イタリアのユダヤ人 その2
古代から中世にかけて、イタリア半島がユダヤ人にとってはもっとも居心地のよいところだったらしい(この項も前項に続き、Giampiero Carocci のStoria degli ebrei in Italia (Newton & Compton 2005)による)。
紀元70年に皇帝ティトゥスによって神殿が破壊され、134年にはハドリアヌス帝との戦いが待ち受けていた。もちろんその後の2000年の歴史の中でイタリアでも残虐行為がなかったわけではない。しかし第一次十次軍の時にライン川流域のドイツで起こったような大量殺戮はなかった。
面白いのは、イタリア半島の中部および北部では、ユダヤ人の追放が時々行われたのだが、数年経つと、こっそりとあるいは堂々とそのユダヤ人が呼び戻されたのだ。そこが13世紀以降のイギリスやフランスと異なるし、15世紀末および16世紀のスペインやポルトガルとも異なるところだ。
イタリアでユダヤ人が永続的な形で追放されたのは、南部や島嶼部であり、そこはスペインの支配下だった。
というわけで、イタリア中部と南部は、ユダヤ人が2000年に渡り中断の時期がなく住み続けられた唯一の地域だったのだ。そしてむしろ、フランスやドイツやスペインやポルトガルからユダヤ人が逃れてきたのである。だからヴェネツィアのユダヤ人はドイツ風やスペイン風その他の名字
を持っていた。
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