バロック・オペラ研究者の見たウフィツィ美術館
ウフィツィ美術館を訪れた。
12月も下旬になって、観光客が減ってきたので、行ってみたが正解だった。朝8時に行くと、行列もできておらず数人の人とともに入館できた。
今回、数年ぶりに来てみて、やはり展示およびオーディオ・ガイドが変化したと思う。最初の部屋に巨大なジョットの聖母子像があり、二つ目の部屋にシモーネ・マルティーニの「受胎告知」があるのは前回と同じ。このシモーネ・マルティーニの受胎告知は、大天使ガブリエルの衣装や向かって左側のサン・タンサーノというシエナの守護聖人の一人の衣装が写実的に描かれているのだが、聖母の衣装は濃紺に塗り込められているし、姿勢も写実的な立場からすればやや不自然であるが、他の絵画にはない突き抜けたスピリトゥアリタを感じる。これほど、アレゴリカルな表現(たとえば大天使から発せられる言葉が金字で絵画面に描かれていること)と写実的な描写が高い次元で統合し、総体としてのインパクトを持つ絵は、ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂くらいのものか。ともかく完成度の高さ、額縁も含め装飾性と精神性が区別できないのである。
しかし歴史的に後継者が続々現れる点ではジョットが新たな時代を切り開いたと言えるのだろう。1300年から1500年にかけてイタリアのとりわけトスカーナの絵画は写実性の度合が増していく。そしてミケランジェロ、レオナルド、ラファエッロが来て、線描的なリアリズムの頂点(レオナルドを単なる線描というのには抵抗があるが、大きなくくりでの話である)を極める。しかし何故かその後は、徐々に写実性が落ちて、首が不自然に長かったり、身体がS字だったりマニエリスムの時代が来る。アンドレア・デル・サルトなども、うーんと考え込んでしまう絵画で、漱石はなぜアンドレア・デル・サルトにわざわざ言及したのだろうか、ロンドンで観たのか、不思議である。同時代のヴェネツィア絵画もトスカーナ絵画と較べると線が粗い。15世紀後半、ブロンズィーノという例外はあるものの、総じて写実性が落ちていく。
それがジェンティレスキやカラヴァッジョとともに、光と影の大胆なコントラストを伴った劇的なリアリズムがやってくる。これが1590年代、1600年前後だ。音楽では1600年にローマでもフィレンツェでもオペラが始まる。ポリフォニアの世界からモノディの世界へ。あるいは通奏低音の発明があると言ってもよいかもしれない。カラヴァッジョの光と影のコントラストに相当するものは、音楽で言うとモノディにおける旋律と通奏低音のコントラストなのではないだろうか。ラファエッロの写実においては光があまねくあたっていた。これはポリフォニアの世界に通じる。どの声部も光が当たっている。主従ではない。モノディの世界では、歌詞を歌うのが単声になれば明らかにそれが主で通奏低音は従だ。それが光と影に相当するのではないか。しかし、そうだとすれば、なぜ1600年前後にそういう絵画上の、そして音楽上の大変化がシンクロするように生じたのか。あれかもしれない、これかもしれないと考えるが、まとまった形をなさない。カラヴァッジョの絵を見ながらこんなことを考えているのは、自分くらいのものかもしれない、と思いつつウフィッツィを出ると約4時間が経過していた。
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