じていたのか。それとも、観客もそう感じていることをダメ押ししていたのか。こういう観客の感性、感覚は100年、いや180年経過してしまうと、実感することが実に困難なものだ。

 このオペラ、初演がパリのオペラ・コミックなので、フランス語上演であり、またレチタティーヴォはなく、アリアと通常のセリフで構成されているのも久しぶりに聞いてみると新鮮であると同時に微かな違和感を感じたが、これは慣れの問題であろう。

 そういう意味で、ドニゼッティやその時代について色々考えさせらる興味深い公演だった。

 

 

 

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