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2021年8月29日 (日)

コンサート《Lost in Arcadia》

《Lost in Arcadia》(アルカディアにさまよって)と題されたコンサートを聴いた(インスブルック、シュロス城)。

この日は、前日よりも涼しげだったので、長袖シャツの上にヤッケを羽織って出かけたのだが、冷え込みが予想以上で、会場でも寒くてヤッケが脱げず、バツが悪かった。会場は、シュロス城のスペイン広間という長方形の部屋で、長い一辺の真ん中に舞台があり、3方に客席があるのだが、この日は正面席だった。前に横の席で聴いたときには、反響、残響が多く悩ましかったが、正面席だとまったく気にならないことがわかった。

正面席の一列目には聖職者が2人いたし、いかにも社会的地位の高い人らしき(州政府の重鎮?)人たちが居並んでいた。インスブルック古楽祭自体が連邦の芸術・文化・スポーツ省、ティロル州、インスブルック市の支援で支えられているのである。その他にも、多くの企業の協賛がある。こうした充実した音楽祭は、芸術、文化を推進すると同時に、地元の文化を活性化し、なおかつこれも重要なことだが、地元の観光産業(ホテル、レストラン、土産物屋など)、商店街を活性化するだろう。

この日は、ソプラノと5人の室内楽の共演。ソプラノはステファニー・ヴァルネリン。オケはラストレというトリノを本拠地にする5人組。フランチェスコ・ドラツィオ(ヴァイオリン)、パオラ・ネルヴィ(ヴァイオリン)、レベカ・フェッリ(チェロ)、ピエトロ・プロッセル(テオルボ)、ジョルジョ・タバッコ(チェンバロ)である。彼女も、彼らもそれぞれ複数のCDを出している。

この日のプログラムはカルロ・フランチェスコ・チェザリーニ(1665−1741)のカンタータを中心に、コレッリやストラデッラの器楽曲をはさんだもの。

最初はアルカンジェロ・コレッリ(1653−1713)のSonata da camera a tre ト短調、op2の6。バロックの室内楽は、CDで聴くより実際の舞台を観ながらの方がずっと興味深い。音が生音で、古楽器の微細なニュアンスがわかるということが1つ。しかしそれ以上に大きいのは、4,5人のグループで演奏している場合、演奏者は、お互いに目をみたり、うなずいたり、弓を上下させたりで、仲間の演奏者に合図を送ったり、音の出を合わせたり、音量の調整や、音の表情づけを合わせたりしている。それがCDだと結果の音しかわからないわけだが、目の前での演奏だと、まさに演奏者の息づかいとともに、上記の演奏者同士のやりとりが視覚的・聴覚的に伝わってくるわけで、音楽の勘所がはるかに把握しやすい。演奏者にとっても、二人の息がうまくあっていった時の(一瞬の)満足げな表情がうかんだり、テオルボやチェロが時たまではあるが、はっしと低弦をはじいたり、弓をぶつけたりする気迫にはっとさせられたりもする。音だけで聴いている時よりもずっとカラフルで、立体的な表情が読み取れるのである。僕はCDやストリーミングで音楽を聴くことの価値をおとしめたいのではない。昔の王侯貴族ではないのだから、いつも演奏家がそばにいるわけもなく、日本で自宅にいても車にのっても音楽が手軽に聴けるありがたさは人一倍感じている。ではあるが、だからといって生のコンサートの意義がいささかも減じることはない、と言いたいのである。少なくとも、僕にとって、テレマンやコレッリは、目の前の演奏者を観ながらのほうが、ずっと音楽の動きをいきいきと感じることができた。

次は Carlo Francesco Cesarini の 'Fetone, e non ti basta' Cantata da camera。これはかなりオペラに近いものえ、レチタティーヴォ、アリア、レチタティーヴォ、アリア、レチタティーヴォ、アリアという構成である。つまり、オペラのある場面を切り取ってきた感じなのだ。チェザリーニで重要なことは、この人は枢機卿のベネデット・パンフィーリ(1653−1730)にお仕えした人で、この日のカンタータはすべてパンフィーリの歌詞に曲をつけたものである。

パンフィーリと言えば、ヘンデル好きの人は思い出すであろうが、ヘンデルがローマ時代に世話になった人で、最近比較的よく演奏されるようになったヘンデルの Il triomfo del Tempo e del Disinganno (時と悟りの勝利)の歌詞を書いたのは、このパンフィーリであった。というか、この枢機卿は、この時代の芸術の偉大なパトロンで、A.スカルラッティであれ、ボノンチーニであれ、ヘンデルであれ、チェザリーニであれ、自分の歌詞に曲をつけさせているのである。美術でも建築でも音楽でもそうなのであるが、この時代、ローマの名家や教皇の甥で枢機卿だったもの(パンフィーリの場合は、大叔父がイノケンティウス10世)で、美術・建築・音楽のパトロンだったものは数多く、中にはパンフィーリのように制作に深く関与しているのである。

だからパンフィーリの書いたものに、チェザリーニが曲をつけたという言い方の方が実態にあっているだろう。チェザリーニの同時代の作曲家にはアレッサンドロ・ストラデッラやアレッサンドロ・スカルラッティ、ボノンチーニらがいたわけである。

これらの人物に関係した重要な出来事として1690年にアッカデーミア・アル・アルカディア(Accademia all'Arcadia)の設立がある。17世紀に支配的だったマリニズムに対抗するものであり、ローマにおけるスウェーデン女王クリスティーナのサロンを継承発展するものだった。これが一種の文学の共和国と称されるようになり、さらには文学者のみならず、哲学者、科学者そして作曲家もメンバーに加わるようになり、コレッリやパスクィーニやA.スカルラッティが加わった。もちろんベネデット・パンフィーリもメンバーだった。

3曲目はアレッサンドロ・ストラデッラ(1639−1682)のSinfonia  McC22. 

4曲目がチェザリーニの Cantata , La Gelosia ('Filli, no'l niego, io dissi')

ここで休憩が入った

5曲目 チェザリーニの Cantata, L'Arianna ('Gia, gl'augelli canori')

6曲目 コレッリの Sonata da camera a tre ニ長調 op.4の4。

最後、7曲目 チェザリーニの Cantata Oh dell’Adria reina.

アンコールにはヘンデルのカンタータが歌われたが、比較をすると、ヘンデルの方が派手にアジリタを駆使して同一音を連続して歌わせる部分があって、演奏効果は高いのであった。チェザリーニによって逆にヘンデルの特長が浮かび上がった瞬間でもあった。

また、歌手ヴァルネリンの才能の違った一面を垣間見せてくれた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

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