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2021年8月20日 (金)

コンサート『兄弟の不和と賢い王』

『兄弟の不和と賢い王』と題されたコンサートを聴いた(インスブルック、ドゥオーモ)。

インスブルックにはマクシミリアン1世の墓所がある宮廷教会とそれとは別に大聖堂としてのドゥオーモがある。教会も天井が高く残響が長いことは宮殿と同じだが、ただし礼拝堂があって床はともかく平らな面がすくない、直方体からずいぶんずれている。天井もドーム状になっていることなどが効を奏しているのか、昨日の宮殿よりは響きの点でましな気がするのだった。また、それはこちらの教会で奏でられた曲が教会での上演を前提として作られていたからということもあるかもしれない。

曲は2つあって、どちらも旧約聖書のなかの話がもとになった台本を舞台なしで劇音楽にしたて、独唱者と合唱とオーケストラから構成されている。シャルパンティエとパスクィーニの曲で、シャルパンティエのものはCDなどの紹介でモテットと紹介されているが、ここではモテットとオラトリオの区別はほぼないと言ってよいだろう。そのせいか、当日のプログラムにはどちらの曲にもモテットともオラトリオとも記述はない。

1曲目が Marc-Antoine Charpentier (1643-1704) 『ソロモンの裁き(Judicium Salomonis)』H.422, パリ、1702

で、ソロモンの裁きは、ヘンデルのオラトリオでも取り上げられているが、二人の女性が(片方の女は自分の子が死んでしまったのでもう片方の女の子供といれかえる)この子は自分の子だ、いや違うと王の前で言い争うが、この子を二つに引き裂いて2つに分けてください、それなら私はあきらめます、というやりとりで、後者を本当の母とソロモンが認めたという裁きの話である。歌詞はラテン語で、ソロモンや神が出てくると荘重でテンポもゆったりとしたレチタティーボだったりするのだが、やがて二人の女(真の母とにせの母)が出てくると、まるで世俗的になってああだ、効だと言い争ってるのがよくわかるテンポの速いほとんど二人の台詞、歌詞が重なり合う掛け合いとなる。そういう意味で世俗的な劇音楽と均しい面白さがあるのだった。歌手は真の母がEmilie Renard (メゾソプラノ)、にせの母が Nile Senatore (カウンターテナー)、ソロモンがFurio Zanasi (バリトン)、神が Luigi de Donato(バス)。オケはオペラ《イダルマ》と同じだが、曲の編成の関係でシャルパンティエの時には木管の人数が増え、パスクィーニの時には木管が退場していた。

2曲目がパスクィーニの『カインとアベル』で聖書にある最初の兄弟殺しである。このテーマは、後にアレッサンドロ・スカルラッティが《最初の殺人》という題で、より長大なオラトリオとして作曲している。指揮はオペラ《イダルマ》の時と同じアレッサンドロ・デ・マルキなので、デ・マルキは今年はパスクィーニに打ち込んでいると言ってよいだろう。いや楽譜の編纂を考えたら、何年にもわたってと言ったほうがよいだろう。

こちらはシャルパンティエにも増して充実した音楽的内容をもっており、実に聴き応えがあった。対位法的な要素もたっぷりある。こちらは歌詞はイタリア語で作者はジョヴァンニ・フィリッポ・アポッローニで、チェスティのオペラの台本などを書いている人だ。

歌手は、語り手(testo)が Furio Zanasi, エヴァ(イブ)が Sophie Rennert (メゾソプラノ)、カインが Emilie Renard, アベルが Nile Senatore, アダムと悪魔と神を Luigi de Donato. アダムや神は重々しく、ゆったりとした音楽またはレチタティーボがあてられている。ソロモンの時ほどではないが、カインとアベルも言い争いがある。そこはテンポ速く、世俗劇に近い。カインがアベルを殺してしまうのだが、その後が結構あって、アベルは虫の息の状態で、神にカインの赦しを乞うのである。私の血を、彼の罪を洗うためにお受け取りください、などと言うのですね。神や悪魔はそれらしく、カインやアベルとはくっきりと描きわけられていて面白かった。声種も違うのだが、明らかに音楽的なフレージングも異なっているのだ。これなら、グラインドボーンでヘンデルのオラトリオを上演するときのように、舞台化しても十分成り立つのではないか、とも思ったりした。まあ、その場合は、神、悪魔、アダムの一人三役は難しくなるかもしれないが。

二曲あわせて90分強だったと思うが、充実した満足感があった。教会内は客席も明るく、リブレットを見ながら聞くことが可能だった。プログラムは対訳歌詞が掲載されているが、教会内に字幕はない。教会では祭壇の前に演奏者がおり、普段の会衆の席に観客が座るという形であった。

 

 

 

 

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