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2021年12月21日 (火)

クラウス・マケラ&ダニエル・ロザコヴィッチ演奏会

クラウス・マケラ指揮のマッジョ・ムジカーレ・フィオレンティーノ管弦楽団の演奏会に行った(フィレンツェ、マッジョ劇場)

12月16日は、3大労働組合の全てではないのだが、いくつかがゼネストをしたため、バスが使えず歩いて行ったがフィレンツェの旧城壁を端から端まで歩いたことになり我ながらご苦労さんだった。座席はガレリアの最前列だった。かなり高さがあるのだが、音響的な響きはよく、実によく響く。

曲目は、ブルッフのヴァイオリン協奏曲とマーラーの交響曲第5番。ロマン派、後期ロマン派である。オーケストラの編成は大きい。マーラーの時には、コントラバス奏者、チェロ奏者8人ずつ、ホルン4人、フルート4人である。ヴァイオリンは多すぎて数えきれない。

古楽を主として聴いている人間の言うことと聞いてほしいが、実に現代オーケストラは音が大きい。マーラーなど1楽章、2楽章、3楽章は、圧倒され時に騒々しい限りである。その分、4楽章になり弦楽とハープでほっとするわけで、喧噪の現世対静寂の彼岸とも言えるし、ギャン泣きの赤子がやっと泣きくたびれて寝ついた一時のようでもある。

ブルッフはロマン派の協奏曲ってこう言うものだったなあ、という感じだ。

この日、最も僕が感銘を受けたのは、ヴァイオリンのダニエル・ロザコヴィッチがアンコールで弾いたイザイの無伴奏バイオリン・ソナタ第3番バラードである。この曲になって俄然、ロザコヴィッチがどう言う音楽をやりたいのかがわかる気がした。独奏になれば緩急自在だし、それに伴い表情の変化も一瞬で変化する。もともとの音楽もより調性音楽的なものと前衛的な要素がないまぜで表情の変化が激しくそれを官能的なまでにエスプレッシーヴォに弾ききったのは見事だし、ここでこそ技巧のさえが生きていた。

さらにアンコールは続き、バッハの無伴奏が2つ。これはイザイの無伴奏が、バッハの無伴奏を聴き触発されて書かれたことを想起させるし、ブルッフを間にはさんで歴史を一筆書きにした知的な構成とも言えよう。

マケラは20代半ばでmロザコヴィッチは二十歳というのは、驚くべきことだろう。

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