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2021年12月22日 (水)

イタリアのユダヤ人 その1

シナゴーグを訪れて、イタリアのユダヤ人についての関心が刺激されたので、本を読みつつ書いていくことにする。

そもそもイタリアにユダヤ人はどれくらいいるのだろうか。あるいはいたのだろうか。Giampiero Carocci 著 Storia degli ebrei in Italia (Newton &Compton, 2005) によると、1861年イタリア統一の年に、約3万9千人が現在のイタリア国内に居住していた。彼らは、しばらく前からゲットーをでて様々なところに居住するようになってきていた。そのため町によってはユダヤ人コミュニティーが減少したところもあるし増えたところもある。たとえばマントヴァやリヴォルノでは激減した。リヴォルノでは1841年には4771人いたのが、1938年には2235人と半減してしまったのだ。

 逆に増大したのは、フィレンツェ、トリノ、トリエステ、ローマ、ミラノだった。ミラノで急増した理由には、1933年にヒトラーが政権についてドイツ系ユダヤ人が逃げてきたということがあった。

 しかし他のヨーロッパ諸国と較べると、イタリアのユダヤ人の数は少ない。1931年にローマのユダヤ人は11280人であったが、ワルシャワでは35万人だったし、ベルリン、パリ、ヴィーン、ブダペストでは、15万人から20万人の間だった。桁が違う。

 1930年代にイタリア全体でユダヤ人の数は5万人に達しなかったが、ドイツには50万人以上がいた。

 1932年の時点で、外国から来たユダヤ人は5650人で、その中の有名な例がレオ・オルシュキで、1880年代にドイツから移住し、有名な出版社を作ったわけである。ロシアやポーランドで迫害されたユダヤ人はイタリアよりもアメリカ、フランス、イギリスに移住していったー経済的なチャンスが大きいと考えて。後にヒトラーが出てくることを考えると他の国よりイタリアにしておけばが良かったと後知恵で言えるが、19世紀後半の時点で考えれば、職があるかビジネスチャンスがあるかで判断するのはもっともなことだったろう。

 

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