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2021年12月31日 (金)

ヴィヴァルディ《ファルナーチェ》(1)

ヴィヴァルディ作曲のオペラ《ファルナーチェ》を観た(フェッラーラ、テアトロ・コムナーレ)。

このオペラは1727年にヴェネツィアのサンタンジェロ劇場で初演され、その後各地で再演され、1738年にフェッラーラで上演されるはずだったのだが、当時のフェッラーラの枢機卿が介入して上演が出来なくなったといういわくつきの1738年版のフェッラーラでの初演である。

ただ、1738年版は第一幕、第二幕には他にはないほどヴィヴァルディの詳細な書き込みがあるのだが、第三幕が消失している。そこで通常は1727年版の第3幕に接ぎ木をして上演するのだが、今回は指揮者と演出家が合意して1738年版を再構成したというのだが。。。その手続きの詳細は不明である。

《ファルナーチェ》のストーリはやや複雑だが、ファルナケス2世(モーツァルトのオペラのポント王ミトリダーテの息子)という歴史上の人物に自由に恋愛話を付加したものである。

 ファルナーチェが、ローマと戦い敗れたところから劇は始まる。妻のタミーリに、ローマの捕虜とならずに息子を殺し、自殺せよと言い残す。タミーリはその場では承諾するものの、息子を殺すことをためらい、ある墓所に息子を隠す。

 一方、ベレニーチェというカッパドキアの女王がいて、彼女はタミーリの母親であるのだが、ファルナーチェを敵視している。ファルナーチェの父に自分の夫を殺されたからだ。父親憎けりゃ息子も憎し、さらにその息子も憎しで、ベレニーチェはタミーリの子供(自分にとって孫)も、ファルナーチェの子供だからという理由で死を望んでいる。復讐心の塊である。

 一方、ポンペオなどローマの人物は、もっとバランスの取れた人物として描かれている。

 ドラマ上、鍵となる女性はセリンダで、彼女はファルナーチェの妹なのだが、美貌の持ち主で、ローマの将軍アクィリオからもベレニーチェの配下の将軍ジラーデからも憧れの対象となるのだが、セリンダはそれをうまく利用して、兄を助けようとする。セリンダ、アクィリオ、ジラーデの三角関係は、この劇の恋愛的な見せ場を構成している。

 それに対し、ファルナーチェやベレニーチェは政治権力、闘争が第一の人物で、ヴィヴァルディはこれらの人物を見事に音楽的に書き分けている。声種の違いもあるのだが、それだけではなく、恋愛的状況と政治的な立場によってアリアの音楽的色合いがまったく異なるのである。アクィリオやポンペオは雄々しい、ヒロイックなメロディ、リズムを与えられている。ジラーデの恋心を歌うアリアなどは全く対象的にまさに揺れる心を表現するもので、キャラクターの描き分けはヘンデルに勝るとも劣らぬものだ。あえて違いを言えば、ヘンデルの方が木管楽器をより頻繁に使うように思う。ヴィヴァルディは弦楽器だけでリズムや弦の刻み方を変えることによって曲想を巧みに変化させてしまうので、曲想を変える時に必ずしも楽器を変えない、加えないまま進行させてしまうことがあるのだ。そしてここ一番という軍事的、政治的な盛り上がりの所では、ホルンやトランペットも登場してガラっと雰囲気を変えていくのである。この日は、ホルンもトランペットもバルブやピストンのない古楽器で、ティンパニーもモダン楽器にくらべ一回りも二回りも小柄なものだった。オケは22人。アカデミア・デッロ・スピリト・サントという名前の管弦楽団である。

指揮はフェデリーコ・マリア・サルデッリで1738年版に対するこだわりが一葉のパンフレットに短く記されていた。ここで問題なのは前述のように1738年版には第3幕が欠如していることで、再編成したとのことだが余りに短い文章なのでどう再構成したのかの詳細は不明だし、2幕3幕をあわせて75分だったので、1727年版に較べ短くなっていると思う。ややあっけなく終わる感じ(それは1727年版でもそういう面はあるのだけれど)があった。

三幕の問題をとりあえず脇に置いておくと、1幕、2幕は実に見事なもので、歌手たちもオケもその素晴らしさの実現に大いに貢献していた。タイトル・ロールはラファエレ・ぺ(カウンターテナー)。ジラーデがズボン役でフランチェスカ・ロンバルディ・マッツッリ。この人はアジリタがきく。タミーリはキアラ・ブルネッロ。メゾ。ベレニーチェはエレナ・ビスクオーラ。ポンペオはレオナルド・コルテッラッツィ。なかなかキャラクターの描き方も声も堂々としたローマ人だった。セリンダはシルヴィア・アリーチェ・ジャノッラ。長身の美貌で、役柄にふさわしい。ただし、案外この人のアリアは少ないのだ。アクィリオはマウロ・ボルジョーニでこの人も堂々とした曲にふさわしい歌いまわしが好ましく口跡が実によいのだった。

ヴィヴァルディのこのオペラは政治も恋も、恋と権力の駆け引きも熱情にも満ちていて、それを表現するアリアが旋律といいリズムといいオーケストレーションといい、実に的確に性格分けをされており、心のひだまでが描かれているようだ。大傑作と呼ぶしかない。

 

 

 

 

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