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2021年12月21日 (火)

フィレンツェのシナゴーグ その1

759ed1294aad4ccc8c3ad6be68122e51 フィレンツェのシナゴーガ(英語風発音ではシナゴーグ、イタリア式ではシナゴーガ)を訪れた。

前に来たのがどれくらい前だったか記憶にない。2008年であったかもしれない。その時とは入場の仕方、展示方法が変わっていた。

まずは、敷地の外にカラビニエーリが物々しく銃をかまえて立っている。

入り口でも金属探知機らしい装置を通過して敷地内に入る。

ここはフィレンツェ旧市内(環状道路の内側)であり、1881年に建設されたシナゴーガだが、ここから歩いて数分のところにやはり旧市内にモスクがある。こちらのモスクは近年のもので、アパートを改装したものなので、通常の教会やここのシナゴーガのように独立した建物ではない。しかしどちらも遠い外れではなく、ドゥオーモから歩いて数分のところにあるのはフィレンツェのふところの深さか。

このシナゴーガは二階、三階がユダヤ博物館になっており、オーディオガイドやガイドの説明を聞き、あるいは展示を見て、フィレンツェのユダヤ人の歴史に俄然興味が湧いてきた。まずはそこで知ったあらましを記し、今後、イタリアおよびスペインからのユダヤ人の歴史について書籍を通じて興味深いことを知った際には、続編を記していこうと思う。スペインからのと言ったのは、15世紀末にスペインのレコンキスタが成し遂げられた後に、王権はユダヤ人およびイスラム教徒に改宗するか、追放を選択させたわけで、その際にローマに行ったユダヤ人がいたことは知っていたがフィレンツェを初めとしてトスカーナにやってきたユダヤ人もいたわけである。

 ローマにも立派なシナゴーガがあり、やはりテロを警戒して武装警官が警護していた。そして近所にユダヤ教徒の伝統的な料理を出すレストランがある点もフィレンツェと共通している。

  フィレンツェには古代ローマの時代からオルトレアルノ(アルノ川の向こう岸)にユダヤ人が住んでいたらしい。オルトレアルノにあったシナゴーガの残滓は、第二次大戦中にナチスが撤退する際に爆破されてしまった。彼らは、ポンテ・ヴェッキオを爆破しなかったが、その代わりにポンテヴェッキオに通じる街区をがれきの山にして交通を遮断したかったとのことだ。

 

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