« パスクィーニ作曲《イダルマ》その3 | トップページ | パスクィーニ作曲《イダルマ》その5 »

2021年8月16日 (月)

パスクィーニ作曲《イダルマ》その4

上演について。

上演場所は、初演は1680年2月6日、ローマのカプラ二カ劇場である。今回は、インスブルックのHaus der Musik. いつもはその隣に立つ州立劇場が使われるのだが、今、改修工事中とのこと。

 例年は、Haus der Musik は若手歌手中心のオペラが上演されている。

今回の上演は、まず作曲者の自筆稿がフランス国立図書館にあり、それをもとにGiovanna Barbati と Alessandro De Marchi (今回の指揮者でもある)が新しいエディションを作成した。

歌手の配役は

イダルマ   アリアンナ・ヴェンディッテッリ (ソプラノ)

リンドーロ  ルーパート・チャールズワース (テノール)

アルミーロ  モーガン・ピアース  (バリトン)

イレーネ  マルゲリータ・マリア・サーラ(アルト)

チェリンド  ホアン・サンチョ (テノール)

ドリッロ   アニータ・ロザーティ(ソプラノ、ズボン役)

パンターノ  ロッコ・カヴァッルッツィ (バス0

アレッサンドロ・デ・マルキ 音楽監督

アレッサンドラ・プレモーリ 演出

インスブルック祝祭オーケストラ (指揮・チェンバロを含め22人)

デ・マルキはチェンバロを弾きながら振る(バロックではよくあるスタイルだが)。このオケは、古楽器・ピリオド楽器を使っており、様式的にはまさにこのオペラにふさわしい。個々人の技量にはややバラツキがあって、対位法的な受け渡しや、早いパッセージになると、わずかにばたつくところもあるが、全体としては満足できるレベル(などと言っていられるのが、ヨーロッパでのバロック演奏のレベルの高さを示しているとも言えよう)。オーケストレーションに関して、どこまでがパスクィーニによるもので、どこからが現代の編纂者によるものかは確認できないが、この場で鳴っている音は、彩り豊かである。

(追記)

その後、当作品の楽譜編纂者であり、指揮者であるアンドレア・デ・マルキ氏に直接うかがう機会を得た。マエストロによると、パスクィーニの楽譜にはまったくオーケストレーション、楽譜の割り振りはなかった、とのことで、マエストロ自身がオーケストレーションをしたとの確言を得た。また、声種について指定は書かれていないが、いずれにせよ、当時は全員男性が歌ったとのことであった。納得。(追記終わり)

 gelosia (嫉妬)などという言葉が出てくると、激しい音楽的パッセージが出てくるのは後のヘンデルなどと同様である。作詞家、作曲家が近い関係にあって制作していたのだろうし、この台詞はこんな表情で音楽をつけようというのが、うまくいっている。二重唱も多い。二組の二重唱が代わる代わるあるいは同時に歌われ、《リゴレット》の四重唱のご先祖がここにいたのか、と驚くところもあった。チェスティの《ドーリ》と較べてもさらに音楽的な発展、言葉に即したメロディー性が充実しているように思う。1600年代におけるオペラの発展、進化、おそるべし。

 さて、演出は、前にも少し述べたが、舞台が改修工事中の古風なパラッツォ(館)。現代の工事人がヘルメットをかぶって出入りするのだが、彼ら彼女らはモックで、そこに時代衣装をまとった本来の登場人物たちが現れる。リンドーロには工事人が見えるのだが、工事人にはリンドーロは見えない、という仕掛けで、現場監督の女性がタバコに火をつけようとすると、そのたびにリンドーロが吹き消して、女性はいぶかしむ。現場監督が置いていったスマホを、ドリッロが見つけて眺めたりすかしたり、囓ったりするという演出もあった。さらには、アルミーロが剣を振り回して、工事現場の電気線を切ってしまい、ブラックアウトするという幕切れもあったりする。

 改修中というのは、隣の州立劇場の改修中にかけているのではという批評もあった(ネットで見た。ちなみに、ドイツ語から英語へのグーグル翻訳は進化している。1年半ほど前には、明らかにおかしな表現があったのだが、今は少なくとも英語として意味の通る翻訳になっているードイツ語にあたってチェックする能力は筆者にないのであくまで印象ということにはなるけれど)。というわけで森はまったく出てこない。が、全体として十分機能しているし、楽しめる演出であった。

歌手については、イレーネ役のマルゲリータ・マリア・サーラが抜群に良かった。声の表情と言葉が即しているだけでなく、音楽の様式観にもあっていて、それでいて感情表出も素直に伝わるのだった。タイトル・ロールのアリアンナ・ヴェンディッテッリやルーパート・チャールズワースも熱演だった。ホアン・サンチョがなんといってもここではベテランなわけだが、二幕、三幕で高音部にサンチョ節とも言えるナキがはいっていたせいか、会場からの拍手は思いのほか地味だった。

こういう舞台の場合、個々の歌手の出来・不出来も意味がないわけではないが、むしろ340年の時をへて、このオペラが蘇ったことの意義が大きいだろう。しかも、実に楽しめる作品であることがよくわかった。ヨーロッパでのバロック作品の蘇演はレベルが高く、ほこりをかむった古くさいものという感じが微塵もしない。むしろ19世紀のオペラの大抵の演奏よりも、僕にとっては、現代的な感性に訴える音楽として鳴り響くのである。

|

« パスクィーニ作曲《イダルマ》その3 | トップページ | パスクィーニ作曲《イダルマ》その5 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« パスクィーニ作曲《イダルマ》その3 | トップページ | パスクィーニ作曲《イダルマ》その5 »