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2021年12月 7日 (火)

マイール《コリントのメデア》その1

ヨハン・ジモン・マイール作曲の《コリントのメデア》を観た(ベルガモ、テアトロ・ソチャーレ)。

マイールはドイツ生まれでイタリアで活躍した作曲家。表記はマイル、マイヤーなどいくつかあるが同じ人物です。

今回はドニゼッティ・フェスティバルの一部として上演されたのだが、通常上演されるナポリ版ではなく、マイール自身によって改訂されたベルガモ版が使用されたので、そのことも含めやや詳しく説明したい。

メデアはギリシア神話の中でも有名な人物だと言って良いだろう。ジャゾーネ(イアソン)と駆け落ちし、コリントに暮らして子供もいるのだが、コリント王がジャゾーネ(イアソン)を自分の娘の婿にと考え、運命の歯車が狂い出す。ジャゾーネはその気になり、メデアは復讐として花嫁に毒薬を塗った花嫁衣装を贈り暗殺し、ジャゾーネとの間に生まれた子供も殺してしまう。

この基本線はマイールでも変わらない。というかリブレットを書いたのは若き日のフェリーチェ・ロマーニ(《愛の妙薬》も彼のリブレット)であった。今回の演出では、メデアとイアソンの出会いを1959年に設定し、最後の場面は現在2021年なので、ジャゾーネは白髪の老人となって一人ぼっちになる。メデアの方はあまり老けていなくて子供を連れてどこかに行くように見えた。ジャゾーネの方が哀れな存在として描かれている結末だった。この演出では、だから、現代のアパートで家族が暮らす様子が展開されるのだが、コリント王女クレウサが恋の成就を願う歌をメデアが目の前で聞いているのだ。メデアは超絶的な察知能力があることを示そうとしているのだろうか?

音楽を聴いた印象では、モーツァルトの初期、イドメネオを含むそれ以前のオペラに似ている部分とロッシーニのオペラ・セリアを想起させる部分があった。二幕でだんだん状況が切迫してきてからも切迫した音楽もあるのだが、神に訴えたりする際に妙に明るくてのんびりした音楽が出てくる。この印象は、実は、今回の上演された版と関係している。つまり、初演はナポリのサンカルロ劇場で1813年なのだが、今回上演されたのは1821年にベルガモで上演されその際にマイール自身が手を入れたものである。

《コリントのメデア》は2013年にリコルディからクリティカル・エディションが出版されていて、その編者パオロ・ロッシーニが、本公演のプログラムに寄稿し、1813年版と1821年版の違いについて詳細に述べている。また今回の指揮者ジョナサン・ブランダー二はナポリ版とベルガモ版を両方指揮した経験から違いを述べているのだが、ここではかいつまんで紹介したい。まず考慮すべきは、この間にロッシーニ旋風がイタリア半島、いやヨーロッパ中に巻き起こったことだ。そのため1821年に幾つかのアリアを書き換えた時に細部に置いてロッシーニ風が取り入れられた。もう1つは、初演のサンカルロ劇場と21年のベルガモでは劇場経営の状況が異なり、サンカルロの方がスター歌手を集められるし、オケや合唱団も充実していたことは想像に難くない。マイールは元々ベルガモで大聖堂の楽長であり音楽教師であったのだからベルガモの事情は熟知している。

ナポリでは混声合唱だったものがベルガモでは男性合唱のみに変更となっている。今回の上演では合唱は、桟敷の最前部つまり舞台に最も近い席にいたし、人数が少ないせいもあって言葉が明確に聞き取れた。いくつかのレチタティーヴォ・アコンパニャーティはセッキに変更されている。オーケストラ伴奏からチェンバロ(フォルテ・ピアノ?)伴奏に変わった。アリアは14のうち7つに手が加えられているので大きな変更である(残存している自筆稿や写譜稿は膨大なもので、パオロ・ロッシーニが批評校訂版を作る際の過程は目が回るほど複雑なものなのでここで言っていることはあくまで大まかなものとして捉えていただきたい)。メデアのパートは最も影響が小さい。コリント王女クレウサの婚約者エジェオとの二重唱や彼のアリアが書き換えられている。ジャゾーネとの二重唱を除き、クレウサのアリアはほぼ新曲となっている。エジェオも大部分が新しい。ジャゾーネも書き換えられている。ブランダーニによれば、どちらが良い悪いではなく、マイールがプロフェッショナルに、歌う歌手の声楽的な特徴(音域やコロラトゥーラの得意・不得意など)に合わせて書き換えたのであり、当時はそれが普通だった。

また音楽学者の観点から楽譜のレベルで確認はされていないのだが、ベルガモ版にドニゼッティが協力したかどうかという点に関して、ブランディーニは、エジェオの第二幕のカバレッタの最後の数小節にそれまでのマイールには見られないパターンがあり、彼としてはドニゼッティかもしれないと考えているという。

 

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