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2021年11月23日 (火)

San Nicolo dei Mendicoli

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ヴェネツィアでも2番目に古いと言われる教会 San Nicolo dei Mendicoliを訪れた。

アカデミア美術館はカナル・グランデに面しているが、陸地を横切って反対側の水路に出るとザッテレと言われる浜辺で、そこに沿ってヴェネツィア大学(Ca Foscali)の校舎も見かける。 Ca Foscali の本部はカナル・グランデに面した豪華な建物であるが、ザッテレにあるのはもっと普通の建物に見えた。

ザッテレを、陸地の突端であるPunta della Dogana とは反対方向に進み、浜辺から少し内側に入っていくと急に庶民的な地区が現れる。Palazzoなどはなく、大きい建物と言えば教会のみで、Campo(広場)では地元の子供がサッカーをし、母親たちがそれを見守ってお喋りしている。水路と広場、細い道でなかなか見通しは良くないのだが、通りの名前は細かく書かれているしスマホはほぼ正しく目的地に案内してくれるだろう。

この教会は Veneto-Bizantino 様式と言われ、正教会の形にも似たところがある。中心部(信者が座るところ)が柱で囲まれていて、前方には柱と柱でアーチができていてそのアーチの上にイエス像があるのだが、そのアーチの向こうには司祭が儀式を執り行う聖堂内陣があるのだ。

この教会は、ニコラス・ローグの映画「赤い影」(未見だが相当刺激の強いスリラーらしい)で使用されたことがあるそうだ。

 

 

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2021年11月22日 (月)

アカデミア美術館

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ヴェネツィアのアカデミア美術館を見た。

この前に訪れたのが10年ほど前なのだが、日本風に言う一階の展示の仕方が変化していた。一階部分でハイライトというか大まかな美術の歴史的な流れを15ー19世紀くらいまでなぞって、それから二階に行って展示室1から順番に見るという仕組みになっている。

一階の新しい部分は新しく出来たので、文字が大きくて読みやすいのだが、二階に行くと昔の表記がそのままで絵の作成年などが小さくて見えにくいのだった。

アカデミア美術館のコレクションは当然ながらヴェネツィア絵画の粋が集められているわけで、それについては触れない。今回、回ってみて気がついたこと、感じたことを2つ記す。

1.一階の解説にもあったのだが、17世記になるとなんだか絵に精彩が乏しくなるのだ。15、16世紀にはスターが目白押しで、18世紀にもティエポロなどがいる。その谷間にあって17世記は、解説でも、美術批評でも積極的に扱われない時期が長かったというようなことが書いてあった。これはなぜなのか。もしかすると16世紀に始まった宗教改革、そして対抗宗教改革による影響はないのだろうか。

2.それと関連するのだが、16世紀半ばに活躍したヴェロネーゼの巨大な絵は、現在「レビ家の饗応」というタイトルになっているが、もともとは修道院の食堂に「最後の晩餐」として飾られるはずだったらしい。ところが絵の描き方があまりに派手などという理由でヴェロネーゼが宗教裁判にかけられ、ヴェロネーゼはドメニコ会修道士のアドバイスを得て、絵の中に書かれた文字を修正して、最後の晩餐ではなくレビ家の饗応であるということで事なきを得たという話が紹介されていた。画面のはじにいる召使いや道化の描き方がどうのというので、この時期随分検閲が厳しくなったのかと推察した。おそらくそれは宗教改革、対抗宗教改革の余波的なものがあるのではないだろうか?ヴェロネーゼの事件は16世紀だが、17世紀にかけてさらに厳しくなったのかどうか、その辺を知りたいと思った。一般的に言えば、ヴェネツィアはヴァティカンからの独立性が他の地域より高いわけだが、対抗宗教改革の時期になるとそもそもヴァティカンの姿勢自体が、以前と比べてはるかに厳格化あるいは反動化した面があるのだ。また、ヴェネツィアのヴァティカンとの関係も、ヴェネツィアの対トルコ戦争(キプロス島などをめぐる争い)の状況により、ヴァティカンとは事を荒立てたくない、という時期もあったようだ。

3.オペラに出てくる神話的場面の絵画。先日スカラ座で見た「カリスト」関係の絵画が何点かあった。「ディアナとカリスト」関係が2点、そのうちの1点はディアナがカリストが妊娠しているのを発見するというものだった。またディアナとカリストの隣に同じ作者(リッチ)の牧神パンの乱痴気騒ぎみたいな絵があり、これもまた内容としてはカリストの話に繋がる。制作年代はむしろ絵画が後だったかと思うが、ギリシア・ローマ神話の題材はかく身近に感じられていたということだろう。

4。時代が下って19世紀のハイエツ(肖像画などが有名)に、「リナルドとアルミーダ」の絵があるのに驚いた。リナルドやアルミーダはバロックオペラによく出てくるし、ロッシーニも作品を作っている。ハイエツはリアリスティックなタッチで神話的人物二人が睦まじくしている様を描いているのが興味深かった。

以上、全く現在の僕の関心のバイアスに基づいた極私的感想でした。絵画に関心が深い人が観て充実していることは言うまでもないのだが、そこから外れた観点からでも興味深い作品があると言うことです。

 

 

 

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2021年11月 1日 (月)

カヴァッリ《カリスト》その3

カヴァッリの《カリスト》について、プログラムでロレンツォ・ビアンコーニ氏が一文を寄せているので、かいつまんで紹介する。

ところどころ筆者の感想・意見とビアンコーニ氏の論考が入り交じっています。学術的には、それを事細かに区別する必要がありますが、ブログなので、一言お断りをするだけでいちいち註はつけないままでおゆるしください。

ビアンコーニ氏によると、このオペラには二人のプリマ・ドンナがおり、それは当たり前でもなければ無意味でもない。つまりオペラにはプリマ・ドンナが一人で、筋が一つのオペラ(《ウリッセの帰還》)もあれば、《ポッペアの戴冠》や《ジャゾーネ》のようにプリマ・ドンナが二人で筋が二つで絡みあっているものもある。《カリスト》の場合、前項のあらすじをお読みいただければ判るように、タイトル・ロールのカリストと、月の女神ディアーナがプリマ・ドンナ役である。

二人の乙女とも三角関係に巻き込まれる。カリストは姿をディアーナに変えたジョーヴェに誘惑され犯される。ディアーナは、月(の女神)に夢中で夢見る美青年エンディミオーネをひそかに誘惑する。ジュノーネは、カリストとジョーヴェに敵対し、復讐としてカリストの姿を熊に変える。牧神パーネ(パン)と毛むくじゃらのサティロはディアーナに思いを寄せるが相手にされない逆恨みに、森中にディアーナとエンディミオーネの仲を言いふらす。

第一の喜劇的逆説は、ディアナーの二面性で、カリストを叱りつけながら、自分は羊飼いの人間とよろしくやっていることだ。

このカヴァッリとファウスティーニの作品の典拠は、16,17世紀の文人たちにはよく知られたものだったが、彼らが独自だったのは、二つのエピソードをからかい半分に結びつけたところだ。カリストの話は、オウィディウスの『変身物語』第二巻にある。リブレット作者のファウスティーニが参照したのは、オウィディウスをオッターヴァ・リーマという詩の形でイタリア語訳したジョヴァンニ・アンドレア・デッラングイッラーラのもので、これは当時のベストセラーだった。17世紀のオペラの有名な種本だった。一方、エンディミオーネの話は、オウィディウスにはなく、ファウスティーニは、ナターレ・コンティの『神話』(1568)からとったのだろう。一番意地悪なバージョンは、古代ギリシアのサモサタのルキアノスの書いた『神々の対話』に収められた話で、アフロディテ(ヴェネレ、ヴィーナス)とセレーネ(ディアーナ)が会話している。前者が尋ねる「あなたのこと、何て話題になっているの?」「あなたの息子クピドに聴いてよ。彼のせいなんだから」ディアーナはヴェネレに毎晩、裸で眠る若者のもとに通っていることを告白する。愛の力には何者も逆らえないのだ。

しかし神々ージョーヴェ、ジュノーネ、ディアーナは、愛の力や有無を言わせぬ力も強力である。カリストは結局、大熊座となって天に昇る。

もう一人のエロス的登場人物はジョーヴェだが、このジョーヴェはどうやって演じたのか? youtube の《カリスト》(ルセ指揮)でディアーナを演じるヴィヴィカ・ジュノーは、ディアーナに化けたゼウスも演じていた。今回の上演でディアーナを演じた Olga Bezsmertna(オルガ・ベズスメルトナと読むのでしょうか)も、ディアーナも偽ディアーナも両方を非常に巧みに説得力をもって演じ分けていた。偽ディアーナの時には背中に後光をしょっているのが一つの印なのだが、顔の表情や歩き方、身振りも男っぽく演じ分けていて、感嘆した。さて、初演の時もそうだったのだろうか。これが違っていたのだ。このオペラが1651−52の冬に初演されたときにジョーヴェを演じたのはバスのジュリオ・チェーザレ・ドナーティだった。彼はファルセット(裏声)を得意としていて、3オクターブも歌えたという。だからジョーヴェの時には男の声で、偽ディアーナの時には女性的な高い声で歌い分け、それを観客は楽しんだのである。

 愛の行為そのものは舞台で演じられず、また時間の経過も会話の中で言及される形で時間経過が縮約されているのは、想像に難くないだろう。

  最後にビアンコーニ氏が述べているのは、次のことだ。詰まるところ、このカリストのイニシエーションは、おそろしい暴行なのか、男の甘言なのか?それとも、読者が自らリブレットの中に読み込んでいるかもしれないことだが、受胎告知、受肉、聖母被昇天のパロディであろうか?キリスト教の世界でもっとも自由奔放だった都市ヴェネツィアでは、自分の気に入った答えを出すことができただろう。とは言え、ジャン・スタロバンスキーが言うように、17,18世紀のように教会の教えが厳格で、懐疑的な人間は巧妙な言い逃れを用意しなければならなかった世界では、古代の寓話は、まさにこういう場合に役立った。言いたいことを間接的なイメージを用いて言ったり表象したりする場合に。

 

 

 

 

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カヴァッリ《カリスト》その2

《カリスト》のあらすじを紹介する。ここには2つのストーリーが錯綜している。

1つは、相対的に有名な話で、ジョーヴェ(ゼウス)がディアナの侍女のカリストを見初めるが、ディアナは貞潔の女神なので、侍女も簡単には誘惑できない。そこで、ジョーヴェの付き人であるメルクーリオが案をさずける。カリストはお仕えするディアナをこの上なく慕っているので、ディアナに化ければよい、というのだ。ジョーヴェがいろいろな人、動物、ものに変身して人間やらニンフやらを手中におさめる話には事欠かないから、またか、という感じであろう。実際、ジョーヴェの妻ジュノーも、カリストから話をきいてピンとくる。

カリストの話によると、最初、ディアナは自分と抱き合ってキスも(多分それ以上も)したのに、次にあったときはけんもほろろ、激しく拒絶されたというのだ。それを聴いてジュノーは、カリストと抱き合ったときのディアナは夫ジョーヴェが変身した偽ディアナだったとピンと来るのである。怒ったジュノーは、復讐の女神を連れてきて、カリストを熊に変えてしまう。ジュノーが熊に変えてしまったことは、ジョーヴェをもってしても元にはもどせないのである。

これが1つ目の要素で以下で述べるあらすじでも前提となる。

もう1つはディアナの恋愛。ディアナと言えば月の女神で貞潔のシンボルのような存在のはずだが。。。

このオペラでは、まず、エンディミオンという羊飼いで天体観察者が出てくる。彼は近寄りがたい月の女神ディアナに憧れている。ディアナはふとこのエンディミオンに恋におち、こっそりキスをしたりする。ディアナの侍女の一人リンフェアはそれを見て、ディアナから離れる。ディアナは完全には思いをとげぬまま、エンディミオンから離れるが、そこへカリストがやってきて愛の抱擁を求めるので激怒する。カリストは何がなにやら判らず混乱する。リンフェアは自分も愛が欲しいとつぶやくと、そこへサティロ(けむくじゃらの半人半獣、このオペラでは肉欲を具現化したような存在)がやってきて俺でどうだとなるが、リンフェアは逃げていく。ここでさらに牧神のパーネ(パン)と森の守護神シルヴァーノが出てくるが省略。このオペラ、登場人物が多いのである。牧神は部下のサティロたちを引き連れているが、牧神やサティロ、シルヴァーノらは地上的な肉欲的愛を表象している。ジョーヴェやディアナは天から地への愛。エンディミオンは地上から天への愛で、ベクトルが異なるわけだ。

第二幕

エンディミオンは夜山に登り、月の光をあび眠ってしまうが、そこへディアナ登場し、寝ているエンディミオンにキスをする。眠っているエンディミオンはまさにディアナを夢見ていたのだが、目が覚めてみるとディアナが自分にキスをしていたわけだ。このようすを隠れてみていたのがサティロで、牧神パンにディアナの秘密の恋人を報告する。

ここでジュノーネが天から降りてきて、カリストの悩みをきき、ピンとくる場面がある。そこへ偽ディアナ(実はジョーヴェ)とメルクリオがやってきて、カリストは偽ディアナにかけより、ディアナはデートの約束をするが、ジュノーが立ちはだかる。ジョーヴェとメルクリオはとぼけたフリを続ける。ジュノーはただではおかないと言いつつ去る。ジョーヴェはカリストに会いにいこうとするが、そこへエンディミオンがやてきてこの偽ディアナに抱擁を迫る。ジョーヴェとメルクリオは貞節なはずのディアナに人間の恋人がいたことに驚き面白がるが、そこへ突然パンやシルヴァーノやサティロがやってきて話がいっそうこんがらがる。彼らはエンディミオンをつかまえて虐待し、ディアナに彼のことを諦めさせようと願う。ジョーヴェとメルクリオは退散。エンディミオンを連れて森へ帰る途中でサティラはリンフェオに会い、隠れる。サティラは自分の仲間を呼び、リンフェオも自分の姉妹のニンフェをよび、サティラ群対ニンフ群の戦い(踊り)となる。

第三幕

川のほとりでカリストがディアナを待っていると、そこにやってきたのは、ジュノーと復讐の女神たちだった。ジュノーはカリストを熊に変え、復讐の女神にカリストを虐めるようにと言い去る。元の姿に戻ったジョーヴェとメルクリオがやってきてカリストの運命を知る。ジョーヴェはカリストに正体を知らせ、人間の姿にはわずかな間しか戻してやれないが、死後はお腹の赤ん坊とともに天に昇らせてやると約束する。その場所を教えるため、ジョーヴェ、メルクリオ、カリストが天に昇る。

その間、牧神パンとサティロたちはディアーナをあきらめないエンディミオーネを虐待し続ける。ディアナが助けにやってきて、牧神パンやサティラたちを森へ追いやる。牧神とシルヴァーノは、ディアナの色欲と偽善を森中にふれまわる。ディアナとエンディミオーネは互いの愛を告白する。エンディミオーネはキスを求め、そうすれば、ラトモス山の頂上で永遠に眠りつづけ毎晩ディアナのキスを夢見るだろうという。ジョーヴェはカリストを天界に連れて行く。カリストは彼女の魂が以前にここにいたことに気づく。また熊の姿に戻る時がやってくる。運命の命にしたがい、大熊座が夜の天に輝くであろう。

というのがあら筋です。最初の説明があるので、幕毎のあらすじとダブっているところがあります。ご了承ください。

 

 

 

 

 

 

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